これはおかしな話である。
成仏できずにこの世に留まる運命に陥ってしまった幽霊は、必ずしも成仏を望むというのに、目の前にいる幽霊はそれを望んでいないのだから。

そもそも何故幽霊が成仏を望んでいるのか。
それは、簡単な答えである。
存在に気づいてもらえないことほど、心痛むものはないからである。
幽霊になると人々の目に見えない存在に落ちる。
たまに霊感の強い人に気づいてもらえるのだが、幽霊という存在に全員が恐怖の顔を作るのだ。
それを見ることが、つらく苦しい。そして自分自身が儚く感じる。
だからこそ幽霊はその苦しみから逃れるために成仏を望み、また新しい希望を見つけたいのである。

そうだというのに、幽霊のランは成仏「しない」と断った。


「…成仏したくないってどういう意味だ?」


不可解な答えにイナゴがヤクルトに口を付けるのをやめて、真剣そのものの顔をしてランを見た。
ランはヤクルトの蓋を丸めて容器の中に詰め込む作業に取り掛かっているが、口は質問に答えようと動いている。


「おれは成仏を望んでいない。向こうの世界に行くのが嫌なんだ」

「…成仏が嫌?」


目線を合わせずにランは物足りない応答を返した。
さすがにそれだけでは気持ちが伝わらず、結局はまた似たような質問になってしまう。


「何故成仏を望まない?嫌ってどういう意味だ?」

『そうでヤンスよ。何か他に未練が残ってるでヤンスか?』


イナゴと一緒になってタンポポも身を乗り出している。
そんなタンポポがランの目の前まで飛んで、深く追求に図った。


『成仏することであんたはまた新しい人生を歩むことが出来るようになるでヤンスよ。それなのにどうして成仏したいと思わないでヤンス?』

「………」

『何かこの世界に大切な用事でもあるでヤンスか?』


今までの経歴からすると、タンポポが質問したことでランは喜んで答えることになるだろう。
しかしランはこのときだけ質問に答えなかった。
口を噤んで、答えることをやめてしまった。
答える口が拒否反応を起こしたようだ。

ランはヤクルトの容器に詰まった蓋をじっと眺めることで時間の流れに乗った。
だけれど他の3人が許すはずがなかった。
全員で首を伸ばして詰め寄った。


「何だよ?まさかダンちゃんの言うとおりでお前はこの世に何か大切な用事があったのか?」

「それを果たすことなく死んじゃったからこの世にまだいたいの?」

『その"用事"を済ますまであんたは成仏したくないってことでヤンスね?』


「……」


ランは、答えない。
終いには俯いて、この空気から逃げようとしている。
なのでイナゴが指を鳴らすことで無理矢理でも顔を上げさせた。
イナゴの魔術にやっぱり驚いた様子を見せるが、ランの顔はすぐに溶ける。
ランの無表情な顔が3人の目に映った。

口を閉じ続けているランに微妙な苛立ちを募らせる3人。
その中でイナゴが手を打って提案を繰り出した。


「そうだ。オレらでランの"用事"を当ててみるか」


突然何を言い出すんだこのバカは。とレオは思わず表情を濁した。
しかしタンポポはすぐに提案に乗ってしまい、時の流れによってレオも提案になることになった。

まずは予想を立ててみる。


「大切な用事をここに残したままだから成仏したくないってことだから相当強い気持ちが篭ったものなのだろう。…強い気持ちか…」

『強い気持ちってことは、やっぱり何かを想っているってことでヤンスよね』

「…何かを想う?それって何?」


眉を寄せたレオの疑問はイナゴのひらめきによって解決した。


「ヤクルトか」

「違うだろ!?」

『ヤクルトを飲む前に死んじゃったから成仏したくなかったでヤンスか』

「それは違うだろ!っていうか今さっきランもヤクルト飲んでただろ!なら満足して成仏しちゃうよ」

「『あっ』」

「お前らバカだよ、ついていけない…」


何事に関してもヤクルトで事を片付けようとするバカな二人を目の当たりにしてレオが深くため息をついた。
途端、突然ランが机を叩いた。


「おれはヤクルトが好きだ!」

「ここにもヤクルト信者が?!」

「よし、合格」

「何が?!」

『おめでとうでヤンス。あんたはこれで成仏できるでヤンスよ』


成り行きでランもヤクルトが好きであることがわかった。

イナゴたちの考えによると、ランは大好きなヤクルトを飲むことが出来ずに死んでしまったことになっており、今さっきヤクルトを飲んだことで成仏が出来るという。
だけれどそんなことで幽霊が成仏するはずが無かった。
成仏しないランを見て、イナゴとタンポポが机に突っ伏した。


「何故成仏しないんだ…」

「お前ら、やっぱりバカだろ。好物の関係で幽霊が成仏できないってこと、あるはず無いじゃん」

「完璧な理屈だと思ったのに」

「いや、お前の理屈はただのバカだったよ」


バカな考えを繰り出したイナゴに注意してから、レオは成仏しないランを見てまたため息をついた。
どうしてランが成仏したくないというのか分からない。
レオたちにとって見れば、家主がいてもらっては困るのである。
これではこれから先、自分らはどこに住めばいいのか?
幽霊と一緒に住めというのか。

元から心が黒いレオなら言える言葉。
レオはズバっとこの空間を切り裂いた。


「さっさと消えろよ」


間。
嫌な間でもあった。
言葉の槍は見事ランに突き刺さった。グサリと心が傷ついた。
そのためランは、ゆっくりと立ち上がった。

イスから降りて、ランは歩き出す。
嫌な予感がしてイナゴが急いで突っ伏した身を起こした。


「ここから出て行く気か?そもそもここはお前んちだ。オレらの方が出て行くよ」

『そうでヤンスよ!そのままじゃあんたは浮遊霊になっちゃうでヤンス。あんたには家から出てほしくないでヤンス!』


場に冷気が漂った。
冷たい空気。ああ、もしかすると幽霊が消える空気なのだろうか。
成仏もしないでここから消えて、幽霊は居場所を変えて発生するのだろうか。

そう思った3人だけれど予想は外れていた。
全て杞憂だった。ランは冷蔵庫を開けて、ヤクルトを取っていただけであったのだ。

なので思わず3人はその場から滑り落ちたのだった。


「ヤクルトかよ?!このタイミングで間際らしいことをするなよ!」

「レオ落ち着け!確かにランはおかしいけど見逃してやってくれ!」

『そういうイナゴも殴る体勢を作ってるでヤンスよ!二人とも喧嘩はやめるでヤンス』


もしかしたらレオの発言に心を痛めて家から出て行くのだろうかと思っていたのに、呑気にヤクルトを取りに行ったランの存在が許せなかった。
思わず殴りかかりそうになっているイナゴとレオを見てタンポポが急いで止める。
対して、標的になっているランはやはり呑気にヤクルトに口を付けていた。


「僕らはお前のことを気ぃ使ってるってのに!成仏しない理由を答えない上にヤクルトがば飲みか!お前らはここにいるバカたちと同じでただのヤクルトばかかこの野郎!」

「そのヤクルトはオレがスーパーから盗……買ってきたやつだぞ!ここがお前んちだからといってもヤクルトを勝手に飲むことは許さない!ヤクルトの名に懸けてオレが成敗してやる!」

『結局二人ともヤクルトに突っ込んでるでヤンスよ?!変な風に突っ込んでいるから二人とも落ち着くでヤンス!』


ヤクルトを飲むランに向けて発狂する二人であったがタンポポに相手にされるだけで、ランには無視されてしまっていた。
そのため、発狂することを諦めて深くため息をつくことで気持ちを切り替えた。

そのころランはヤクルトを飲み干すと、冷蔵庫からまた一本ヤクルトを取って扉を閉めていた。
それから上座にあるイスに座りに行くため踵を返す。

その岐路の途中で、イナゴが道を塞いだ。
自然と足が止まった。


「………」

「お前、嫌にマイペースだな。そんな具合で暮らしていて大丈夫なのか?」


「どけ」と睨むランだったが、イナゴも似たように睨んでいた。
先ほどまで自分のペースを乱していたイナゴも、今では何か鋭い目を持っている。

イナゴはここでやっと魔術師らしく動き出したのだ。
ランに向けて、イナゴが悟りの一言を繰り出した。


「お前、好きな女がいたのか」


時の流れが止まった。
イナゴの発言に全員が言葉を失ったのだ。
ランに向けられた言葉が衝撃的だった。

一瞬、冗談かと思っていたけれど、イナゴは異世界では天才エリート魔術師と呼ばれるほどの実力を持っている。
現に何度もレオの心の中を悟っていた。
そのときにレオは驚いて何も言うことが出来なかった。
そして今ランも何もいえていない。

これは、イナゴの悟りが当たっていることに値する。

だからこそ、レオたちも驚いて何もいえないのである。

イナゴは黙り込むランをさらに追い詰めた。
悟りを続ける。

ランの心に燈っていた"用事"…つまり"好きな女"について。


「好きな女に告白することも出来ずに死んでしまった。それが心残りだからお前は成仏したくないってことか」

「……」

「意外な答えだったな」


さっきまでヤクルトオンリーだった空気が異様な雰囲気へと変わった。
あまりにも予想外な答えだったので、レオは開いた口が塞がっていない。

ラン、こいつの外見は不良男。しかし中身はただのバカ。
そんな男なのに、好きな女がいた。ランはその女に告白がしたいから成仏したくない、という。


天才魔術師の悟りを喰らい、ランは黙り込んでいる。
ヤクルトを持った手も見れば震えている。
見られたくない心の中を見られてしまって、感情が堪えきれずにいるのだろう。
ランの体は今、非常に震えていた。
その様子に気づいてイナゴが申し訳なく表情を濁した。


「勝手に心を読んじゃってごめんな。だけどこうしないとお前は絶対にオレらに成仏しない理由を言わないつもりだったんだろ」

「……」


なおも答えないラン。イナゴは軽くため息をついて、指先を重ねた。


「言っておくけど、オレは成仏したくないって言う人を黙って見届ける主義じゃない」


腕を伸ばして、狙いをランに定める。


「オレは幸せを届けるヤクルーターだ。困った人を放っておかない。勝手ながらもお前が成仏するまで見届けてやる」


澄んだ音が鳴る。
重ねた指が擦りあって音を生んだ。
それによって魔術が発動する。

イナゴの魔術はランの目の前で起こった。
目線の先の空気上に浮かぶ紙切れ。それは名刺だ。
イナゴの名刺がそこには浮かんでいた。

ランは名刺を受け取った。
名刺を暫く眺めてからやがて硬く閉じていた口が揺れだした。


「…ヤクルーターか」

「ああそうだ。オレは今、人の役に立つために働いている」

「…」

「お前は今、好きな子に思いを告げることが出来なくて困っている。だからオレがお前を救ってみせる」

「…どうやってだ?」


ランは、"好きな子"に関して動揺を見せるどころか話に食いついていた。
イナゴの目を見て、訊ね出す。


「幽霊になったおれをお前はどうやって救う気なんだ?」


確かにその通りだ。
そう思ったからレオも口を挟んでいた。


「その幽霊は霊感の強い人にしか見ることができないんだろ?幽霊の好きな子が霊感が強いとは思わない。それなのにどうやって幽霊の存在に気づかせるんだよ?」

「『幽霊』じゃなくて『ラン兄ちゃん』と呼んでくれ」

「呼ばん」


無駄な要求をするランを軽く流してレオはイナゴの答えを待った。
今のイナゴはマジメモードのようなので、すぐに答えを得ることが出来た。


「確かにランの好きな子が霊感の強い子とは限らない。ランがよっぽどの霊気を放っていない限り凡人には気づかせることが出来ないだろう」

「だからそれをどうやって」

「まあまあ、話を最後まで聞けって」


落ち着きの無いレオを宥めて、イナゴが笑みを零した。
不意打ちの笑みだったのでレオもランも唖然としてしまう。

イナゴは家の中からでは見えない空を仰いで、大きく息を吸った。
胸を膨らませたところで、中の空気を吐き出して、気持ちを切り替える。

目線の先、壁より奥、空。
今は夜、星と並んで浮かぶ月。朧な光が宙を照らしている。
イナゴはその光を掴もうと、空に手を伸ばした。


「大丈夫。オレが何とかする。このオレに不可能の文字なんて無いんだから」


空気を掴む。けれどもイナゴは空想で月を掴んでいた。
光を掴んで勇気を戴く。
目の前で困っている幽霊を救うために、イナゴは勇気を持って立ち上がった。


そんなイナゴの行動と言葉を聞いて、ランは微かに表情を解していた。











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『用事』でした。
まったく、最近の子どもは恋をしてばかりですね(笑

(05/07/10)





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