「じゃ、面倒くさいけど学校に行ってくる」


やはり猫は朝が苦手のようだ。
朝食を済まして暫く何もしていなかったら眠気が来たようで、学校に行く時間では既にまぶたが半分おちている状態になっていた。
それでも学校に行こうという意識はあるらしくレオは微妙にふらつきながらも靴に足を突っ込んだ。
そんなレオを見て、玄関先に立っているイナゴが不敵に笑みを広げていった。


「学校に行けば愛しのリッキーがいるんだから楽しんでこいよ」

「うっさいな黙れ!」

『2人の姿をアタイらは遠くからでも眺めておくでヤンス』

「だから黙れって!」


イナゴとタンポポに冷やかされることによりレオは微妙に目を覚ましたようだ。
しかし、玄関のドアを開くときに大きくあくびをしているところを、後ろからでもうかがえた。


「いってきます」


家の中にいるイナゴたちに顔を合わさずレオは真っ直ぐと外に浮かぶ空だけを見て、挨拶をポツリと呟いた。
それでもイナゴたちには聞こえた。
だから「ミャ…いってらっしゃい」と、一瞬喉を詰まらせながらもイナゴたちは手を振って、挨拶を交わすことで別れた。



「何だ。恋する陰険男は学校に行ったのか?」


そのころ、家事を済ませたランが体に巻いていたエプロンをたたみながら玄関先にやってきた。
レオは既に学校に行っているために、イナゴたちが頷いて答える。


「悪いな。レオは恋に忙しいんだ」

『そうでヤンスよ。朝早く行けば例の彼女に会えるからさっさと行っちゃったでヤンス』

「そうか、恋は盲目なんだな」

「本人は自覚ないみたいだけどな」


はっはっはっと愉快に笑ってから、イナゴも玄関に並んでいる靴に足を突っ込んだ。
つま先を立てて靴の奥に足を突っ込んでいくイナゴの姿を見て、ランは眉を寄せた。


「お前もどっか行くのか?」


イナゴが頷く。


「ああ。今は俗に言う登校時間だ。つまり女子高生が外を出回る時間帯。だから、行くんだ」

「その理屈がよくわかんねえよ」

『許して欲しいでヤンス。イナゴはこれが生きがいでヤンスよ』


レオがドアを開けっ放しで行ったので、ドアに手を掛けなくとも外の景色は広がっていた。
そういうことでタンポポがイナゴより先に外の景色に溶け込んでいく。
外に出て行ったタンポポの後を追うようにイナゴも歩きながらであったが急いで外に出て行った。


「まあ、そういうことでだ。オレもちょっと出かけてくるな」


一瞬呆気にとられていたランも、既に外に出ている相手の腕を無理矢理引っ張るわけにも行かず、結局イナゴとタンポポを見送る形になっていた。
「いってきます」と手を振るイナゴの隣に浮かんでいるタンポポに手を振り返して、ランは玄関のドアを閉める。
食事を取るときはみんなでわいわい騒ぎあっていた家の中も、今ではラン一人になっていた。


「気づけば一人だな」


玄関の段に腰を落とし、ランの深いため息が地面にぶつかる。
ため息の音も響くほどに静まり返ってしまったこの場に、昔を思い出す。


「いつもこの家に帰るときは一人だったか」


家族はランより先に成仏してしまっているため、ランは生きている間ずっとこの家で一人、暮らしていたのだ。
しかし、思い出すものはそれだけではなかった。
嬉しい思い出もあるのだ。


「いつも一人だったけど、最近あいつが来ていたな」


それを思い出すことにより、ランの腰が自然に起きた。
立ち上がったがすぐに行動には移さず、じっと地面を睨むのみで。


「………」


無言ながらに歯痒そうにランは地面を睨み続けた。
頭の中で一人、葛藤を起こしているようだ。
その葛藤は何に関するものなのか、それは本人にしか知ることができない。

暫く無音が続く。
不意に何処からか入り込んできた風が体に打ち付けてきてもランは動じない。
むしろ風が彼を通り越して奥にある風景をゆがめるのみ。
ランが立つことは決して障害にもならず、自然の一部と同じ存在だ。

それが、今のランを勇気付ける力になった。


「…よし、決めた」


まさに存在がない幽霊ということを利用して、ランは一歩前に足を出した。
それから一歩一歩、確実に手を伸ばしていく。それはドアノブに。
外へ繋がるドアノブまで手を伸ばして、やがて開ける。
ちなみにこの家はイナゴの魔術によって綺麗な姿で蘇ったものであり、いわゆる本来の姿ではない。魔術の力を利用して美しい姿に化けた家だ。
だからこの家はずばり魔術を覆い被った家。
イナゴの魔術は神秘なる力を持っているため、存在のない幽霊だろうが関係なく、この家にあるもの全てに触れることが出来た。
だから朝食時もフライパンを持つことが出来ていたのだ。


ドアを閉めたとき、ランは外の世界に立っていた。
日差しが強い朝の時間。
清々しい時間。


そして、目に入る彼女の眼差し。


その存在に気づいて、ランは目を見開いて、喉を詰まらせた。
それでも恐る恐る、囁いた。



「…………お前…」


家の門構えに立っていたのは、高校の制服を身に纏った女だった。
しかし女の顔は優れていない。何だか悲しい色を帯びた瞳をランの家に向けていた。


「   」


ランが縦横に唇を揺らした。
たった三回の口の動きは女に向けて放たれたものだった。
けれども、女は何も反応を見せない。
当然だ。ランは誰にも見えない存在なのだから。
否、実際に霊感があるものであれば見ることが出来るのだが、そんな人柄はそう多くはない。
だから彼女だってランの姿が見えないのだ。

誰もいない家を眺めて、
実際にはランが玄関前に立っているのだが、女はそれに気づかず、
ただただ、悲しい表情をしたまま、去りゆくのだった。

急いでランも彼女の背中を追うが、結局は門の前で足が止まり、彼女の背中をその場から眺めることしか出来なかった。
追いかけていくことが出来なかった。
ランはこれで分かったのだ。
自分が彼女には見えない存在なのだということを。
だから追いかけて手を伸ばしても彼女を掴むことなど、雲を掴むことと同じであることに、気がついた。

それが、悲しかった。


しかし、それでもよかった。


「……」


ランは無言。
彼女を背に置いて歩み出した。
誰にも見えない存在だということを、先ほどで確認できた。
だからこそ、行くべき場所があった。


それは、彼女が来た道。
たどっていけば巡り会う場所へ。


「別に用はない。ただ、思いだしたいだけなんだ」


ランの独り言は、空の中へ。




。 。 。



登校していると、後ろから声を掛けられた。


「おはようレオくん」


振り向くとそこには太陽があった。リクの笑顔だ。
レオは何気にリクに声を掛けられることを待っていただけに、眠りかけていた表情も一気に和らげた。


「おはよう内海さん」


レオが挨拶を返すと、リクがふふっと口先で笑ってから駆け足でレオの横に並んだ。


「今日も良い天気だね」

「うんそうだね」

「雲ひとつない空だし、暑くなりそう」

「…暑くなるのか。嫌だな…」

「え、レオくんって暑いの苦手なの?」


質問されてレオは「もちろん」と答えた。
猫は環境の変化が苦手なのだ。
暑いのも苦手だし寒いのも苦手。猫は贅沢な生き物なのである。

だから、こうやってリクの隣に立つことも実際に苦手であって緊張するものなのだ。
知らぬ間に汗が頬を伝っていく。

その汗を見てリクが笑い声を高めた。


「本当に暑そうだね!じゃ、日陰を歩こうか」


レオの腕を引いてリクは陽に当たって出来た影が伸びている黒い地帯に足を踏み入れていった。
引っ張られているレオはとにかくリクの手から逃げたかった。
リクに会うことは嬉しいことのはずなのに、最近自分でも自分のことが分からなくなってしまっている。
今日なんかリクが隣にいるだけで緊張の汗を流してしまうほどだ。
本当にここ最近、レオはおかしくなっている。

完全に日陰に入ることにより、リクがレオの腕から手を離した。
それにどっと安心してレオは大きく息を吐く。
リクはまた笑うのであった。


「レオくん、本当に暑そうだったね!だけどここは日が当たらない場所だから安心してね」


レオが汗を流していた理由は彼女が原因であるのだが、さすがにそんな告白が出来なくて、レオは仕方なく頷くことで事を済ませた。
しかし実際に木陰を歩いていると汗が流れることは、なくなっていた。

暫く陽のない場所を歩いていく。
隣に笑顔という太陽が輝いているため、陽がないことに全く違和感を感じなかった。

やがてリクがその笑顔を近づけてきた。


「ねえ、レオくん。今度の日曜日のことなんだけど」


突然の接近にレオは思わず身を引いてしまう。
そのためリクが一瞬笑顔を崩した。
笑顔が悲しみに染まったことに気づいてレオが慌てて「何?魚パラダイス?」と応答した。
するとリクの笑顔が再び活気を取り戻す。


「魚パラダイス?水族館でしょ?あはは、レオくん面白い」


面白いといわれてしまってレオは言葉を失った。
それは怒りのために湧き起こったものではなくて、ただの照れだ。

数日前の自分がまるで偽りのように、今の姿はあまりにも悲惨なものだ。
リクの笑い声を聞くだけで自分が壊れてしまいそうだから。

それが、もしかしたら怖かったのかもしれない。


「別に僕は面白くなんかないよ」


思わず口からこぼれた言葉に、自分でも驚いた。
彼女の言葉を否定してしまった。きっとリクの笑顔が崩れてしまったに違いない。
そう思って急いでリクの顔色をうかがってみたが、リクの表情は相変わらず笑顔のままだった。


「ううん。面白い。レオくんと一緒にいると楽しいよ」


リクの気持ちを聞いて、レオは口を閉ざした。
ただ単に、恥ずかしかったのだ。
数日前まで、リクの笑顔でさえも恐ろしいものにみえたために人間を始末しようと思っていた自分が、今では恥ずかしいものに見えてしまう。

けれどもこういう感情を持つ相手はきっとリクだけであろう。
トオルとかが目の前にいれば首を絞めかねない。
自分という生き物が、本当に分からなくなってしまっていた。

 これから先、僕はどうすれば良いのだろう?
 ただ、太陽のような笑顔を求めるためにリクについていくか。
 それとも自分の嫌いな部類の人間を、始末するか。


 ほかには?



無意識に、こう思った。


「そうだ、内海さん。うちの学校の高等部って僕らでも見学することが出来るかな?」


唐突な質問に、リクは一瞬目を丸めたがまた笑顔を持ってきた。


「出来るよ。私たちだって来年は高等部の方になるんだから」

「あー、そうなんだ」

「うん。あ、レオくん高等部に興味があるの?なんなら私が案内してあげようか?」


リクがそうやって誘ってくれたが、レオは首を振って断った。


「いや遠慮しとくよ。ちょっとやりたいことがあるんだ」


レオの答えを聞いて、リクは内容を探ってみたそうであったが、礼儀を知っているためにこれ以上問いかけることはなかった。
ただ、笑顔をずっと向けるだけで


「そっかあ」


ちょっと残念そうな口調で呟いてみせるだけだった。
そんなリクに気づかず、レオは頭の中でこう思い描いていた。

ランは高等部の2年生だったから、そこに行けば情報を掴めるかも知れない。


レオは、昨夜ランが思いを寄せていた彼女のことを知りたいために高等部の見学に行くことを決めていた。
やがて、木で隠れていた太陽が顔を出してきて、
学校の門も一緒になって見えてきた。

決心を懸けた戦が今から始まる。







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『決心』でした。
レオが見る見るうちに可愛くなっていきます(笑


(05/09/30)





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