非常に厳しい状況だ。
慣れないものが体内を回っているからであろう。思うように体が動かない。
自分の体と闇、やはり相性が合わなかったようだ。
けれどもここで引き下がるなんて無様なこと、出来ない。

背中を炙る強い視線に答えるために『L』が親指と人差し指を重ねた。


「今度こそ逃がさない」


澄んだ音が鳴ると、闇の地帯がほんのり彩りを変えた。
少しだけ煌めきを見せる一角、氷が張ったのである。
これは闇を含んでいない一般魔術だ。
『L』が闇から逃げて普段の魔術を使うようになったのだ。
普段どおりに戻ってよかったと全員が胸を撫で下ろすけれど、『L』が張った氷には何も入っていなかった。
攻撃が外れたのか?


「空っぽか…」

「ちゃんと狙いなさいよっ」

「狙ったつもりだったんだけど、違ったようだ」


『L』が指を鳴らして魔術を繰り出したけれど、本命には当たらなかったようである。
しかし、『L』は感じたのだ。強烈な闇の存在があることを。あの邪悪な気配、きっと『P』であろうと。
背後の『K』も今凍っている場所に『P』がいると思っていたようで、今の情景には驚きを隠しきれずにいた。

えー、と『K』がうめき声を上げながら追跡をはじめる。
しかし、今凍っている場所に強い闇があるという結果が見えるだけだった。


「おかしいですー。あたしもそこにPがいると思ったんですけど」

「オレにも感じることが出来るほどの強烈な闇だった。しかもまだ氷の中からも闇の気配を感じるし…、何だろう?」

「不思議ですよねー。それにしても追跡能力を持っていないというのにPの気配を感じることが出来るなんてさすがL様!素敵ですー!」

「だけど氷の中には何もはいってないジェイ」

「てめえは引っ込んでろタコ!」

「ひ、ひどいジェイー…」


『L』の鋭さに目をハートにする『K』、しかし『J』が邪魔しに入ってきた。なのですぐに怒鳴って『J』を静めた。
哀れな『J』が気の毒に思えて『L』が仲裁に入ろうと振り返る、その直前であった。
自分の体内で蠢いている闇に妨げられたのである。


「………っ!」


体内でしつこく暴れまわる闇、苦しくて『L』は体を曲げた。
途端にガラスが割れる音が響き渡る。
いや違う。ガラスが割れたのではない。
氷が割れたのだ。

先ほど『L』が魔術を放った場所が突然破裂した。
氷が割れて、いくつもの氷の山が出来あがる。
そしてその山に彩をつける色、黒が乗る。
軟泥状の闇が割れた氷の中から現れて、辺りを闇色に染めていっているのだ。
その闇の存在に気づいて『K』が指を差した。


「あれですー!氷の中にある強烈な闇の正体はあれですよ!」


強烈な闇だから『P』だと思っていた。
しかし、実際は形が定まっていない闇であった。
泥になって流れている闇を見て全員が目を点にして見届ける。
何故あんな闇が強烈だと思ったのか分からなかったからだ。

その中で『L』だけが一歩身を引く。


「…そんな馬鹿な……!」


全員が唖然としている中、『L』はうめいていた。
泥状の闇が、これ以上に無い恐怖の塊だと言わんばかりに『L』はまた足を後ろに伸ばす。
そのため背後にいた『K』にぶつかってしまった。


「どうしたんですかー?L様ー」

「………」


訊ねられても『L』は首を振って何も答えなかった。
唐突に態度を変えた『L』を見て、全員が黙っているはずが無い。
すぐに『B』が『L』の視界に入った。

よって『L』の視界には、氷を侵食していく泥状の闇の光景が消え、代わりに『B』の顔が割り込んできた。
しかしその『B』の表情はさえていない。


「あんた、さっきから様子がおかしいわよっ!一体どうしたっていうの?」


体内に闇が入ってから『L』の様態がおかしいと『B』は察した。
しかし『L』は首を振ることで全てを否定する。


「何もおかしくない。だから向こうにいってくれ…」

「はあ?何よそれ?意味分からないわっ」

「そうだジェイ!イナゴのことが心配だジェイ」


なおも後ろに下がろうとする『L』。動きを止めるために『J』も声を上げたが『L』は恐怖に押しつぶされ続けていた。
最終的には『O』も駆けつけるという大騒動になる。


「一体何に怯えているんだい?」

「…駄目だ、迂闊に近づいたら駄目だ…」

「どうしてよっ?どうしてそんなこと言うわけ?」

「ちゃんと説明してくださいよーL様ー」


『L』の態度の意味が分からない。だから全員でせがみ付いた。
対して『L』は必死に泥状の闇を見ようとしている。
なので全員で振り返って闇を見直した。

闇は氷を溶かすほどの威力を持っている。
黒が侵食した部分はしゅわしゅわと音を立てて、煙を吐き出している。
氷が水に還っていく、そんな光景が映し出されるだけであるが、『L』はそれが恐ろしいと言った。


「…駄目だ。あんなの…」

「イナゴ?」


『L』はこわばった表情で訴えた。


「あれがオレの闇だなんて…!」


最後に見た『P』の姿。
それは『L』が繰り出した闇に呑まれた姿だった。
そういえば『L』の闇は『P』を呑み込んだまま空気に溶け込んでいっていた。
さすがの『P』も『L』の闇に長時間滞在しているはずが無い。絶対に逃げているはず。
よってこの空気に溶け込んでいるものは、『P』自体と『L』が出した闇なのである。

強烈な気配を感じたので『L』は指を鳴らしてそれを氷付けにした。
しかしそれの正体は自分が出した闇だった。
あまりにも悲惨な闇の姿。

『L』は信じたくないと耳を覆う。


「オレの中にあんな闇が入っていたなんて…」

「イナゴ…」

「やっぱりオレでも人を傷つける力があったんだ……」

「そんなことはないよ。正気に戻って」

「駄目だ…このままじゃ弱いころの自分に逆戻りだ…。みんなに情けないところばかり見られてしまう…」


手元にシルクハットがないため、直接手で耳を覆う。
そして『L』はそのままふさぎこんだ。


「ごめんBちゃんKちゃん…。オレ、守れそうにない…」

「な、何おっしゃってるんですかー?L様なら出来ますよー!」

「オレの闇は強烈なんだ…溶かす力があるなんて、Vちゃん辺りの闇と同じ威力だ…」

「大丈夫よっ!ほら、立ち上がりなさいっ!」

「……………………っ」


体内の闇が、暴れまわっている。


「イナゴ、君の体内にある闇は君のものじゃない。だからあの闇も君のじゃないんだ」


『O』が慰めかける。
しかし、『L』はふさぎ込んだまま。
体内で暴れる闇の存在が苦しくて、息をするのもツライほど。


「……………」


苦しい。
闇が体内にあるだけでこんなにも苦しいなんて。
闇魔術師は皆、この恐怖に乗り越えて生きているのか。
自分では無理だ。扱えることが出来ない。

苦しくて苦しくて、目を強くつぶった。
視界を閉ざせば少しは気が和らぐかと思い、必死になって目をつぶる。

視界に入る色は、黒。


光は、どこ?



ここでヤンスよ。


ウソだ。光はここにはないんだ。消えたんだ。
自分の体内からも消えてしまった。


何を言っているでヤンスか?
あんたの体内になくなったとしても、光を持っている者はたくさんいるでヤンスよ。


誰だよ。
それは誰なんだ?
ラフメーカーだと言いたいのか?


違うでヤンスよ。


「アタイがいるでヤンス」

「…………え…」


声に乗って目を開けば、視界に広がる風景が変わっていた。
彩り鮮やかな空の下。
ここは、香り良い花が背を伸ばしている花畑。
その中に『L』は座っていた。

耳を覆った体勢を解いて、立ち上がる。
ここが一体何なのか分からなくて、しかしその前に目をつぶっていたときに不意に聞こえてきた声の主のことが気になった。
辺りを見渡して探してみるけれど、見つからない。
まさかこの花畑には自分しかいないのか?


「ここにいるでヤンスよ」


再び声が聞こえてきた。後ろからだ。
急いで後ろを振り返って相手を見る。
すると驚いた。相手の強烈な存在に。

相手は、白かった。
光が、まぶしかった。

『L』は無意識に口を開いていた。


「ダンちゃん……」


目の前には、真っ白い天使が立っていた。
彼女は微笑んでいる。優しい笑みを場に広げて。


「どうしてそんなに悲しい顔をしてるでヤンス?」


くりくりした彼女の目が非常に愛らしい。
しかし、何故天使の彼女がここにいるのだ?
彼女は今はもう…。

だけれど考えとは裏腹に『L』は彼女に手を伸ばしていた。
今のうちに彼女を捕まえておきたかったのだ。

やがて、悲しい顔をしていた理由を無意識に答えた。


「お前がいなかったからだ」


彼女の手を掬う。
しかし手に触れた瞬間、『L』は手を遠ざけることになった。
何か激しいものが伝わってきたからだ。
比べて彼女は平然としている。


「どうしたでヤンス?」

「……」

「どうして逃げるでヤンス?」


彼女を捕まえようと思っていたけれど、『L』は必死に逃げていた。
あること思い出したからだ。大変なことを思い出したからだ。


自分は、闇、なんだ。



「駄目だ……」

「ん?」

「オレは闇。そしてダンちゃんは光。相性が合わないよ…」


ぐっと悲しくなった。

今ここで込み上がってきている感情や言葉は全て"無意識"なもの。
勝手に出てくる言葉は、自虐の言葉でもあった。


「オレ、かなりの弱虫なんだ。自分が追い詰められたら全て自分の過去のせいにするから…」


追ってきた彼女が手を伸ばして『L』の背中を触ろうとしている。
だから怖くて、その場にふさぎこんだ。
足が震えてしまったのだ。


「どうして光ってそんなに強いんだ?闇は光一つで潰れてしまう。まさかノロイじいちゃんまで光にやられるなんて……」

「光が強い、でヤンスか?」

「ああ、闇が消えていく。確かにこれはオレがまいた種だ。だけど忘れていたよ。オレは闇なんだ…。ものを溶かすほどの威力を持った闇の実力者…。自分で自分が恐ろしいよ…」

「…」

「オレもこのままじゃ消えてしまうんだろう…。みんなと同じように…」

「でも、城を覆ったのはあんたが放った光でヤンスよ?」

「けど、けどさ、今のオレにはもう光がないんだ。みんなと同じ苦しみを味わうことになってしまったんだ。自分で自分の首を絞めてしまったんだ…」

「イナゴでヤンス…」

「もしかしたら今一緒にいる仲間たちもオレが出した光のせいで弱まってしまってるかもしれない。だからBちゃんも今回大人しいんだ…きっとそうなんだ………」

「あんたも弱まっているでヤンスか?」

「…わかんない」

「あんたは光じゃないでヤンスか?」

「…オレは闇だ…」

「絶対に、でヤンス?」

「…世界を闇に変えるために生み出された兵器。オレらはマスターとPの兵器だ…」


あの二人のせいだ。
マスターこと『E』がエキセントリックだったのが全ての始まりだった。
そして全ての終わりだった。

エキセントリック一族は死なない体質をしている。闇だから。実体があるだけで実際には闇であるから。
対して目の前の彼女は光の存在。ただ、光の存在であって、実際には生物だ。必ず死が訪れる。
それが恐ろしかった。

闇として生まれてきたからには全ての生死を見続けなければならない。
目の前にいる彼女の死も見なければならない。

いや、実際に見たのだ。
彼女が苦しんでいる姿を。


「イナゴ、確かにあんたは兵器かもしれないでヤンス。けど、アタイはあんたを一人の男として見ているでヤンス。兵器じゃなくて男として」

「…ダンちゃん…」

「だって、兵器だったら」


一瞬、彼女が言った言葉が嬉しかったが、次の瞬間には胸が締め付けられていた。


「兵器だったらアタイのことをちゃんと守り続けてくれるでヤンス。対してあんたはアタイをドロドロに溶かすだけだったでヤンス。あんたは男の中でも下でヤンスね」


彼女が言った言葉だと信じたくなくて、だけれど事実だから何もいえなくて。
『L』は心が凍り付いた状態で頭を上げて彼女を見た。
すると彼女が不敵に笑っている姿が見れた。あれは天使ではなく、悪魔の表情だ。

彼女が訴え続けている。


「助けを求めたのにあんたは何もしてくれなかったでヤンス。何も守れない奴が兵器のはずがないでヤンス。約束を守れない役立たずな男でヤンス。」


彼女が頭から真っ黒になっていく。
そして形も大幅に変わって、ドロドロの悪魔の化け物に変形する。

この姿、あのときと同じだ。
悪魔になってしまった彼女の姿だ。

せっかくの花畑もここで闇の海へ切り替わった。
あのとき同じ。
花畑が闇の海になって、彼女がドロドロの悪魔になって…。

全てが闇になって。


胸に罪悪感という錠が頑丈にかかる。


「!」


闇の海に飲まれそうだ。
そして彼女も闇に飲まれかけている。
しかし彼女は『L』に必死に訴えていた。


「このクズ!よくもアタイを殺したでヤンスね!」


彼女のドロドロが闇の海と一体化していく。
その惨さに『L』は口を覆う。


「…ち、違…」

「いまさら言い訳なんか聞かないでヤンス!あんたのせいでアタイは天使じゃなくなったでヤンス!」

「…ぅ…」

「アタイに光を返せでヤンス!!」



そうだ。
自分は闇。
無意識に天使の彼女から光を奪ってしまっていたんだ。

自分が彼女を守らなかったから、大切な光を失ってしまったんだ。


全て自分が弱いばかりに。





「―――――っ!!」



ハッと目を覚ますと、そこは闇の地帯であった。
現実世界に戻ってきた『L』だけれど、先ほどの光景が頭の中に焼き焦がれている。
自分のせいで彼女が闇になった。
光を消してしまった。

光一つで闇は呑まれるのではないだろうかと思ったが、違う。
逆に考えると闇一つで光を呑むことが出来るのだ。

それにより彼女は闇に呑まれてしまった。
もしかしたら、あの闇は自分の中にあった闇かもしれない。
自分の闇が彼女の光を溶かしてしまったのかもしれない。

違うと分かっていても、もう駄目だ。
自分を追い詰めることしか出来ない。
脳内に焼きついている彼女がそうさせているので。

よくも、殺したな。
光を奪ったな。

お前は最低な闇だ。


「イナゴ?」

「どうしたのよっ?」

「大丈夫ジェイ?」

「L様?」



闇の仲間たちが心配している。
だけれど、だけれど、自分は答えることが出来ない。
体内で暴れまわる闇が、言うことを聞いてくれないのだ。


「……っ…っ…」


激しく息切れを起こして、しかし、その都度闇が口から出そうになって。
頭が胸が腹が、全てが痛くて、苦しくて、立ち上がれない。
顔を覆って自分の罪に涙を呑んだ。


「…イナゴ…」


様子が一変した『L』のことを心配する闇の中で、一つの闇が動いた。
『O』が『L』の頭に手を置いて、しゃがみこむ。
『L』と目を合わせて、結構前からひしひしと感じていたことを訊ねた。


「君はもう戦えない。そうだろう?」

「……」


『L』は答えない。いや、答えるほどの体力もないのだ。
口から闇が漏れる。もう抑えることが出来ない。

闇を吐き出す『L』を見て、『O』は核心を突いた。


「体内で暴れるPの闇が君をおかしくしている。違うかい?」

「……」

「無理に答えなくてもいいよ。永い付き合いだから聞かなくても分かる」

「…………っ」

「泣いてもいいんだよ。君は光なんだから、闇が痛いというのも当然のことだ」


肩が震えている『L』の弱弱しい姿を見て、『O』は目を細めた。


「ここまでよく頑張ったね」

「……ごめん…」

「謝る事はない。大丈夫、君のようにうまくいかないと思うけど、自分なりに頑張るから」


言った。


「あとはぼくに任せて」



ふさぎこんだままの『L』をその場に残して、やがて『O』が立ち上がった。
ずっと担いでいた鎌を上下に揺らしながら、前に出る。

闇に苦しむ『L』のことは『K』に任せておいて、ひとまず場の雰囲気を作る。
仲間たちから離れたところで、『O』は鎌で親指を切った。
そこから滲む色は闇だった。


「うふふ。ついにあなたも戦う気になったのね。"死神"さん」


上空に浮かんでいる闇に反射して響き渡る『P』の声は、さぞ嬉しそうに弾んでいた。
『O』は自分で切った親指を眺めたまま動かない。


「…あんた、まさかやる気なのぉ?」


『L』の代わりに背中を向けて立つ『O』に向けて『B』が驚愕して立ち尽くしていた。
対して『J』は何が起こったのか理解していないようであたふたと回りを見渡している。
その足元には、『K』に背中を擦られている『L』の姿があった。

恐怖に震えてもう立ち上がることが出来ない友人を見て、『O』は今『P』と向き合う。
『O』の瞳が赤く染まった。








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