「見ちゃったぞレオ!今日もまた見ちゃったぞー!」
『またまたリッキーと二人きりで下校でヤンスか!可愛いでヤンスねー』
「いいよな。オレも大好きなあの子と一緒にうふふあははと言い合いながら下校してみたいものだ」
『あんたの場合じゃ相手の女の子が毎日のように変わっていそうで怖いでヤンス』
「何言ってんだよ。オレはダンちゃん一筋だから。ダーンちゃーん!」
『ウザイでヤンス!近づくなでヤンス!』
「…お前ら、用がないなら僕の部屋から出て行け」
家の玄関を開けると「待ってました」と言わんばかりにいい笑みを浮かべたイナゴとタンポポがレオの帰りを出迎えた。
ずっとニヤニヤしながらレオの背後につき、やがてレオが自分の部屋のベッドに寝転がったのを見計らうとすぐさま愛について語るこの二人。
そのためレオは布団で顔を覆いながら言葉で奴らを蹴散らした。
「今日はいろいろと疲れたんだ。寝かせてよ」
「お、勉強のやりすぎで疲れたのか?いいことだよ勉強は。オレも勉強は好きでさー」
「違う!僕は勉強なんて嫌いだ!」
ニヤニヤをやめないイナゴを陰険な目で睨むために埋もれていた顔を掘り出してレオは言い放った。
「お前らが学校に来なければよかったんだ!お前なんか嫌いだ向こう行け!」
「…え?何でオレお前に嫌われなくちゃいけないんだ?オレは何もしてないじゃん」
「した!めちゃくちゃした!内海にお前のことばれてしまったし変な誤解されてしまった!」
「………」
「しかも内海が余計僕の後をついて来るんだ。どうしてくれんだよこのキャラメル頭!」
「きゃ、キャラメル頭だと!この綺麗なオレンジ髪のことを汚いキャラメル色と言うとは無礼だな?!」
「もーうっさいよ!向こう行け!うわあああああん!!」
「えええ?!泣いたぁ?!」
『どうしたでヤンスかレオ!』
怒鳴ったと思ったら突然泣き出してしまったレオ。
変貌の凄まじさにイナゴはもちろんタンポポも驚いた。
レオは布団の中に吸い込まれるように身を沈めていく。もがく度、体は布団に埋もれる。
「…僕はどうかしてしまった……」
埋もれながらレオは、意地でもその場にいる二人に向けて呻いた。
「自分でもよくわからないんだ。僕は人間が嫌いで人間に復讐しようとずっとずっと思っていた。だけどその気持ちもいつの間にか消えていたんだ」
「…」
「内海の笑顔が全てを癒してくれたんだ」
『…』
「最初は内海を真っ先に始末しようと思ったんだ。あいつはクラスの学級委員長だからいわゆるクラスのボスだろ?だから始末しようと心を黒くしていた。だけどあいつは自分が憎んでいる人間とは程遠い存在だったんだ」
レオは放つ。
言葉一つ一つを、慎重にイナゴとタンポポに伝える。
イナゴはエリート魔術師のようだし、もしかしたら自分を救ってくれるかもしれない。
泣いた衝動でレオの心は先ほどとは全く違う答えに導かれていた。
先ほどまでは1人になりたいと思っていたけど、1人になったらいけないということに気づいた。
この気持ちを抑えきれない。とにかく誰かに聞いてもらいたかった。
今の自分の心情を知ってもらいたかった。
だから語る。
そしてイナゴもタンポポも、聞き入れる。
「学級委員長だからなのか僕に妙に絡んでくるんだ。ホント余計なお世話だよ。だけどあいつは常に楽しそうに僕に話しかけてくるんだ。同じ笑顔を保ってずっとずっと」
「それで?」
「それで…」
イナゴの問いかけに、レオはきちんと答えた。
「僕は自分が一番何を望んでいたのか、知ることが出来た」
「…」
「僕は温かい笑顔をずっとずっと求めていたんだ」
「笑顔、か」
「内海のような笑顔をずっと前から望んでいた。だから僕は人が笑っているのを見て無意識に至福を感じていたんだ」
「それで」
ここでイナゴは訊ねた。
「お前は何が言いたいんだ」
「それは」
レオは答える。
ついには布団を頭から覆って。
「僕もよくわからない」
「…何だよそれ」
「変だよな僕。……突然変なこと言ってきてごめん。何となく今の僕の気持ちを誰かに聞いてもらいたかったんだ」
『青春でヤンスねぇー』
「そうか、誰だってそういうときもあるさ」
「…うん…」
口が、密封された布団の空間にあるためレオの声は篭る。しかし布団がなくともレオはきっと篭った声をしていたに違いない。
それほどまでに力のない声。だけれど気持ちを伝えたくてウジウジしている声。
レオの今の心情を知り、イナゴはレオのベッドに腰掛けた。
いつも被っているシルクハットを外してクルクルと指先で回す。ボソッと呟いてみせた。
「これは普通に、恋だな」
イナゴに断言され、レオは布団の中で顔を赤めた。
「違っ…!」
「まあまあ、そうやって自分を見失うな。今はゆっくりと心身休めとけよ」
「…」
「今のお前のこと、知ることが出来てよかった。話してくれてありがとな」
「………」
山になっている布団にポンッと手を弾ませレオに礼を述べるとイナゴはシルクハットを元の場所に戻し腰を上げる。
それからすぐにタンポポと一緒に部屋から出て行った。
レオは1人になる。
「…………………………………」
布団が湿っぽくなる。
涙が濡らしているのだ。人肌程度の温もりが目から液体となって周りを濡らす。
もう、限界だった。
自分の異様さに気づくのがあまりにも遅かった。
いつからだろうか、こんな気持ちを持つようになったのは。
僕は黒猫。
人間が嫌いな黒猫。記憶は消えていたから朧だったけれど、人間のことが嫌いだったという気持ちは持っていた。
人間に何をされたのか、思い出してみるとそれはそれは酷なもの。
僕は人間に虐められていた。黒い猫は不吉だから消してしまおうと子どもが僕を虐めてきたんだ。
黒猫は損するばかりだ。
対して白猫は得をする。綺麗だからだ。純白は美しいものだから好かれる。だから白猫は周りから優しい目で見られていた。
だけれど黒猫は違う。だれがあんな不吉な噂をまわしたのか。黒猫は損するばかり。
皆、黒猫を見ると不吉がって避ける。それは別に良かったけれど子どもはこれまた違う。
子どもは嫌いなものにはとことん手を出す。だから僕は傷だらけになっていた。
ずたずたにされた僕の心身。
だから僕は人間が嫌い。
いつか必ずこの手で復讐しようと思ったんだ。
だけど思えばその気持ちは持ったらいけないものだと気づいた。
僕は黒猫のときにあれを経験した。
だからそれ以来、人間を嫌いじゃなくなったんだ。
僕は死ぬ前に一度は人間を好きになれたんだ。
それは雨の日だった。
僕は雨に濡れながら小さな路地を歩いていた。
体はやはり傷だらけ。今日も人間の子どもに虐められたんだ。
外見からは見えないけれど僕は泣きながら雨に打たれていたんだ。
雨は全てを冷たくする。だから雨は嫌いだった。
体が濡れて力が出ないし、もう何もかも嫌だった。
そのときだった。僕の心身を打ちつける雨が消えたのは。
急に晴れたとも思わなかったし、雨がなくなった原因が最初は何か分からなかった。
だけど顔を恐る恐る上げてみると、見えた。人間の子ども。
人間が僕に傘を傾けてくれてたんだ。
僕は自分の目を疑った。
ありえない。人間の子どもが僕に傘を向けてくれるとは思ってもいなかったから。
信じることが出来ない。それなのに人間は僕を抱いて冷たい体を温めてくれた。
その日以来、僕は太陽の下で暮らせるようになった。
飼い猫ではないけれどその子どもはいつも僕の元にやってきて遊んでくれるんだ。
ロープを揺らして僕とじゃれあってくれた。
嬉しかった。
人間のことを好きになれた瞬間だった。
世の中がこんな人間だらけであればいいと思えた。
その子の笑顔が眩しくて、それが僕の太陽となった。その太陽にずっと照らされていたいと思えた。
それなのに、悪魔は舞い降りてくる。
僕は悪魔の子どもに追われて、そのときに車にはねられて、死んだ。
そして気づけば僕は形のない光。光の存在となり、街を彷徨い、空を泳いでいた。
記憶は幾つも飛び、残ったものといえば人間への復讐。
本当は消えたはずのその気持ちが、あの子どもと出会ってからは人間を好きになれた僕の気持ちが、
ひっくり返った。
消えたものが復活し、在ったものが消滅した。
あぁ、そうか。
内海の笑顔はあの子どもと同じように、太陽の心を持った笑顔だったのか。
だから心引かれたのか。
「そうか、なるほどな。欠片が生じればモノの全てはボロボロと化する。レオの記憶もそれと同じで、死んだときに幸せだった時間の記憶は裂けてしまってボロボロと粉砕してしまったのか。それで最終的に残った記憶というものが、最初に持っていた強い気持ち…人間に復讐するという気持ちだったというわけか」
2階にあるレオの部屋から抜けたイナゴであったが、キッチンにいる今でもレオの気持ちを悟ることが出来た。
タンポポにはそれは出来ず、疑問符を頭に浮かべている。
イナゴが1人で解決していく。
「消えてしまった記憶だけど大切な部分を取り付けることが出来れば記憶は全て元に戻る。今のレオはまさにそれか。レオは自分が一体なんだったのか思い出せたんだ」
テーブルに膝を立て、頬杖ついてイナゴは微笑を溢す。
「レオは人間が好きになれたのか」
そして
「今は純粋にリッキーに恋したか」
これから先、面白くなりそうだ。と口元だけで笑い、目を閉じる。
タンポポはやはり呑み込めず、だけれどレオがリクに恋をしたということは分かり、同じように目を細めた。
レオは眠りについた。
目の裏に映ったのは黒猫。
黒猫時代の自分の姿が目の前にある。
その黒猫は、とてもとても幸せそうに表情を歪めていた。
太陽の下で、幸せそうに…幸せそうに。
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(05/01/24)