あの人間サイズの体の中に、こんなにも闇が詰まれているものなのだろうか。
『R』は『L』の部屋に入ってまずそのような事を思った。
尋常ではないこの闇のモヤの重さに、ひっそりと汗が滲む。
忠告するために訪れたときは部屋の風景は明るかった。それなのに今はどんよりしている。
全てが黒い。とくに床は真っ黒だ。闇が溜まって自分の足元なんか見れるものではない。
「L、そこにいるでアールか?」
凄まじい闇の中で声をかけてみる。
無音。無音。無音。
全ての音を闇へ変えているように闇が増えていく。見る見るうちに辺りが黒くなる。
これは何なのだ。
嫌な汗を額にびっしょりかいた上、この場の闇に自分が呑まれそうで、本当に頭が痛い。精神的にここは厳しい。
『R』が部屋の中でふらつき、危険を悟って部屋から出ようとする。
そのときに、ふと嗚咽が聞こえてきた。
「Lでアールか?」
問いかけると、声が返ってきた。
「……うん…」
その声があまりにも弱弱しいものだったので、本気でどうしようかと思った。
『L』がどこにいるかも分からないまま、『R』は声を上げる。
「気分はどうでアールか?」
「…………わかんない……」
応答も遅いし、これは話せる状況ではないと思った。
しかしどうしても謝りたかった。『R』はどこに何があるか分からない闇の部屋で頭を下げた。
「この度は、申し訳ないことをしたでアール」
すると、『L』が長く応答してくれた。
「いや、オレが悪いんだよ。チャーリーの警告を無視してしまったから…」
「しかし、お前をきちんと止めなかったワガハイにも責任はあるでアール」
「いいや。チャーリーは悪くない。責任なんか背負わなくていい」
闇が揺れる。よって、そこに『L』がいると把握できた。
しかしそこが一番深い色を帯びている。核がそれなのだから濃い色をしているのは当然のことだけれど、それにしても黒い。
その中に『L』が埋もれているのかと思うと、なんとも悲痛な気持ちになる。
闇は揺れ続ける。『L』が呻いている。
「オレ、チャーリーの警告内容が本当に嫌だったんだ。だから彼女の元へ行った。……そしたら…」
「ゾナーのデータにより状況は把握できているでアール。現場は見ていないでアールが予測は出来たでアール」
しかし、と『R』は言葉を続けた。
「それ以上の結果になってしまったでアール」
「…チャーリーはどこまで知ってたんだ?」
訊ねられたので答えた。
「Pは天使の上に立っている"女神"だ。というところでアールな。お前の彼女が天使ということを前々から知っていたからすぐに危険を察したでアール」
「…うん…」
「しかし、驚いたでアール。Pが天罰を下したとは……」
「……」
「つらかったでアールな」
「…うん…」
『L』は喋ることは出来るようだ。しかし気力がないようで声自体に元気は無い。
いつも朗らかに笑っているあの陽気な姿がもう見られないのか…。
そう思うと胸が苦しくて、『R』は口を噤んでいた。
すると『L』が口を開いた。
訊ねたいことがあるらしく、元気は無いけれどそれでも言葉を放つ。
「天使について、教えてくれないか?」
間が生まれた。
『R』が口を噤んだままだからだ。難しい形相をして、顎を摩る。
答えが返ってこないため、『L』はまた涙を流し、場に闇を作った。
「…そっか。答えられないか…」
「…すまないでアール。何しろ天使のことについては『女神はPだ』と『規則が厳しい』の二つしか知らないでアール」
「………まだあるよ」
質問したのは『L』なのに、『L』が情報を補足した。
震えた声が場をより深い色に染める。
「『天使は他の種族と恋をしてはならない』だ」
「……!」
「オレが彼女に告白したから、天罰が下されたんだ…」
「…そうだったでアールか」
情報を聞き、頭のメモ帳に書き留める。
得た情報をメモ帳に追加したところで、『R』は一文で天使についてまとめた。
「どのみち天使に近づいたらならなかったでアールか」
「………」
『L』は黙り込む。暫く黙り込む。
自分の過ちを再び思い出し、涙を大量に流す。黒い涙が闇を湧かす。
闇のモヤがモクモクと増えていくので『R』は身を引いた。
その間に『L』は嗚咽を吐いて、懺悔する。
「…ごめんなさい……」
思いの篭った言葉だったので『R』は思わず唖然としていた。
あの『L』がこんなにも素直に謝っているなんて、信じられなかったから。
もしこの場が闇に覆われてなく澄んでいたら、『L』が深く頭を下げて謝っている姿が見られたであろう。
それほどまでに反省の色を帯びている言葉であった。
嗚咽が漏れ出したので、闇が強度を増した。
場の闇のモヤがより危険なものに変わっていく。『R』は自分の身の危険を察し、部屋から出ることにした。
出る前に一言、『L』に告げる。
「めげるのではないでアールよ」
しかし嗚咽しか返ってこなかった。
返事を待っていたら自分の体がもたない。ゆっくりドアを開けて、急いで体を部屋から出した。
そしてモヤが他の場所へ浸透しないように、急いでドアを閉める。
「……し、死ぬかと思ったでアール…」
闇のモヤまみれの部屋から脱出しての第一声はそれであった。
冷や汗びっしょりだ。体も震える。もしかしたらあの闇に力を吸い取られてしまったのかもしれない。
ドアを背もたれにして、『R』はゆっくりとその場に座った。
「あんた、大丈夫なわけぇ?」
部屋の前にいたのは『B』と『J』であった。他の者はいない。自分の部屋に戻ったようだ。
『R』は二人がここにずっと残っていたことを知り、安堵の息を漏らす。
『L』のことを本当に心配しているのだなぁ…と実感させられたからだ。
「ワガハイは無事でアール。しかし他の者はこの部屋に入らないほうがいいでアール」
「やっぱりそうなのかジェイ?」
「私はイナゴのことが心配なんだけど、いっちゃ駄目なわけぇ?」
「無理でアール。とくにお前ら二人は"魔力が無い者"と"魔力が最も弱い者"でアール。Lの闇に触れた時点でアウトでアール」
「「…!」」
まさに指摘の通りだったので、二人は何も言えなかった。
苦い表情の二人を見やってから『R』が続けた。
「 L は相当まいっているようでアール。あそこまで元気が無いとは思わなかったでアール」
「……」
「反省はしているようでアールが、闇を生み出している涙は随時流れているでアール」
エキセントリック一族は、気力が無い状態で涙を流し続けると身体に詰まっている闇を放出する。
そのため『L』はあのような姿になっているのだ。
まだ『L』が泣いているのか、と知り『J』はぐいっと眉を下げた。
「い、イナゴが可哀想だジェイ…」
「………仕方ないことでアール。あのPと関わってしまったのでアール。結果は目に見えたも同然でアール」
「………………」
場が沈む。
『J』はあの現場を見ていたのでより沈んでいる。
『R』も間接的だが『P』の正体を知っていたため予測は出来ていた。『L』を止めれなかったことに対して悔やんでいる。
この通り無言になる闇たちであるが、突然『B』が体を覆っていたマントを払った。
包帯で包んでいる体がチラッと見えた。
「Bちゃん、どうしたジェイ?」
そのまま『B』が歩みだしたので『J』が後を追いかけながら訊ねた。
横顔を見ると『B』は目つきを鋭くして正面を睨んでいた。
口端から見える牙が光る。
「Pを殴ってくるわっ」
『B』の予測不可能な発言に『R』が勢いよく首を突っ込んだ。
「やめるでアール!お前は無力でアールよ!殴る前に消されるでアール!」
「うっさいわよチョビヒゲっ!私は今腹が立ってんのよっ!」
必然的にしがみ付いてきた『J』も振り払って『B』は『P』の部屋へ向かう。
どいつもこいつも世話が焼ける奴だ、と思いながら『R』も急いで手を打った。
廊下から影人間が生まれる。しかしあっという間に蹴散らされてしまった。
「邪魔しないでちょうだいっ!一発でも殴りたいのよっ!」
「Bちゃん危険だジェイ!やめるジェイ!」
「ワガハイの影をいとも簡単に蹴散らすとは…ある意味力はあるでアールな…」
先ほど『B』に向けて「無力」と言ったのを訂正しつつも『R』は手を打つのをやめなかった。
『B』の進行方向に影人間を立たせ、通せんぼをさせるのにもかかわらず、怪力パワーですぐに消される。
腰にしがみ付いている『J』を無視して『B』はズンズン歩いていく。
「無理でアール!Pはワガハイたちと違って、人間の黒い心によって生まれた闇の者でアール。ワガハイたちより数倍も魔力が強いでアールよ!」
「それが何だというのよっ!腕力では私の方が強いわっ!」
「しかし殴る前に魔術を喰らってしまうでアール!」
「喰らう前に殴るのよっ!あんたはどこまで心配性なのよっ!過保護すぎるわっ!」
「…ま、また言われてしまったでアール」
今回二度目の「Rは過保護すぎる」宣言。
本人は自覚がないようで少しショックを受けていた。
『R』が動きを止めている隙に『B』は『J』を引きずりながら『P』の部屋へと進んでいく。
しかし、ここでようやく『B』の動きが止まった。
「どこに行く気なんじゃ?Bよ」
すぅっと姿を現し、『B』の進行を妨げたのは『C』だった。
本を閉じて空気を自分のものへと変えた『C』はクク…と口元をゆがめる。
苦手な者の登場により『B』が舌を打った。
「あんたには関係ないわっ!そこをどきなさいっ」
「クク…Pの部屋に行くのか。あそこは危険な闇に覆われておる地帯じゃよ」
エキセントリック一族は大抵の者が相手の心を読める、『J』を除く。
『C』は『B』の心を読み、また笑いに深ける。
なので『B』が目の辺りを濃く顰めた。
「何よっ!何が面白いわけぇ?」
「クク…お前は死にいくつもりか?Pの元へ行くのはやめるんじゃ」
「あんたまでそんなこというのぉ?私はそこまで弱くないわっ!」
「魔力が使えん奴が強いとは思わないがのう」
「……っ!」
「ジェーイ!Bちゃんー喧嘩はやめるジェーイ!」
「これこれC、喧嘩を招く発言は慎むでアール」
「喧嘩?ワシはそのようなことがしたくて話しかけたわけじゃあない」
拳を握って歯を食い縛る『B』を見て、『C』はまた笑う。
しかしその笑いは不敵さが篭ったものではなかった。
『C』の枯れた声が軽く響く。
「Lのことは確かに残念だと思う。しかしワシらが何かしたってあいつの元気を取り戻すことは出来ない。ワシらは何もしないほうがいいんじゃ」
「…私は傷ついた友人をほっとけないのよっ」
「それは誰だって同じじゃ。ワシだってLのために何かしてあげたい。だけど今Lがあのような姿になっとるのは全て本人のけじめの無さが原因じゃ。Lが自分の過ちを復習しそれをバネに跳ね返ろうとしない限り、あいつはあのままじゃ」
「………」
「 L は自分との戦いをしとる。ワシらはそれの邪魔をしてはならんのじゃ」
「「………」」
『L』が立ち上がるまで、何もしてはならない。
そのような事を言われ全員が無言になる。
「それと、Rや。お前は少々過保護すぎる。今はもう L に関わるのは慎むんじゃな」
「……畏まるでアール」
今回三度目の「Rは過保護すぎる」宣言。
自分は相当な過保護者なのかと知り『R』は口をつぐんで、そのまま自分の部屋へと帰っていった。
『C』に注意を受けた『B』もそれ以後『L』の部屋前には行かなかった。
闇の空に浮かぶ光の存在、月に向かって心から祈るのだった。
重い想いが積み重なり、それはもろく崩れて塵となる。
部屋の3割は闇の中だ。そんな闇の核は涙を流している者。
ベッドに寝転がり、出来るだけ闇を布団へと吸収させる。
しかし闇の量はハンパではなく、すぐに漏れてあたり一面を海にした。
もう駄目だろうな。自分はこのまま闇の海に溶け込むのか。
全てを黒に変える、そんな闇になってしまうんだ。
怖い…。
怖くて布団にしがみ付く。
必死に掴んで圧力に流されないようにする。
闇の圧力ほど怖ろしいものは無いから、必死に必死に自分を見失わないように必死にしがみ付いて。
でも、ここで手を緩めてしまえば楽なのかな。
闇の海に流され闇となれば苦しくないのかな。
それでもう苦しくないのならば、手を放そうかな。
そう思った刹那だった。
「イナゴ、無事か?」
自分の真横には、『O』がいた。
いつから隣に座っていたのだろうか。全く気づかなかった。
寝込んでいる『L』を見るために、ベッドに顎を乗せている。なのでここからでは『O』は顔しか見えなかった。
いや、辺りが闇の海だから顔しか見えないのも当然なのか。きっと『O』の体は闇に埋まっているはず。
しかし、声を掛けられるまで存在に気づくことが出来なかったとは素晴らしく気配が無い奴だ、と『O』に対して驚いたけれど『L』はそっぽを向いた。
『O』の名前を呼ぶ。
「……死神か」
「誰も来なくなったのを見て、来た。さっきまではRやBちゃんがいたから」
闇を生み出している核の隣りに座って、『O』は苦しくないのだろうか。
この闇に触れて『R』だって苦しんでいたのに大丈夫なのか。
『L』はその辺りを気にしたけれど、話しかける気力もなかった。
だけれど何だか涙が出てきた。
「そんなに涙を流していると、力尽きるぞ」
すると『O』から指摘を受けた。
あまり指摘されたくなかった部分だったので、『L』は軽く笑って流した。
「これが涙だと言うのか?こんなの涙じゃない」
「そうかな?ぼくには涙に見えるけど」
「黒い涙なんか、涙じゃない。闇を作る道具だ…」
「否定的なイナゴを初めて見たなあ」
「………もう、全てを否定したい気分だ…」
もう一度寝返り打って、『O』と向き合う。
『O』はじっと『L』を見ていた。
心配そうに見ている。瞳が揺れているからそう悟れた。
「全てを否定してどうするんだい?」
「自分の罪の大きさを見るのさ」
「罪の大きさ?」
『O』が首を傾げて言うものだから、『L』は目線を落として布団を見た。
自分の涙のせいで黒くなった布団を睨む。
「彼女の光を護りたい、て言ったのに護ることが出来なかった。大きな罪さ。ウソをついた上に口だけ動いた最悪な男だよ…」
「そうだ。ファーストキスはどうだった?」
「涙の味がした。もう全てが最悪だ…」
「うーん…」
彼女に告白したのに…、光を護りたいと言ったのに…
一つも護れなかった。
彼女の苦しむ姿を見ていただけだった。
告白するときから彼女の笑顔を見てなかった。
結局ずっと笑顔を見れずに彼女を失ってしまった。
自分は、彼女の、涙、しか、見ることが、できなかった。
「イナゴ、髪色が黒いけどどうしたんだ?」
今から闇になるものに対して『O』の奴、のん気なものだ。
「いいんだよ、黒くていいんだ…オレには黒がお似合いなんだ…」
「黒が?ウソだろう?君には光の色が似合ってるよ」
「光なんて闇と比べると…ちっぽけなものだ」
全身黒い男に「光が似合う」といわれると何とも複雑な気持ちになる。
なので『L』は必死に全てを否定した。
あのときの事を思い出しながら呻く。
「あっという間だったよ…光が闇になったのは。光はどんなにも小さくても闇に勝てると思っていたのに、今回でそれは違うと思い知らされた」
「あれは闇の量が圧倒的だった。だから光がやられたんだ」
「そうかな。光は弱いんじゃないかな。弱いから髪色だって黒に染まったんだ…」
「黒髪のイナゴは何とも言えないなあ。早くオレンジ色に戻ってほしいな」
「無理言うなよ。オレは今から闇になるんだ…邪魔しないでくれ……」
「イナゴ…」
布団に顔を埋め、塞ぎこむ。
本当は闇になりたくない。だけれどもう遅い。ここまで闇が漏洩しているんだ。今更後戻りは出来ない。
もう闇になるしかないんだ。光になりたいと思っていたのに。『R』にも「光になる」と宣言しちゃったのに。
今の自分では光になれない。光を浴びることも出来ない。
嫌だ…。嫌だ………。
闇なんかになりたくない………。
光を浴びたかった。ずっとずっと光を浴びて生きていきたかった。
タンポポの光が本当に好きだった。だから浴びたかった。それで生きたかった。
それなのにその光を自分が消してしまった。この手で彼女の頭を貫いてしまった。
彼女を自分の愚かな力で奪ってしまった。
もう、立ち直れない……。
ゆさゆさと、体を揺さぶられた。
『O』が起こそうとしているのだ。しかしもう打ち返ることが出来ない。
むしろずっと布団に埋もれていたい。
少しでも闇が出て行かないように、と自分なりでの対処法。
なかなか『L』が起きないので、『O』がやがて声をかけてきた。
「謝ることが出来なくて、ごめん」
意味の分からない発言に、思わず顔を上げてしまった。
「何だよそれ…謝ってるじゃないか」
何だか可笑しくて吹き出ししていた。すると『O』が満足そうに頷いてきた。
「うん。笑っている方が君らしい」
それから『O』は、自分はあの事件の始終をすべて見ていた、ということを話した。
いや、一言で告げた。
「ぼくは馬鹿な奴だ」
『L』は闇色の涙を随時流しながらも、目を細めた。
「やっと自覚したのか馬鹿」
『O』の体を沈ませていた闇が少しだけ引いた気がした。
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『L』は四天王に立っているだけあって、闇魔術を使える闇たちに恨まれています。
一族内で最も敵が多い奴だと思うけど、そんな彼にはいい仲間がいます。
常に『L』のことを心配してくれている『B』、『L』を心底尊敬している『J』、そして『L』の良き話し相手であり理解者でもある『O』…。
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