いつもならば、食事と風呂を済ませたら早々と部屋に戻り、眠りにつくというのに。
パジャマ姿で部屋に戻ってきてもレオは真っ先にベッドに体を預けることはしなかった。
代わりに疲れ果てた表情をして、ベッドを睨むだけだ。


「…勝手にベッドに寝るなよ」


レオの陰険な目の視線を浴びるのは、ベッドの上に転がっている透き通った物体だった。
体を通して背景を映しているランはレオの言葉を軽く流してなおも場を維持し続ける。


「ここはおれのベッドだ。お前なんかに寝かせん」

「…その件について僕は何も反論できない…けどお前さっき言ってただろ?幽霊に寝床は必要ないって」

「あれはほんのジョークだ」

「ほんのジョークなんか入れるな!」


思いっきりランのペースなため、レオはボケに対するツッコミしか言い返せない。
しかし表情では不良面のランより深みがある。
強く眉間にしわを寄せて得意である怒りの表情を表した。


「とにかく、ベッドからどけ!」


レオは一秒でも早くベッドに転がりたかった。
今は人間の姿であってもつい最近まで猫だった身だ。
脳だって人間のものに慣れていなくて、やはり猫の習性である"眠り"に勝つことはできずにいた。
そのため今のレオを襲うものは眠気であり、一刻も早くこれを解消したかったのだ。


「…めんど」


それなのにランは人事のように軽く流して、目を閉じた。
このままではベッドを退く前に眠ってしまいそうだ。
自分に対する危険を察しレオがランのまぶたを起こすために声を上げた。


「やめろ寝るな!お前がそこで寝たら僕が押入れ行きなんだ!」

「…いいじゃんか」


ランは目をつぶったままだ。
レオは悲鳴を上げ続けた。


「よくないよ!いいって思うのならお前が押入れに入れ!」

「おれに押入れは似合わん」

「押入れに合う人間なんているか!」

「安心しろ。お前にはぴったりだ」

「安心できるか!よけい不安になったよ!今後について!」


意地でもベッドで寝る気でいるランを見てレオは憤ったが諦めて肩を落とした。
強く息を吐いて身と心を落ち着かせる。
そしてまたランを睨むと、落ちていた肩がビクッと飛び上がった。
ランとパッチリ目が合ってしまったのだ。
鋭いランの目から放ってくる視線が陰険な目を縮める。


「な、なに?」

「別に」

「別にってことは無いだろ?何か僕にいいたいことでもあるのか?」

「あえて言うなら、おれはウサギが好きだということぐらいだな」

「それは不要だったよ」


おかしな言動を見せるランが相手では話が進まない。
呆れたといわんばかりに表情を顰めたレオは部屋の奥にあるソファに腰をかけた。
重さの分だけ体が柔らかいソファのクッションに吸い込まれていく。
腰が半分埋もれたところでレオがため息混じりに言葉を吐いた。


「お前って好きな女がいたんだな」


話は唐突に変わったが、レオがもっとも聞き出したかった事でもあった。
するとレオの言葉に珍しくランが言葉を失っていた。


「…」


しめしめ、と思いレオは追い詰めにかける。


「お前、金髪だし外見からして不良っぽいけど、それでも女を好きになるんだね」

「…」

「相手はどんな女なの?」


無音。
まさに無音でランがベッドから腰を上げた。
空気に振動を伝えることなく立ち上がったランは、真っ直ぐにレオを見ている。
ベッドが空いた瞬間にニヒルな笑みを零したレオもランの色の無い瞳に目を奪われる。

ランがそっと唇を揺らした。


「別にたいした女ではない」


それでもランは目を泳がして逃げ口を捜している。
しかしレオが逃がすはずが無かった。猫科の動物は狩猟を得意とし、狙った獲物は逃がさないものだから。
無論、ランを逃がすことなど絶対にしなかった。

さらに問い詰める。


「お前を成仏させないほどの力を持っている女だろ。ってことは美人なの?」

「…いや別に」

「でもお前、その女のせいで成仏できないんだろ。やっぱり色気ムンムンなんだ」

「いや、お前の言ってること何気に変だし。って、さっきからごちゃごちゃとうるせぇよ」


確かにランの言うとおりでレオの質問には微妙に変な言葉が混じっていたりしていた。
そのため今度はランが呆れたと言った表情を象って背を向ける。
こっそりとこの空気から逃げようと試みるが


「こら、逃げようとするな!僕の質問に答えてもらおうか」


ソファに偉そうに腰をかけているレオの怒鳴り声によって計画は崩れ落ちたのであった。
逃げることが出来なかったためランは諦めて腰を落とし、またベッドに体をつける。
そしてそのまま深く息をついて頭を抱えた。


「…ざけんなよ。おれはあいつの話をするためにこの家に戻ってきたんじゃない」


低い声は部屋に響かず、地面を這うだけ。
それでもレオは一声逃さず聞き取った。

ベッドをまた取られてしまったが、もう何も言わない。
代わりに彼女のことを言ってもらおうかと、レオは表情を照らした。


「ここってお前の部屋なんだろ?彼女の写真とかないわけ?」

「…ない。もし持っていたらそれは犯罪だ」

「…確かに」

「とにかく、あいつのことはただ単におれが憧れていただけであって、深い関係じゃないんだ」


ランは背後の色と混じった金髪を下に垂らした。


「だけど、またあいつに会いたい」

「……」

「そう思ったから、ここにいる」


ここでランの言葉が途切れた。
見てみると、ランは俯いていた。
様子から、彼女のことを思い出しているのだろう、そう思えた。
だからあえてこれ以上深く訊ねないことにした。

ランが彼女について語った言葉はほんの一握り、いや、少量であったけれど、気持ちは結構伝わった。
ランは一人の女性に憧れ続けていたのだ。
そしてこれからも憧れ続けたい。眺め続けたい。
そう思ったからこそ、現実世界に身をとどめようと思い、幽霊の存在なのにランはここに姿を現した。
幽霊の立場でこの世界にい続けることはきわめて難しいことであろうに。
天国に行ってしまえばもう彼女と会うことはないと分かっているから、難しいことでも乗り越えることができるのだろう。

 自分は、一人の女性のために、天国に行かず、この世界にさまよう幽霊に、なります。
 生まれ変わらなくてもいい。生まれ変わることなんて、きっと数千年も後のことになるだろうから。
 だからこそ、せめて彼女をこの目で見続けたい。
 少しの間だけでもここにいたいのです。



「…これが恋ってやつなんだな…」


俯いているランの姿が、まさに恋する男像なのだな、とレオは実感した。
ランが憧れている相手も人間、それは当たり前のことだけれど、不良の男をここまで夢中にするほどの力がある人間。

レオは思った。
興味がある、と。

レオだって、つい最近まで人間に恨みを持っていた。
だけれど一人の女と一緒にいることで、恨みが消えていった。
むしろ自分が人間のことが好きだったという過去も思い出することが出来た。

心の晴れた美しい女というものは、どんな男の心でも晴らすことが出来る。
きっとランのターゲットである女も、リクのような子なのだろう。

だからこそ、会ってみたい。


「ねえ、幽霊。明日、その彼女に会いに行ってもいい?」


純粋に考え、純粋に結びついた答え。
ランを夢中にする相手を見て見たい。

レオの問いかけに、俯いているランは


「………だめだ…」

「…!?」

「触ると破裂するぞ…そのヘソ」

「………」


寝言で返すだけであった。


「…お、おい?!寝てるのか!って破裂するってどんなヘソだよ!!ってとりあえず起きろよバナナ馬鹿!!」




結局ベッドという特等席を取られ、案の定押入れ行きになったレオは、この日を境目に
気持ちの良いベッドから離れ、布団が仕舞ってある押入れに体を収めることになった。


「…あ、結構しっくりくるかも」


けれども、さすが猫。
狭いところは意外にも落ち着くスペースだったようだ。


こうして、レオたちの元に新たな仲間が増えた。
それは何気に恋する幽霊、だけれどちょっぴりお茶目な幽霊であった。








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(05/07/30)





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