「ちょっと待て!お前の言っていることが理解できない。もう一度言ってくれ」


今はもう、黄昏を越して、夜。
近くにある電灯がほんのりと地面を照らし、4つの影に色を燈した。
幽霊と調和を図るために姿を消していたイナゴとタンポポも、ランの言葉によって空気上から引っこ抜かれたため今は他の人間にも二人の姿が見えるようになっていた。
そんなイナゴが空中を掴む。
違う、幽霊のランの腕を掴んで叫んでいるのだ。
感情を抑えきれずに叫ぶことで解消している。

この辺りはそこまで家は建っていないけれど大声出していたら他の誰かに見つかりかねない。
そのためレオがイナゴを抑える。


「黙れバカ。お前が騒いだって何も解決しないだろ」

「だって意味がわからないじゃんか!」


しかしイナゴは訴え続けた。


「ここはオレらの家なんだ!これからオレとダンちゃんとレオの3人で絆を築き上げるってのに!」

「僕はそんな醜いもんなんか求めてない!絆とかふざけんな!」

『全くでヤンス。アタイもレオの意見に賛成でヤンス』

「な、何故だ?!何故醜いって言うんだよ?!」


イナゴが叫ぶ中、タンポポはランに目を向けていた。
ランは正面を見て感情を抑えきれずに拳を握っている。
じっと家を眺めているその姿は、この風景と空気を懐かしんでいるように見える。

いや、実際に懐かしいのである。

そうだと悟ってタンポポが声をかけた。


『ラン、ここがあんたの家って言うのは本当でヤンスか?』


訊ねると、答えは即答であった。


「ああ。ここはおれんちだ。死ぬ前まで住んでいた」

『…本当でヤンスか』


ランの答えにタンポポは絶句する。
この家には誰もいなかったし、結構ほこりとかも酷かったので空き家だと思い勝手に住み着いたというのに。
本当は主がいたのだ。

冷静になって考えてみれば、ここには最近まで誰かが住んでいた形跡は残っていた。
実のところ、この家に魔術を仕掛けたイナゴはただ家を綺麗にしただけであって家具などを取り寄せていない。
しかもタンスの中を覗いてみればそこからは洋服や小道具などが収まっていた。
もし誰も住んでいなくて空き家の状態であれば、このようなものたちは一切無いはずなのである。
それなのに、あった。
何も買い物しなくともすぐに住むことが出来るようなスペース。
それはそのはず。実際にここには人が住んでいたのだから。
最近まで住んでいて、しかし唐突に主が消えてしまった。
何も前触れ無く主が消えたので、家はその形のままだったのだ。

ランが2ヶ月ほど前に交通事故で死んでしまい、家の主が消えた。
なので家はその形を維持したままだった。
ランが学校に行くために家を出てから、それっきり。

誰もいなくなったことで家は悲しみに暮れて泣いた。ほこりという涙を零して、見る見るうちにぼろくなっていった。
主をなくした家は深く悲しみ、2ヶ月という短い期間でがたついた家に変化したようである。


ランは静かに目を細めた。


「よかった。おかげで記憶を大体取り戻した」


生まれてから死ぬまで世話になった家を目にして、薄れていた記憶が戻ったようだ。
なので全員がランに詰め寄った。


「記憶を取り戻したか。ならいろいろと教えてくれ」


イナゴが最も早く口を開いた。
けれどもランは自分が生まれ育った家を見るだけだ。
何も答えないランの存在に、レオは少し苛立ちを覚えたがイナゴはそれ以上何も問い詰めたりはしなかった。

記憶を取り戻したということは、貸していた本が一気に戻ってきたという風に例えて考えてもおかしくは無い。
返ってきた本をスカスカの本棚に一冊一冊丁寧に元の場所に入れ戻さなければならない、今の現状。まさに脳と本棚は同じである。
今、ランは記憶という本を脳という本棚に片付ける作業を頭の中でおこなっている。
だから邪魔をしてはならない。

そしてその間を利用して、イナゴたちはレオにランのことを詳しく教えてあげていた。
ランがレオの通う学校の高等部出身である、ということや
ランがカメを助けるために交通事故にあったことなど知っている範囲の情報を託す。
話を聞いてレオは真っ先に「カメを助けて死んだのか?!」とツッコミをあげていた。
やはり、全員突っ込む場所は同じであったようだ。

やがて頭の本棚を整頓し終えたランが、ようやくイナゴたちに顔を見せた。
表情は、意外にも無表情だ。


「「………」」


ランが何も言わないので、暫く無言の風景。
風が吹き、実体あるものたちは形を揺らして、右へ傾く。
だけれどランだけは風を体に受け止めず、一人だけ無の世界に立っているかのよう。
風がやんだところでランがそろえた指を家に向けた。


「とりあえず、中に入れ」


雰囲気的に、勝手に人の家に住むな!と怒られるかと思ったが、ランの言葉はそれを覆す優しさが篭っていた。
さりげない優しさが、3人の心を鷲づかみにし、頷く体勢になる。


「「お邪魔します」」


つい先ほどまでは自分らのものだと思っていた家。
しかし、この家には主がいた。
主は帰らぬ人になっていたのだが、今日帰ってきた。
そのことに家も喜んでいるようで、自動的に光を燈し、暗かった家中を明るくした。

これはイナゴの魔術でもなく、ランの力、……なのか。


本当の家の主、ランに招き入れられ、3人はキッチンに腰をかけた。
普段は大胆に腰をかけて好き勝手に食事を取ったりしていた場所だけれど、今では何だか遠慮がちになってしまう。
なのでランが冷蔵庫を開けるまで3人は身を縮めあっていた。

静かな空気に、冷たい冷気が混ざりこむ。冷気が冷蔵庫の中から漏れ出してきたのだ。
そしてそこから現れる肌色の容器たち。
冷蔵庫の中に眠っている大量のヤクルトの存在を思い出し、レオは顔を真っ青にした。
家の主の許可なしに冷蔵庫をヤクルトまみれにしてしまった。罪悪感が彼を襲う。

しかし、ランは冷蔵庫の中に頭を突っ込むだけで、ヤクルトに突っ込むことはしなかった。


「突っ込み方を間違えてる?!」

『まだ素直に突っ込んだ方がよかったでヤンスよ?!』


新しいツッコミ作法を披露したラン、ちょっと勝ち誇った顔になっている。


「何だこいつ?!」


何気に予測不可能な行動を見せるランに対してレオは思わず年上に向けて失礼な言葉を突き刺した。
けれどもランは気にしていないようで、ヤクルトを人数分とって、冷蔵庫を閉めている。
そしてそれぞれの席にヤクルトを置いていった。

そもそも来客にヤクルトを出す家などきっとないであろう。
そしてランが何故ヤクルトに疑問を持たないのか、逆に疑問である。


テーブルの上座にゆっくりと腰をかけてランは3人を見渡した。


「くつろいでくれ」


しかし、もっともくつろいでいるのはランであった。
テーブルの上に足を乗せて、イスを傾けたうえに座っている。

あえてそれにはツッコミをいれず、レオは肩の力を落として静かにくつろいだ。
向居に座っているイナゴはヤクルトを飲んで満足し、テーブルの上に人形のように座っているタンポポもヤクルトを堪能して時を過ごす。


暫くの間、全員がそれぞれの空間を楽しんだ。
その中でレオだけが一人そわそわしていた。

当然のことだ。
視界に入る上座のものが気になって仕方ないのである。


「お前、ランって言ったよな」


このモヤモヤをさっさと消化したかったレオは席を立ち上がってテーブルに寄りかかった。
ぐいっと前に上半身を傾けて近づいてきたレオに向けて、ランは無表情で返す。


「ラン兄ちゃんと呼んでくれ」

「誰が呼ぶか!ってか何故そこまでこだわるんだ!?」


イナゴとは違うボケを咬ますラン、何気に鋭い才能を秘めているようだ。
思わずレオもいつもと違ってツッコミに勢いがあった。

そんなレオに構わずイナゴが呑気に割り込んだ。


「そうだラン。お前の話、聞かせてもらおうか」


今ではすっかりランの家になってしまった元我が家。
イナゴはランのことを追求するために話を聞くことにした。
レオも一緒になってランに煽りをかける。

二人が顔を伸ばすけれど、ランは答えない。
しかしタンポポが声をかけることにより、ランの電源が入った。


「よし、話そう」

「「こっちには興味なしかこの野郎!」」

『さすがラン、アタイは信じてたでヤンス』


男二人が喚いているのを邪魔くさいといわんばかりに表情を顰めるランだったが、タンポポの一言で表情を取り戻した。
その表情の移り変わりようを目の当たりにして男二人は同時に舌打ちを鳴らした。

テーブルの上においてある空っぽのヤクルト容器。
イナゴが指を鳴らすことで容器いっぱいに肌色の液体が湧き上がる。
ランはその魔術を見て、目を丸める。けれどもすぐに平常心を取り戻した。

ヤクルトを軽く口に付けて、ランが語りだした。


「この家には、おれ一人しか住んでいなかった」


第一声から全員の顔に疑問が浮かんだ。
悟ったのか、ランはそれを解決した。

何故二階建ての家に一人しか住んでいないのか。


「おれの家族は前に交通事故で死んだんだ」


非常に簡単な答えであった。
それなのに、非常に腑に落ちない現実。

この家の主たちは、交通事故で死ぬ運命にあるのか?


特にイナゴが難しい顔をしてテーブルを睨んでいる間に、ランは話を進めていった。


「それで暫くは一人でここに住んでいた。だからある程度の家事は出来る」

「…い、意外だね」

『見た目によらずカッコいいでヤンス』


タンポポからお褒めの言葉をいただくことでランは嬉しそうに頬を解した。
この男、意外性のある奴である。


なるほど。ランは一人暮らしをすることで家庭的になったようだ。
だから、先ほど全員にヤクルトを差し出したりとおもてなしをしていたのか。
レオは静かに納得した。

一旦ここで話が切れた。
しかしそれでも納得した部分が多々あった。
この家はランのものであり、元は家族所有でもあった。
しかし家族は交通事故によりいなくなり、暫くは一人で家を管理していた。
そして2ヶ月ほど前、横断歩道を渡っていたカメを助けるために、ランも家族の後を追うことに。


……………ん?


「ちょっと待て」



…不可解な点があることに気がついた。


「ランは"迷子"から解放されたはずだ。家にも帰ることが出来たし、記憶も取り戻した。それなのに」


ある点に気がついたイナゴが、恐る恐る、訊ねかけた。


「何故お前は成仏しない?」


イナゴの問いかけに、残りの二人もハッと目を覚ました。
幽霊は未練を果たしたことにより成仏できるというのに、ランはまだ現実世界に留まっている。
どういうことだろうか。ランはまだ完全に果たし終えていないというのか。

きちんと家に帰ることが出来たというのに。
記憶も戻ったというのに。

それなのに、何故だ?


視線を浴びることで、ランがゆっくりと口を開いた。



「成仏しない理由は、きちんとある」


…『成仏しない』?

『できない』、のではなくて、『しない』?


どういうことだ?
奴は自分の意思でここに留まっているのか?


言葉は続いた。



「おれは、成仏したくないんだ」


やがて、ランはヤクルトを飲み干した。









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(05/06/29)





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