粘り気のある声がしつこく空気に染み付いている。
クスクスと笑う声が耳に触れると、クモマはすぐに我に返った。
しかし、そのときにはすでに自分の体は闇に半分浸かっていた。


「…!」


先ほど、突然人形化が早められた。
そのため体が言うことをきかなくなったのだ。
視界も朧になり、記憶が曖昧になり、まるで目を閉じていたような感覚だ。
思考回路を繋げたときにはすでにこの状況。
知らぬ間に意識が吹っ飛んでいたようだ。


「…いつの間に…!」


この闇から逃げようとしても、逃げられない。
体が動かないのだ。
これも人形化の仕業であろう。
頭は動くのに体が動かない。

そして闇から伝わってくる振動。
奴の笑っている声に震えて液体状の闇が波紋を作っているのだ。


「クスクスクス。お主よ、我の元へ来るのだ」


『U』は口を開けば必ずそのような言葉を設ける。
相当人形にしたいようだ。
そのことが不気味で、気持ち悪くて、とにかく頭にくる。
体は動かないけれど口を懸命に動かして、闇の奥にいるだろう『U』に向けて反論した。


「僕は人間だよ!あなたの人形なんかじゃない!」


しかし、『U』はかなりのポジティブ主義のようで、クモマの反論をすぐにひっくり返した。


「今から人形になるのだぞよ。我はお主と会ってからお主を人形として手に入れたかったのだ」

「分からない!どうしてそんなこと考えるのか分からない!」


相手はエキセントリックだ。
変人なのだから、何を考えているのか理解することなど不可能。
だけれどどうしても訴えたい。
自分は変人の玩具ではないのだと。


「いいから放してよ!僕はあなたのとこなんかに行かないよ!」

「クスクス。さっきは我の顔を殴ると言っていたのに突然態度を変えるのだな」

「いや、殴るよ、あなたの面を思い切り殴る予定だけど!」

「ならばこちらに来ればいいのだ」

「いや、何か強引に引っ張られているこの状況が嫌なんだー!しかもすぐに解放してくれなさそうだし!」

「分かってるではないか」

「やっぱりそうなの?!キモイ!キモイー!」

「お主は我の人形なのだから手に入れたらそのまま我のものだぞよ。放すことなど、論外だ」

「いやだー!手の中に入れられたくない!動いてよ体ー!」

「クスクス、喚いても無駄だぞよ。お主の体はもう人形だぞよ」


闇の奥から聞こえてきた言葉を、信じたくなかった。


「ウソだ!僕は人間だよ!人形になるはずないよ!」

「お主の負け惜しみは面白い。自分の体が動かないと言うのにそれでも信じないと言うのか」


『U』の言うとおりで、本当に体が動かない。
これでは確かに体が人形になったかのようだ。
動くことを忘れた体は、ゆっくりと闇に沈んでいく。
ちなみに、体全体が動かないと言うわけではない。
闇に浸かった部分だけが動かないようだ。
体の胸上はまだ闇に浸かっていないので無事であるが、腕はすでに闇の中だし、これでは抵抗することが出来ない。
このままでは本当に人形になりかねない。
どうにかして抜け出さなければ。
だけれど、どうやって?


「……………」


対策法を考えてみるけれど、思いつかない。
相手はエキセントリック一族内でも、『L』より上に立つと言う厄介な奴だ。
果たしてこんな奴に勝てるのだろうか、今さら身震いを感じるようになっていた。

人形になってしまう体。奴曰くすでに人形化した体だとの事だが、そんなこと信じることなど、しない。
相手の言葉を信じれば心に余裕が無くなる。それでは駄目だ。
今は自分の考えを信じるしか他が無い。

体は動かないけれど、脳は動いている。
対策を練ればきっとこの闇から逃げることが出来るであろう。
勉強なんてしたこともないし、頭を使うことなんてほとんど無かったからある意味動かない脳だけれど、これに頼るしかない。
とにかく闇から逃げなくちゃ…。

クモマが残った脳で策を練っているとき、闇の波紋がまた歪んだ。
闇の奥にいる『U』が声を張ることで波紋を生んだのだ。


「お主よ」


なんと『U』から訊ねてきた。


「お主に、癒す力があると言うのは本当か?」


意外にも普通の質問だったため、クモマも普通に答えていた。


「そうだけど」


すると『U』は、核心突いたようでまた深く笑いを零し、辺りを揺らした。
闇の波紋が強くなり、よって埋まっていた体がまた下に下がった。


「クスクス、そうか。癒し、か。人間なのにそのような力があるとはやはり興味が湧く」

「…」

「さすがお主だぞよ」


人間なのに癒す力がある。
確かに他の人間には無い能力をクモマは使える。
回復魔法は生まれたときから備わっていた能力だった。
何故使えるのか本人さえも知らない。

それなのに『U』はそれをあっさり解決してしまった。


「人間と言うの生物ははじめから癒しの力を持っている。しかし、人間は戦争をするなどしてものを癒すことを忘れてしまった。今では全く癒す力を持っていない」


クスクスと『U』が笑う。


「だけどまれにお主のように癒す力をまだ持っている者がいる。とくにお主は魔法として癒しを出すことが出来る。我はそれに興味を惹かれたぞよ」

「……」

「それが一番の理由だが」


ここで、『U』は声の大きさを小さくして、やがて囁きに変えた。
キモイ声がより一層キモくなった。
耳元にいないはずなのに、声はすぐそこから聞こえてくる。
手を引っこ抜くことが出来れば耳を覆いたい場面だ。

クモマが静かに戦っているとき、『U』は「お主を手に入れたい理由は他にあるぞよ」と言ってクモマの思考をピタリと止めた。


「え…」


まだ理由があるのか。
聞きたくない情報だけれど耳を覆うことが出来ないので大人しく聞く運命になってしまう。
だけれど、他にどんな理由があるのか聞いてみたい気もする。
そのため、クモマはたった一言声を漏らしただけで、あとは何も反論しなかった。

『U』が声とともに手を伸ばしてくる。
闇の中にいるというのに、『U』の存在はまるで濃い。足元にいることが予想できる。
そして『U』が理由を告げた。


「我はお主の魂をずっと手元に置いておきたいのだぞよ」


聞かなければ良かった。
結局は先ほどと同じ意味ではないか!
やっぱりこいつ、キモイ!

頭の中の血が一気に頂点まで駆け上る。
そのときに闇に沈んでいた足が急にバランスを崩した。
何かに引っ張られたのだ。

原因は分かる。
奴だ。

『U』はクモマの足を引っ張って、完全に闇に沈めようとしている。
そして、「勘違いはしてほしくない」と言ってまた波紋を揺らした。


「お主は癒しを持っている人間だぞよ。言うならば我ら闇の天敵でもあるのだぞよ」

「て、天敵…?」


まさかそういわれるとは思っていなくて、クモマは目を丸めた。
『U』は天敵を目の前にして怯えることはおろか、足を掴んで自由を奪っている。


「エキセントリック一族の中で癒しを使えるものはいないのだぞよ。癒しと言えば光の者しか使えないのだからな」

「…」

「みながLのことを光と呼んでいるが我はそうとは思わない。奴はお主と違って人を癒す力を持っていないのだから。Lは恋におぼれたただの弱い魔術師だぞよ」

「……」

「闇と光、区別のない者はそう強くは無い」


『U』はクモマが癒しある光の者だから天敵だと告げた。
光の中でも癒しというものは人々を幸せにする最良のものである。
だから癒しを使える者は闇にとって見れば天敵なのだ。
癒されたら最後、闇は癒しによって力をなくしてしまう。

朧な光を持っている『L』は強くないと言う『U』だけれど墓穴を掘ってしまっている。
クモマは足にまとわりついているキモイ手を払うために、言葉で奴を蹴散らした。


「つまり、光ある人間は闇にとって見ればかなりの天敵であるってことだよね?そんな僕を相手にして大丈夫なのかい?」


『U』がまた笑って対応してきた。


「クスクス。お主は我にとってみれば天敵そのものだぞよ」

「ならば、あなただって僕のことが怖いはず」

「エキセンは全員、度胸ある闇だぞよ」


天敵の存在がまるで怖くないと『U』は言う。


「光ある場所ならば、それを闇にしたいと思うのがエキセントリック一族だぞよ」

「…」


確かに、活気ある光が満ちていたミャンマーの村を侵略しようと考え実行した奴らだ。
天敵をとことん潰して攻略していくのが奴らの手だろう。
光さえなくせばこの世は闇一色に染まることになる。
世界と言うものは黒と白だけで成り立つものだから、それから白を取り除けば黒だけのものになる。
すると、闇にとって見れば住みよい場所になるのだ。


「光を見つければ支配する。これがエキセントリック一族のやり方」

「…」

「数百年も生きている身だぞよ。狭い敷地内も飽きてきた。だから闇を増やしたいのだ」

「あなたもそう考えている人の一人だったのかい?闇を増やして満足したいの?」

「クスクス。強いて言うなら、我はお主さえ手に入ればそれで満足だぞよ」


思わずクモマは無言になった。
しかし、次の言葉でも無言になる結末となる。


「つまり、お主は闇の天敵であるから、人形にして封じておく必要があるわけだ。いまだに癒しを持っている光ある人間がいることは闇にとって見れば危険であり邪魔だぞよ。だから我がそんなお主の面倒を見てやるというのだ」

「…一応あなたも闇のことを考えて行動してたの?」

「クスクス、でも我はお主に興味があるぞよ。本当に優しい心を持っておるからな」

「………」

「優しい人間ほどいい魂の形をしているものはない。いい魂はちゃんと形として象っておかなくてはならないぞよ。だから我の元へ来るのだ」


とにかく、クモマを人形にしたいらしい。
理由はいくつかあるけれど、本当の理由としては『U』の趣味であると言うところであろう。
やはり『U』は真のエキセントリックだ。

足にまとわりついている『U』の手。
冷たくて本当に気持ちが悪い。さっさとどいてほしい。
だけれど闇に浸かっている体はもう動かない。人形になっているということか。

しかし、何か違う。
前に一度人形になりかけたけれど、あのときは本当に何も感じなかった。
これが人形なのだなと思った。無感が人形。
何も感じることができない、ただの人間の形だけをしているから"人形"と呼ばれているのだと実感した。

今、体が人形になっているとすれば、何故足に感覚が走る?
確かに動くことは出来ないが、それでも感覚は感じる。
足元に『U』がいることも分かるし、奴の手がこの上なく冷たくて気持ちが悪いということも分かる。

思った。


「人形、か。この闇に沈めば僕は人形になるんだろう?」


クモマは、足元の『U』に向けて、皮肉さを語った。


「そしたらどうして僕は胸から上は闇に沈まないのかい?」

「……」


初めて『U』が質問に答えなかった。
核心を突く。今の自分の言動は正しい、と。

クモマは訊ね続けた。


「胸から上と言えば大切な要素がたくさんあるじゃないか。胸には"心臓"…は僕には無いけど、他に"心"がある。頭には"脳"がある。これらを止めない限り僕は人形にならないと思う」


現に、人形になりかけたとき。
クモマは脳がまだ動いていたため危機一髪で救われた。
やはり人間と言う者は脳と心臓と心という3要素が大きな鍵になっているようだ。

とくに心は実体は無いけれど、光として体内を燈している。
人間にとって見れば大切な要素である。


「心が胸にあるから、これ以上闇に沈むことが無いんだろう?」

「…」

「心が光の形をしているから、闇が力を和らいだんだ。確かに体は沈んだりしたけれど、実際にはまたこの形になっている」


目を覚ましたときから胸元まで闇に浸かっていた状態。
そして今も、同じである。
足を引っ張られたりして沈んだ体も、自然と浮いてきたようだ。
一度闇に沈んだ心だけれど、光によって周りの闇を退かして、また這い上がってくることが出来た。


「無理はしないほうがいいと思うよ。闇は光に溶けるんだから」


クモマが『U』に警告を下す。
今、足を掴んで引っ張ったとしても、また今のように胸上から沈むことはない。
光がそこにある以上、絶対に沈まない。

やはりだ。
ここが闇の世界だとしても、『U』自体が『L』の光を強く浴びてしまっているようで、闇に力がなくなっている。
『L』はいい仕事をしている。とクモマは大変『L』に感謝した。
もし『L』が何もしていなかったら、もしかすると自分はまた人形になっていたかもしれない。
また『L』に救われてしまった。本当に悪い気がする。

クモマが『U』の闇がいつもより弱いことを知って少し勝ち誇った気持ちになっているとき、『U』はマイペースに笑っていた。
よく笑う闇である。


「クスクス。お主よ。我のためを思って忠告してくれたのか?やはりお主は優しいぞよ」

「…勘違いしないでください。僕はあなたを倒すためにここにきてるんだから」

「お主は我らにとって見れば天敵だが、我はただ単にお主を人形として手に入れたいのだぞよ。お主を人形にすることで闇が世界侵略するのに時間短縮することが出来、我の自己満足にもなる。一挙両全だぞよ」


とにかく、クモマを人形にして手に入れたいそうだ。
クモマを人形にすることで闇たちが容易に世界を侵略することが出来るとの事だ。

しかし、クモマはその考えを許すことが出来なかった。


「僕は平凡な人間だ。あなたの悪趣味と闇全般の悪趣味のためだといっても、そう簡単に人形にならないよ!」


人形、人形、人形。
さっきから人形という単語ばかり聞いている。

しかしこの場にはその人形なんていないではないか。
自分は人間だ。人形ではない。

確かに最近、死神こと『O』の鎌に乗って、隣大陸を旅している旅人と会ったとき、自分の心臓のことと、旅人の正体を聞いて、唖然としたけれど。
自分の心臓が無いことにショックを受けた上、自分の心臓を使って生きている旅人の存在にめまいがした。
目の前にいた旅人は元人形だった。

このときに人形でも人間になることが出来るのだ、という喜びを知った。
元は生きていなかった者が生きる者に切り替わった。よい出生である。

対して自分はその逆のタイプになってしまう。
生きていたのに動かない人形になってしまう運命だなんて。

非常に馬鹿げていると思った。


「僕は、絶対に人形にならない!僕も、あの旅人のように」


自分の心臓を使っている旅人を見たときに思った。
この旅人は自分と違う、と。だって、生き生きしているから。
これからの人生、どうやって生きようか、たくさんの道に迷っている様子がとても羨ましいと思った。

自分には、選択肢はない。
心臓を奪われたときから、選択肢は人形になる道だけだった。


だから、今を平凡に生きているあの旅人が羨ましくて、仕方なかった。


「僕も生きたいんだよ!!」


闇に浸かっている足が、ビクッと大きく跳ね上がった。








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いろいろと自称神が言っていたけれど、とにかく奴は気に入った人間を人形にする悪趣味を持っているだけのことです。

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