幽霊のランと話をして、「ああ、こいつもいろいろと大変なんだな」と微妙な感情を抱きながらも、レオは自分の部屋に戻っていった。
ランはイナゴたちとまだ話をしているようで、冷蔵庫の中のヤクルトを駆除する勢いでキッチンのテーブルに腰を掛け続けている。
イナゴがランの心を読み取ったことにより、ランには思い人がいることを知った。
けれどもレオにとって見ればどうでも良いものであった。
レオは自分の心にある太陽を眺めるのに忙しいのである。
人の恋愛なんか、興味が無い。
だからこそ、ここまで逃げてきた。
部屋に入って早々、ベッドに体を落とした。
ふわりと布団が抱きとめてくれる。猫にとって見れば寝転がることが何よりも幸せなのだ。
ベッドの上で大きく深呼吸をして心を落ち着かせる。
そして、ポケットに仕舞っておいたオレンジ色のあるものを取り出して、視界に入れる。
それは一枚の紙切れであった。
「…水族館かぁ」
オレンジ色の紙切れの正体は、水族館のチケットだ。
これは学校でリクからもらったもの。
チケットには、今度の日曜日の日付が書いてある。ということは、前売り券だったのか。
「水族館には魚がたくさんいるんだよな…ああ楽しみだ…!」
水族館にいるものといえば魚。それはリクから教わったことである。
レオにとってみれば魚は大の好物。そのためこの機会を逃すわけにはいかなかった。
絶対、イナゴたちに水族館の存在を教えてやるものか、と心の中で熱く誓った。
「魚は全部僕のものだ」
大漁の魚を思い浮かべて無意識に満悦するレオ。
しかし次の瞬間にはベッドから転げ落ちることになる。
「は?ここ、お前の部屋だったのか」
ガチャっと扉が開く音と共にイナゴの間の抜けた声が部屋に入り込んできた。
扉を開けたのはランだ。幽霊なのだから扉なんか開けずにすり抜けてくればいいものの。
突然、イナゴとタンポポとランが部屋にやってきたために、レオは驚きの拍子に転げてしまった。
地べたで横になっているレオを見てイナゴが目を丸める。
「どうした?突然転げちゃって。あ、まさか女の子の写真集でも眺めていたのか?お前も年頃だなぁ」
「お前と一緒にするなよ」
レオが転げた瞬間を扉が作った隙間から見ていたようで、レオを見るなりイナゴがニヒルに笑みを広げて解釈をしてみせた。
けれどもイナゴの解釈は大きく外れる。
レオの脳内では海が広がり、その中を魚たちが泳ぐ、そんな風景が浮かんでいるので。
頭の中が女パラダイスのイナゴと、魚パラダイスのレオを見て、タンポポが深くため息をついている。
その中でランは部屋にズカズカと入り込んでいた。
寝転んでいるレオを跨いで部屋の奥に入っていくランを見て、「人様の部屋を何だと思ってるんだ!」と思ったレオがすぐに止めに入った。
「こら!ここは僕の部屋だ!勝手に入るな!」
しかし、即で返された。
「ざけんな。ここは元はといえばおれの部屋だ」
ランの言葉に一瞬だけ苛立ちを持ったが、よくよく考え直してみるとここの家はランのものだ。
ということは、この男っぽい部屋は元々ランのものだったに違いない。
ほこりだらけだった家を魔術で掃除したのは確かだが、内装をいじっていることはしていない。
つまり、今レオが寝込んでいる部屋だって、魔術で清掃を喰らう以前からこの形を保ち続けていたのだ。
だから、只今帰郷という形で帰ってきたランは我が部屋を見て、懐かしみを深めているのである。
部屋の奥にあるイスに深く腰をかけたランを見て、レオはため息をついた。
「そっか。ここはお前の部屋なのか…。なら僕は出なくちゃならないんだね」
また一つため息をついて腰を上げるレオの姿に、ランがすぐに首を突っ込んだ。
「いや、お前は出なくてもいい」
ランは言った。
「そして、おれも出ない」
「お前も出ないのか!それなら僕が出るよ!男と同じ部屋なんて気色が悪いよ!」
「全くだ!世は女が全てだ!」
「お前は割り込んでくるな!うっとうしい!」
「うっとうしい?!初めて言われた?!」
ランの変な一言に全員が気を取り乱した。
しかしその空気の中でもランは己の道を突き進む。
「分かった。ならレオがこの部屋から出て、タンポポが残ってくれたらいい」
『何でヤンスか?!アタイは全く関係ないでヤンスよ!』
「そうだそうだ!ダンちゃんはオレのものだ!お前なんかにわたさないよバーカ!」
「何?おれはバカじゃない。おれはこれでも全てにおいてマジメに生きてる。バカなのはお前だろキャラメル頭」
「き、キャラメル頭だとぉ!何でどいつもこいつもオレのことをキャラメルっていうんだ!オレがキャラメルなら、お前はアップルだ!発音よく言えばアッポー!」
「アッポー」
「何だこの醜い争いは!ってか途中から意味の分からない言い争いになってるよ!そもそも幽霊の髪色はリンゴの赤じゃなくて金髪だろ!変なところで間違えてるよキャラメル頭!それはいいとしてぬいぐるみと一緒に寝ようと思っているお前らの幼稚心が分からない!」
『レオ、説明口調のツッコミには感動したでヤンスけど、許されない言葉があったでヤンス。アタイはぬいぐるみじゃなくて悪魔でヤンスよ!間違えないでほしいでヤンス!』
「そうだそうだ!ダンちゃんはぬいぐるみじゃなくてオレのものだアッポー!」
「違う。おれはタンポポを一目見たときから運命の出会いだと思い、これから素晴らしき恋になると思った。だから、タンポポはおれのものになるべきだアッポー」
「だからお前らのその幼稚心の意味が分からないよ!何でタンポポを取り合ってんだよ!」
『何だか照れるでヤンスね。けどウザイでヤンス』
「ウザイって言われてるじゃんか!」
「「それでも…いい、アッポー」」
「二人合わせてキモイこと言うな!何だお前らはいじられるのに快感を感じるタイプなのか!キショイよ!それとアッポーアッポーうるさいよ!口癖のように言うなよ!そもそも、幽霊の髪色はアッポーじゃないから!どちらかというとパイナップルだろ!」
「パイナップル…発音よく言えばパイナポー!」
「パイナポー」
「ポーポーうるさいよ!!ウザイから全員ここから出て行け!!」
パタン。
開いていた扉が閉まり、隙間が消えた。
イナゴとタンポポ、それにランが部屋から出たのだ。
いや、これはレオに追い出された形であるのだが。
また扉を開ければ繋がる空間。けれどもイナゴたちはしなかった。
何だか、この扉の先に殺気を感じるから。
ただならぬレオの殺気を吸いたくないので、この場に踏みとどまった。
扉を背もたれにして、イナゴは腰を下ろす。
隣には、体が透き通って壁色に変色しているランがいる。
「部屋から追い出されたな」
ランにかけた声はランをすり抜けて、部屋の中にいるレオの元まで届いていた。
レオはベッドにまた身を倒して、けれどもなるべく扉に耳を傾けた。
盗聴は悪い気がするが、これから先ランがどうする気なのか気になるため、これは仕方の無い行為なのである。
部屋をレオに取られたラン。これからどうする?
扉越しで声が響く。
低い声、これはランのものだ。
「おれは家から出て行かない」
ランの声には熱が入っていた。
先ほど変なことで言い争っていたものとは思えないほどの、声。
イナゴは「へえ」と口先をわざと尖らせた。
「ならお前はこれからどうするんだ?」
イナゴの声は、見事レオの心の声と重なった。
2人して答えを待つ。
答えは思った以上に簡単なものになって返ってきた。
「おれは幽霊だから寝床なんて必要ない。だから部屋もいらない」
現にランは2ヶ月もの間、ずっと現場に座り込んでいたのだから、この理屈は通じる。
ランは一部の記憶をなくしてずっと自分が倒れた現場を眺めていた。それで2ヶ月を過ごしていた。
食べも寝もせずに、ずっとずっと、失った記憶を探していた。
そして、本日この家に戻ってきて記憶を取り戻した。
それから今度は思い人に気持ちを打ち明けたいのでこの場に留まると、言った。
ランはこう見えても頭の中で戦っていたのだ。
けれどもこれからは思い人に思いを告げなくてはならないので、行動に出ないといけない。
これでは疲れが生じるだろう。
「…ここ、お前の部屋だろ?返すよ」
ずっと戦い続けている。
幽霊でもこれでは疲れるだろう。そう解釈した。
だから勝手ながらレオはこのように行動に出たのである。
疲れが生じないように寝かせてあげようと思ったのだ。
しかしレオがこの言葉を扉の裏にいるランに告げたときには、間抜けな光景が広がっていた。
この部屋の扉は外開き。そういうことで、レオが内側から扉を押したときに扉に体を預けていたイナゴが見事扉の突進に直撃する形になった。
背中を押されてころころとでんぐり返しをして転がっていくイナゴを、レオは忌々しい目をして眺め続けた。
ここは二階。そういうことで階段から転げ落ちる前に自力で踏みとどまるイナゴ。
階段から落ちなかったイナゴを見て舌打ちをこっそりとおこなったレオは、すぐに表情を変えてランに気持ちを告げた。
「お前疲れてるだろ?お前が好きな子に告白する期間まで部屋は返すよ」
つまりランが成仏するまでこの部屋をランに返す、とレオは言った。
けれどもランは首を振って拒否を見せた。
「いや、大丈夫だ。おれがこの部屋に入ったらお前の寝る場所が無くなるだろ」
「…それはそうだけど」
「何、問題ないだろ?レオは猫だからあちこちで寝れるさ」
「この姿であちこち寝れるか!余計なこというなキャラメル頭!」
「…猫?」
レオに復讐だと言わんばかりにイナゴが余計な場面に割り込んでくる。
でんぐり返しで転がった道を帰路するイナゴだけれど、ランはイナゴの台詞に不可解な部分があったようで、眉を深く寄せて訊ねていた。
「猫、とはどういう意味だ?」
ランの疑問は、イナゴの不敵な笑みによって崩れた。
「本人に直接聞けばいい話だろ?」
そう言うイナゴの指は、何故か合わさっていた。
「一階にある部屋はオレとダンちゃんが使っていて、残る部屋は二階のここのみ。他に部屋はあるがそれは全て物置とか人が落ち着いて寝れるような場所ではない。もうその部屋しかないんだ」
パチンと澄んだ音が鳴った。
途端に、部屋の扉が動物的に動き出して、ランを引きずり込んでいった。
「仕方ない。ランかレオ、どちらかがその部屋の押入れに寝ろ。そこになら布団があるからな」
扉が閉まり、部屋の中には黒い魂と透明の魂の二つが残った。
レオとランが一瞬だけ唖然とし、そして今の状況に悲鳴を上げる。
イナゴの大胆な決断は度を過ぎた冗談に思えた。
「「結局こんなオチかー!!」」
2人の悲鳴は、扉越しにいるイナゴにむけられたもの。
しかしそれをイナゴは聞いていなかった。
マントに顔を埋めてタンポポと一緒にその場から逃げていたのだから。
「「はあ…」」
部屋の中に、男たちのため息が溜まっていった。
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(05/07/16)