首だけを後ろに向けていたレオだったが、後ろの「見えたらいけないもの」の正体が分かると、体ごと空へ繋がる窓に向けた。
肩を抱いていたのでリクも一緒になって同じ方向を向くハメになる。


「や、やめてよレオくん…!そこには…」

「怯えることはないよ内海さん」


ガチガチに震えていたリクにレオは言った。表情を顰めて。


「奴は幽霊でもなんでもないよ。ただのバカだ」


目は真っ直ぐに幽霊だと思われていた黒いものを睨んでいた。
睨まれた黒い者はビクッと体を震わせ、隣にいるぬいぐるみと身を寄せる。
それはまるで子どもの兄弟が親に叱られたときの行動と似ている。


「ば、バカとか言うなよ!失礼しちゃうな!」


しかし黒い者はぷんすか怒っていた。


「は?僕は事実を述べただけだ。お前なんてバカの手本になれるような奴だ」

「レオが虐めるー」

「まあまあ、レオは思春期であり反抗期でもあるでヤンス。これは仕方ないことでヤンス」

「お前も黙れよタンポポ!」


キーッと歯を食い縛るレオに肩を掴まれているリクは目をまん丸にしていた。
それはそうだ。
幽霊だと思っていた謎の人物にレオが顔色変えずに平然と話しているのだから。
しかも初対面とは思えないほど親しくしている。
あのレオが普通に話し込んでいる。これはリクにとっても他の人にとっても驚くべき光景であった。


「ね…ねえレオくん…?」


くいくいレオの裾を引いて、リクは気になったことを怯えながらも訊ねてみた。


「それって幽霊じゃないの…?」

「まさか。あれはただのバカだ」

「待て。『それ』っていう言い方も『バカ』という言い方も失礼だぞ!オレを何だと思ってんだ!」


自分の扱われようが気になり鋭く突っ込む黒い者を目の当たりにして、リクはさらに目を丸くした。


「それじゃ、あなたは人間なの?」


まさか空を飛べる人間なんているはずない。
しかもこいつは「見えたらいけないもの」なのだ。
リクは生まれつき霊感の強い人間らしく、幽霊など透明なものが見えてしまう。

今のこいつには普通の人間の感じがしない。
これは何?


「オレ?オレは幽霊でも人間でもない」


ふふっと軽く笑うと黒い者は頭に深く被っていたシルクハットのつばをくいっと軽く持ち上げる。
そこから見えた姿にリクは小さな悲鳴を上げた。


「…ウソよ。そしたらあなたは……?」


幽霊というものは表情がない。常に悲しんでいる顔か、怒っている顔か、もしくは笑っている顔。
しかしいま目の前にいるこの黒い者は表情豊かだった。生気がある時点でこいつは幽霊ではない。

だけど空を飛んでいる。人間でもない。

何なの?


そのころレオは、今までずっとリクの肩を抱いていたことに気づき、慌てて振り払っていた。
顔は紅潮しているようにも見えるが、元が顔色の悪い子なので、外からでは分からなかった。

手荒く扱われ、リクは少しよろめく。しかし目はじっと窓一枚向こうの世界にいる黒い者を見ている。
そんなリクから少し離れてレオが言った。


「こいつの言うとおりで、こいつは人間でも幽霊でもない。ただのバカだ」

「お前はいつまでオレを甚振れば気が済むんだ?しかも『バカ』っていうときやけに憎しみ篭ってないか?」

「気のせいだよ」

「…ま、いいや」


いつまで突っ込んでも『バカ』という言葉を消してくれないレオに対し黒い者はそう諦めると、そろそろリクに自分の正体を教えてあげた。
リクはじっと真剣に黒い者の顔を見ている。
黒い者も同じく見ている。ニッと口元をゆがめて。


「オレはこの世界の者じゃないんだ。別世界の"魔術師"だ」


思いもよらなかった回答にリクは瞬きをするのを忘れてた。
ありえない。まさか別世界の者がこの世界にいるなんて。
魔術師という者もおとぎ話の世界の人物だと思っていたのに、これはまさか夢?


「夢じゃないよお嬢さん。オレは現にこうやって姿を消しているんだから」


リクの心の声を悟ると黒い者は幽霊の如く、自分らの間を遮っていたガラス窓をすり抜けてきた。
隣にいたぬいぐるみはそれは出来ないらしく、空の世界に佇んでいる。

予鈴が鳴ってしまったがこれは動けずにはいられない。
しかも逆にこれは幸いだ。これでこの不思議な光景を誰にも見られないで済む。
…いや、見られたとしてもこの黒い者の存在は見えないであろうが。

顔色一つ変えずに通り抜けてきたこの黒い者。楽しそうに表情を緩めてこちらまでやってくる。
レオはその度目の辺りを顰め、リクは思わず後ずさり。しかしそれはできなかった。


「逃げなくても大丈夫だ。オレは何も悪いことはしない」


リクの足は止まってた。違う。止められていた。
何故か分からないけど、動けない。その隙に男は目と鼻の先までやってきていた。


「なるほどな。霊感が強いのか。だからオレのことが見えたんだな。…あー驚いた。姿消してたのに人にオレらのこと見られるなんて思ってもいなかった」

「……」


陽気に声を漏らす黒い者だけどリクは怯えていた。体は動けないけど表情だけでもそれは伝わる。


「だから、怯えるなって」

「そりゃ誰だって怯えるでヤンスよ。あんたもうちょっと丁寧に女の子を扱うでヤンス。金縛りだなんてタチ悪いでヤンス」


窓越しからぬいぐるみが声を掛けてきた。
なるほど、リクは金縛りをかけられていたのだ。それなら動くことが出来ない理由も分かる。

するとレオがすぐに口を出してきた。


「何お前金縛り使ってんだよ!さっさと解けよ」

「そう慌てるなって。あんまりオレの邪魔するとお前にも金縛りかけるぞ」

「…」


脅され思わず口を閉ざすレオ。そんなレオはじっと黒い者の手を見ている。
右手の親指と人差し指が合わされている。あの形は何度か見たことがあるからだ。

その手の形は確実にリクに向けられている。


「……な、何……?」

「お嬢さん、名前は?」


突然の問いかけにリクは唇をキュッと噛んだ。
答えていいものか迷っているのだ。
ちなみに、金縛りは体に掛けられているだけで顔には掛けられていないようだ。そのため口も開くし声も出せる。


「おい、よせってバカ」

「バカって言うなこの陰険野郎!」

「陰険って失礼だなこいつ…!」


口で言い争いはするものの、レオも黒い者も目線は全く合わせていない。先ほどの位置のままだ。
やがてリクが固く閉ざされていた口を開けた。


「私はリク…内海 陸です」


名前を聞けて黒い者、邪悪の一欠けらもない優しい笑みを溢した。


「リクか。なら『リッキー』だな」

「え?」

「は?」

「よろしくリッキー。オレの名前はイナゴ。陽気な魔術師イナゴだ」


そして黒い者は自分の名を名乗ると重なり合わせていた指を強く擦り、パチンと鳴らす。

刹那の出来事だった。
リクの両手のひらには大量の花束が溢れていたのだ。


「え…」

「オレからのプレゼント。まさかこっちの世界でこんな不思議な子とめぐり合うことが出来るなんて思ってもいなかったからさ」

「…」

「勝手に金縛りかけてすまなかった。だけどもう動けるよ」


黒い者…イナゴの言うとおりであった。
リクは動けるようになっていた。宙に浮いていたかかとが自分の意思で地面につく。
しかしリクは動けなかった。両手一杯の花束に目を奪われていたからだ。


「ありがとう。イナゴさん」

「いや、『さん』つけないで、呼び捨てでいいよ。ってか今まで一度も『イナゴさん』って呼ばれたことないから」

「それじゃあ私がそれの第一号になるよ。『イナゴさん』って呼ばせて」

「……可愛いなリッキーは」


イナゴがそういうとすぐに突っ込んできたのはレオと後ろのぬいぐるみ…タンポポだった。


「何ほざいてんだ!内海さん、そんな汚い花とっとと捨てちゃっていいから!」

「イナゴはいっつもそうやって女の子を口説くから困るでヤンス!ほら、さっさと帰るでヤンスよ!」


だけどイナゴは笑うだけだった。


「はっはっは!まあ気にするなって。リッキーも気にしないでいいからな」

「あ、はい…」

「ってか、その花束は驚かせてしまった詫びと口止め料ね」


口止め料?


「お願いだから、他の人たちにはこのこと言わないでくれないか?あ、何ならこいつのこと何でも話してやる、これを条件にして。お願い…」

「こら!何勝手なことを…!」


きっと他から見たらこのイナゴの姿は見えないであろう。
イナゴは今一生懸命手を合わせてペコペコ頭を下げている。
そしてレオは目を鋭くしている。何気にレオにも透明になっているイナゴを見ることが出来たらしい。

リクはイナゴの魔術によって手のひらに出された花束をじっと見る。
綺麗な花。こんな綺麗な花見たことがない。

そしてこの花を見たところで分かる。この人イナゴは悪い人ではない。
なぜなら綺麗な花を出すことが出来るからだ。悪い人ならきっと花束なんて出せない。
それから、自然にあんな笑みを溢すことも出来ない。

だからリクも笑うことが出来た。
いつものお得意の笑いを一杯に溢した。


「分かったよイナゴさん。私ほかの皆に言わない」

「ありがとうリッキー」

「だけど私からのお願いも聞いて」


そしてリクは、ずっと気にしていたことを訊ねたのだ。


「あなたはレオくんの何なの?」


するとイナゴは目の色を変えた。


「それを聞きたいなら、ちょっと場所を変えようか」


またパチンと指を鳴らし、魔術を繰り出した。
ぶんっと視野が歪む。大きく右に世界が歪み、左から新しい世界が出てくる。
それは見覚えのある場所だ。

外だ。いや、外でも空に近い場所だ。

瞬きをした瞬間、場所は学校の屋上へと変わっていた。



「…わ…すっごーい…」

「おい、イナゴ何を考えているんだ!」


感嘆するリクに対してレオは怒鳴っていた。
それはそのはず。まさかリクに…。


「いいじゃん。そのうちばれるとは思っていたし、この子にならレオのこと話してもいいと思ったからな」

「こいつ…!」

「まあまあ慌てるんじゃないでヤンスよ。この子…リクちゃんの目を見ても分かるでヤンス。絶対にあんたの情報は他には漏れないでヤンスよ」

「…そんな問題じゃないよ…!」


レオは怖かったのだ。
自分の正体を知られるのが。

自分は黒猫。
人間じゃない。作られた者。


本当は人間を怨んでいた者。

だけど今は人間を怨めなくなっている。


全てはリクの存在があったから。



リクに自分のことを知られたくない…。



どうしてイナゴはリクを屋上に連れてきたのだ?
自分とイナゴたちの関係といえばたった一言で済むはずだ。
「一緒に同居してるんだ。オレたちがレオの保護者だ」と。

それなのにどうしてここに連れてくる?




何を言う気なのだ?




不吉は不吉に重なって。

レオは強張り、リクは慎み、イナゴは優しみに笑う。


「オレらとレオの関係は」


優しい口元はつうっと左右に吊り上り。



「家族だ」



イナゴの口から出された回答に、レオは少しだけ安堵の息が漏した。








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(04/12/14)





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