上も下も右も左も分からない暗黒の空間に、僕はいた。
ここが一体どこなのかも分からず、呆然と立ち尽くす。

僕は一体、何をしていたんだっけ?

ここにいたって何も変わらないから歩いてみた。
上に上がっているのか下に下っているのか、それさえも分からない。
この場所に陸という物はあるのだろうか。
僕は陸に立っているのだろうか。
もしかしたらここは漆黒の空で、僕は浮いているのかもしれない。なぜなら足に触覚が走らないから。


ただたんに足を動かしていく。
前へ進もうとしているのだけれども、もしかすると足踏みしているだけかもしれない。本当に感覚が回らない。


どこかに人がいないかと、僕は声を張ってみようとした。
しかしそれはできなかった。


―――― …っ


声を出そうと喉を鳴らしてみても、そこから音は出なかった。僕の喉は空っぽだった。



これは一体なんだろう?
僕は何だろう?
僕は誰だろう?
僕は何をしていた人なのだろう?

僕は…人間?


足踏みをする。あたりを見渡しながら歩いていく。
誰かいないだろうか探してみる。
辺りに光はないか探してみる。
だけれど暗いままだった。




歩けば歩くほど僕には何も感じなくなる。
先ほど考えていたことも忘れてしまった。

僕はさっき何を考えていたんだっけ?


歩けば歩くほど僕は何かを忘れてしまう。
何か大切なものが僕から抜かれていっている。でもそれは何?わからない。
だって僕が何なのかさえもわからないのだから。

僕から抜かれた大切なもの、僕はそれが何なのか掴めたくて更に足を動かす。
だけれどその度また忘れてしまうのだ。


このまま全てが闇に呑み込まれそうだ。
黒いものに僕は支配されてしまう、そんな感じがする。

何だか僕の中も黒く染まっているようだ。そして黒いものは僕を空っぽにしていくのだろう。



もう、何故動いているのかも分からなくなってしまった。
どうして僕は歩こうと思ったんだっけ?
僕は何をしたかったんだっけ?


歩こう。
歩けばきっと何かと遭遇できるはず。


あれ、僕は今から何するつもりだったかな?忘れてしまった。

まあいいや。
とにかく、歩き続けよう…。







「待て。もう動くな」



闇の中ずっと歩いていた僕に誰かが声を掛けてきた。
しかし声は響いていて、どこから奏でられたものなのか分からなかった。
だから歩く。


「これ以上進むと危険だ」


声が僕に注意する。
するとピタッと足が止まった。
自分が意識して止めたわけではない。勝手に足が止まったのだ。
まるで誰かに操られているような……。

だけどそれはそのときだけだったらしく、今は自分の意識で動けた。
もう先には進まず、右足を左足の後ろも持っていって軽く回転し辺りを見渡す。

前から右、そして後ろへ目線を動かしてみたが、声の主は見つからなかった。黒いだけだった。
誰もいない……?
さっきのは幻聴…?


「どこ見てんだよ」


愉快に笑っている声が響かず聞こえてきた。
後ろだ。
先ほど向いていた方から声が聞こえてきている。
だから急いで先ほどの位置へ戻った。


あれ…誰もいない…?


「いるよ。お前の目の前に」


すると闇の一部が大きく歪んだ。
ぶぶっと闇が動き、それは固まりやがて人型をかたどっていく。

僕の目の前には人がいた。姿を隠していたようだ。



「ミャンマー。少年よ」


固体化した闇は僕にそう挨拶してきた。
シルクハットに周りの闇と一体化しそうなマントを身に纏った…声からして男だ。
黒い男が微笑み、マントを優しく靡かせながら宙を浮いている。
いや、ここが漆黒の世界で上も下も右も左も何も無い空間だから、浮いているのだ。
だから僕も浮いている。


「やっと見つけた。ずっと探していたんだぞ」


シルクハットの広いつばが男の目元を隠している。そのため鼻から下までしか見えなかった。
だけれどそれだけでも分かる。男は優しい口をしていた。
口元を緩やかに動かしている。


「歩き回ったらダメじゃないか。ここはお前が歩く度大切なものが抜けていく仕組みになっているんだから」


男の言っている言葉に驚いた。
一体ここはどこなのか、そして僕は誰なのか、僕は人間なのか、尋ねてみたかったけど声が出ない。
声が無い。喉が動かない。口も開かない。


「無理すんな。声を出そうとしてもお前の喉は今塞がれてしまっていて声が出ない状態だから」


驚く僕に男は優しく声を掛ける。


「声が出なくて寂しいか?」


無意識に頷いた。
すると男も承諾した。


「そっか。それなら声を取り戻そうか」


そして男は闇の中から手を出した、いや違う、黒いマントに隠れていた手を出したのか。
人差し指と親指を合わせた状態で男は僕の喉元に手を持っていく。


「…それじゃ、いくな。ワン、ツー、」


「スリー」とカウントした直後、喉元にあった指がパチンと鳴らされた。
すると僕の喉が一気に温かくなって気がした。
何かを取り戻した感覚がする。僕の喉を塞いでいた何かが溶けて僕はそこから無意識に何かを出していた。


「……あ…」


それは声だった。僕の声だった。
僕はずっと声を出したくて喉元がウジウジしていたらしい。開通された喉から声が次々と溢れ出ていた。


「あなたは誰?」


まず出た言葉がそれだった。
だけどそれより先に言わなければならない言葉がある。


「声を取り戻してくれてありがとう」

「ああ」


男が何をしたのか分からない。だけど男が僕の塞がっていた声を戻してくれた。
この男はきっと凄い人なのだ。
空っぽの頭の僕でさえもそれは分かった。だから礼を言った。

次に質問をする。


「すみません。僕って一体何なのですか?」


目の前にいるこの男のことも気になったが、まず自分のことが気になる。
僕は何だっけ?

すると男は首を傾げて苦そうに笑っていた。


「お前?お前は人間だろ。それも忘れてしまったのか?」

「…人間…。本当に僕は人間なの?」

「ああ。人間さ」

「……でも何も感じないんだよ…」


闇のような男に僕は不安をぶつけた。


「歩いていても感覚が無いし、記憶も無い、僕が今何をしたいのか、それも忘れてしまう。僕の頭も空っぽ。胸の中も体の中も空っぽ……まるで僕は人形だよ…」

「……」

「ねえ、おじさん。これでも僕は人間なの?」

「ちょっと待て。オレはおじさんレベルじゃないんだけどねぇ?」


だって顔が見えないからどんな人なのか全くわからない。
だけど感じ的に確かにおじさんではなさそう。

すると男は目深に被っていたシルクハットの前つばをくいっと上げ、僕に顔を見せてくれた。
そして僕は驚いた。
闇の色とは全く違うオレンジ色の髪の存在に。
目も大きくて優しい感じを匂わせている。頬には大胆な星模様。

僕の前にいる者は、顔立ちが整っている鮮やかな色の男だった。


「あ、すみません」

「いいって。んじゃお前のその不安についてオレが少しずつ解消してあげようか」


オレンジ髪の男はそう言うとまた人差し指と親指を重ねた。


「で、できるの?」

「できるさ。だってお前は元は人間だからな」


なんて笑顔の眩しい人なのだろう。


「お前は確かに今は人形みたいな形になってしまっている。だけどそれは魔術の力によってそうなっているわけで、それを除いてやればお前は人間に戻れる」

「ほ、本当?」

「だけど、あいつの魔術は強烈だから、オレでも取り除くことが出来るかはわからない。…まあ、体の一部一部を確実に取り戻してみよう」


そして男は重ねていた指同士を擦り、音を華麗に鳴らした。
すると僕の体が急に傾いた。足元に感覚が走ったのだ。
足の置き場が無いこの空間で僕は体を大きく反り返してその場に踏み留めようとする。

男が手を貸してくれた。


「大丈夫。ここは上も下もない空間だけど終わりの無い世界だ。落ちて体が潰れることはない。暫くしたらこうやって浮くことも出来るから」

「…あ、ありがとう…」

「突然体に感覚を取り戻したから、下の無いこの場に対して落ちる感覚を感じただけだ。慣れれば自然に体が浮く。だから暴れない方がいいぞ」

「う、うん…」

「あと何を止められているかな………ああ"力"もないのか」


僕の顔を見るなり男はそう判断した。すごい。確かにその通りだ。今の僕には力はない。
左手で僕の手を掴んでいる男はまた僕の目の前で右手の指を鳴らし、僕に掛かっている魔法の一部を解いた。


「これで力も戻った」

「…あ、本当だ……何だか力が漲っていく…」

「でもあんまり無理すんなよ。長い間魔法に掛かっていたんだから」

「うん。ありがとうお兄さん」

「はっはっは!いいってことよ」


お兄さんって言われて男は嬉しそうに笑っていた。よかった。


「さて次は何をとられているかな?」


そしてまた僕の顔をじっと見てくるため、僕は言った。


「…記憶が無い」

「……"記憶"か…」


すると男、僕に初めて難しそうな表情を見せた。
眉を寄せて、じっと僕の中を探っているみたいだ。


「……あのキモ『U』め……どこまで奪っていったんだ…!」

「え?」

「大切なもの奪いやがってんなあいつ…"記憶"を取り戻すのは一番難しいのに…!しかも結構な数だ……」

「……無理ですか?」


不安になってしまった。
僕はなくなっていた"声"も"感覚"も"力"も…いろんなものを取り戻すことが出来たけど、一番大切な"記憶"がない。

もう取り戻すことは不可能だろうか。


「…大丈夫だ。取り戻すことが出来る」


だけど男は前言を覆してくれた。
取り戻すことが出来ると言われて僕の表情も晴れた。


「本当?」

「ああ。だけど今回はお前の力も必要になるな」

「…僕の力…」

「腕っ節とかじゃなくてお前の心の力だ」

「…心の力?」


言っていることが難しくて僕は先ほどから口数が少ない。
対して男はよく口を開く。


「とにかく、目をぎゅっと瞑って目の裏に"自分の気持ち"をたくさん思い描けばいい」

「僕の気持ち?」

「そうだ。強い念があればあるほど記憶は戻ってくれる。どうだ?できるか?」



男が心配そうに尋ねてきたが、もちろん僕は頷いた。


「できます」


すると男は満足そうに目を細めるのであった。


「それじゃさっそくやってくれ。その間にオレが取り戻してやるから」

「ありがとう」

「礼を言うのはまだ早いな」


苦笑する男の言われたとおりに僕は目を閉じた。
目の裏に僕の気持ちを思い描く。

今の僕の気持ちは………


記憶の無い僕だけれど、無意識にこのような言葉が出た。










"みんなに癒しをあげたい"


"みんなに謝りたい"


"みんなとまた笑いたい"


"みんなと旅を続けたい"


"みんなと世界を救いたい"


"笑いを作りたい"




"このまま終わらせたくない…"










空っぽの頭が急に重くなった。
ズシっと来て、頭が下になってしまう。
頭にいろんなものが戻ってきて、これでは全く目が開けられない。

いろんなものが戻ってくる。大切なものが戻ってくる。
僕の宝物…

みんなの笑顔が頭に入ってくる。




「どうだ?戻ったか?」


男の声がして僕はハッと目を開けた。男の力だろうか、さっきは自分の力で開けることが出来なかった目が今は簡単に開けることが出来た。
知らぬ間に汗がにじみ出ている。頭も重くなって何だかズキズキする。


「頭が重い…」


答えにならない答えを返してしまった。だけれど男は陽気に笑っていた。


「はっはっは!それなら成功だ」

「え?」

「頭が重いってことは空っぽだった頭に何かが入ったって証拠だ。つまり奪われていた"記憶"が中に戻ってきたんだ」

「…!」

「言われた通りにしてくれてありがとな。おかげで手際よく作業が出来た」

「……」


言われて見れば確かに今では頭にいろいろ思い描くことが出来る。

そうだよ。僕は10年ほど前に心臓をとられて
うん、そうだ。家族も殺されたんだ。
だけど僕には心臓がないから死ねなくて

そうだよ、僕は心臓がないけど人間だったんだ。


仲間も出来て今僕は仲間と一緒に旅をしている。



そうだった。


僕の心臓を奪った奴は僕の夢の中に出てきて、僕の心臓のあった場所に魔術を埋めたと言った。
それだから僕は人形になりかけたんだ。



「ありがとう…!」


目の前にいる男も、心臓を奪った男…そうだ自称神!あいつと同じような衣装をしている。
だけれどそいつとは全く違う雰囲気を醸し出している。
明るくて温かい優しいオーラだ。
何て素晴らしくいい人なのだろう…。

この人こそ真の神だ、と僕は思った。



「神様、ありがとう…」

「待て待て!オレは神じゃないよ。神はちゃんといるから」

「だけど…」

「オレは魔術師だ。ただの魔術師」

「……すごい……」


頭の中が戻って、今の僕はいろんな感情が込みあがってきていた。
そのため興奮してしまった。


「人形になりかけた僕をここまで戻してくれるなんて…すごいよありがとう…!」


男は優しく笑うのみ。


「いやまだ礼を言うのは早いから」

「…でも…」

「なあ、お前。もう一つ大切なもの、忘れていないか?」


突然男に問われて、僕は目を見開いた。


「え?」


そしてとっさに僕はこう言っていた。


「心臓?」

「ゴメン、実体を取り返すことは出来ない…」


申し訳なく返事をされ逆に慌ててしまった。


「いや、すみません…欲が強すぎた…」

「ゴメンだけど心臓以外の何か、お前がずっとほしいとしていたもの、思い出せないか?」


男に問われても僕は思い出せなかった。


「え?…分からない…」

「そっか。永いこと流していなかったからもう忘れ去られてしまったんだな」


「え?何?」




「 涙 だよ」



ここで僕はやっと存在を思い出した。
10年前に心臓と共にとられてしまった涙。

これが無かったから僕は泣くことが出来なかった。


だけど、それは僕にいらないよ。

僕は笑顔さえあれば十分だから。



「なに強気なこと言ってんだよ」


すると驚いた。男が僕の心を悟ったから。
そして男は僕の気持ちを推理した。


「常日頃、泣きたかっただろ?皆が苦しんでいるのを見て泣きたかっただろ?本当は皆と一緒に泣きたかっただろ?家族が死んだときも、仲間が傷ついたときも本当は泣きたくてしょうがなかった。…そうじゃないか?」

「……!」

「もう強がらなくてもいいんだ。オレが解いてやるよ、お前の涙に掛かっている厄介な魔法を」



また目の前に重なった人差し指と親指を持ってきて


「それで、思う存分泣きな。涙を流すってこともたまにはいいと思うぞ」


パチンと指を鳴らすのだった。

















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『L』がかっこよくてドキドキする…と友人たちと盛り上がってました(笑

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