「んふ。とうとう彼女がやって来るのね。楽しみだわ」


Mが手の皮膚をつまんだときに発動した魔術、それは囚われの身の男の周りに張ってある結界を覆う形で強い膜を張った。
鎖で壁と密着している男は脱力していて、鎖がなければ地面にへばりつきそうなほどである。
そのため自分の周りにより一層膜が覆ったことに何も反応を示さなかった。
代わりにその光景を見ていた男…いやオカマが口元をゆがめている。
顔に似合わず美しい声を流して。


「あの子は見る都度逞しくなっているわ。もし男だったら理想だったのに」

「……」

「もったいない子ねぇ。アタシを倒そうとしている殺気さえ放っていなければ見逃してあげたのに。非常にもったいないわ」

「……」


囚われの身の男は脱力しているけれど、オカマの言葉一つ一つを聞き逃さなかった。
オカマが言う「彼女」のことが誰なのかもすぐに察することが出来た。
現に今、オカマがその彼女に見せびらかせるように何度も美しい声を放っているから。

そして今、ここに凛とした声が流れてきた。
女にしてはハスキーな声。
この声は前に聴いたことがある。
鳥人のカラスの声だ。
だけれど男の頭には白ハトの姿が映った。


「見つけたわよ…!」


ハスキーな声は、ほぼ吐く息と一体化していた。
ここまで走ってきたことがすぐにうかがえる。
続いてドシンドシンと大きいものが歩いてきている音も聞こえてきた。


「白、あんたはそこにいなさい」


この場に現れた彼女の声により、大きいものは鳴き声をあげてドシンドシンを静めた。
普段の彼女ならば変な生き物を召喚するのに今回はマジメだ。
この泣き声からして竜か。まさか竜を出すなんて、今回は相当力が入っている。

…というか、どうしてここに彼女が…?


「ポメ!助けにきたわよ!」


声が、ハスキーな声が、カラスのジュンの声が囚われの身の男の心を揺らした。
男は脱力していて首が垂れていたけれど、そのときの反動で首を元の場所へ戻し上げる。


「………」


顔を上げるとそこには白い彼女がいた。
白いマントを羽織った白ハトのブチョウだ。

一瞬、目を疑った。
何故この場に彼女が居るのか理解できなかったのだ。

だけれど彼女の必死の様子を見て、そして自分の目の前で背中を見せて立っているオカマを見て、何となく分かった。
ああ、彼女はついにこのオカマと戦うのだな、と。




囚われの身のフェニックスを自分の背中で隠して、オカマこと『H』は息を荒くしているブチョウに向けて微笑んだ。


「んふ。待ってたわよ白ハトさん。あなたが来るのを楽しみにしていたのよ」


『H』の立ち位置が悪くてフェニックスのポメ王を見ることが出来なくなってしまったけれど、ブチョウは真っ直ぐとフェニックスを見た。
そして邪魔である『H』を鋭く睨む。


「随分と探したわ。私はあんたをぶっ飛ばしたくてここまで来たのだから」

「あら、あなたもアタシのことを探してくれてたの。嬉しいわね」

「勘違いしないで。私はあんたを倒すのよ」

「んふ。分かってるわよそのぐらい。あなたの殺気が見えるもの」


ずっと恨んでいた相手が、いま目の前にいる。
ブチョウは背後に召喚獣の白を置いて、一歩前に出た。
『H』も同じように前に進む。しかしブチョウの位置からではポメ王を見ることが出来なかった。

この場に流れる美しい声。
それは以前、ブチョウの喉から流れていた。
しかし今は醜いオカマのもの。
それを取り返したかった。

それよりも何も


「ポメを返してもらうわよ」


ブチョウの気持ちを聞いて、ポメ王がピクッと反応を見せた。
それから鎖で音を鳴らしてポメ王が脱力した体を前に押そうとしている。
だが無駄だった。鎖は完全に壁と密着しているのだから。
それの間に挟まれているポメ王は動くことが出来ない。

ポメ王が音を立てているのを背後で感じ取って『H』は笑った。


「彼の様子がおかしいわね。どうしちゃったのかしら」

「そんなの決まってるじゃない。ポメもこっちに帰りたいのよ」

「あら、どこに帰りたいっていうの?フェニックスは不老不死を作る珍鳥、帰る場所なんてないわ」

「何言ってるのよ!ポメは鳥族の里『キズナの村』の王なのよ!あいつがいなくてあの村は活気がなくなったんだから!」

「だから何?」

「あいつが帰る場所はキズナの村の」


ブチョウは、ポメ王に聞こえるようにあえて大声で言った。


「私たちが出会ったあのコートよ!」

「……ブチョウさん…」


コート、それはブチョウたちが昔から遊び場として使っていた場所。
ボール遊びをして築いた絆。
あの場所だけは闇に襲われる前と変わらず同じ形で建っている。
カラスのジュンとカナリアのヒヨリが守り通した絆。

ここでブチョウは、細い体のポメ王に向けて謝りだした。


「私が全て悪いのよ。闇が村を襲ったとき私はこいつと取引していてみんなを助けてやれなかった。それだけじゃない。ジュンの声も奪ってしまった…」

「……」

「そしてあんたを助けに行くことも出来なかったわ」


ポメ王が何か言おうと口を開いた。
しかし声はブチョウの元まで届かない。膜の中に閉じ込められているので声が届かないのだ。

ブチョウがポメ王の様子が気になって首を動かしているとき、全てを阻止している『H』が小指を分厚い唇に当てて、危険な笑みを零した。


「んふ。別れの挨拶はそれまでにして、これから一緒に踊りましょう」


『H』の言葉が理解できなくて、しかし邪悪な表情が場の危険さを語っていて。
ブチョウは素早く身を引いて、後ろに控えていた白に手をかけた。
刹那、場が歪んだ。


「っ!」

「んふ。どの闇たちも可愛い子ちゃんだから、一緒に踊ってあげてね」


ブチョウが足をつけた場所から闇は生まれてくる。黒い手が地面から生えてきた。
そして今いる場所にも闇の手が伸びてくる。
ブチョウは急いで避けることが出来たけれど、召喚獣は身が大きいため避けきることが出来なかった。
湧き上がってきた闇に足を捕らわれて、白が悲鳴を上がる。


「白!」

「白ハトさん。残念だったわね。あそこまで捕らわれてしまったら」


『H』が小指に口先を当てると、魔術が発動した。


「どんなものも闇になっちゃうわよ」


あっという間だった。
大きな竜が黒い闇に呑まれていったのは。

この場に生まれた闇は全て手の形をしていたので、人を飲み込むことはないだろうと思っていたのに。
実際には大きな竜までも呑み込んでしまった。
召喚獣の白は頭から闇に吸い込まれ、挙句の果てには闇となり平べったくなる。
自分の召喚獣が闇になって消えてしまったのを目の当たりにして、ブチョウは唖然と目を見開き、固まった。

ブチョウは人を光に変えたくて拳を奮っていたのに、早速闇になったものを見てしまった。
ショックを隠しきれない。

愕然としているブチョウの姿に『H』は笑いに更け、ポメ王は彼女を勇気付けようと声を張った。
しかし覆っている膜が全ての声を吸い取ってしまう。鎖の音は外に通じるというのに。
音波の違いがこの結果を生み出しているというのか。ポメ王は悲しくなった。
そしてポメ王の視線に気づかずブチョウも白の姿に悲しんでいる。


「ひどいことしてくれるわね…」

「んふ。哀れだったわね。アタシの闇は獰猛だから骨まで残さず食べつくしてそれを闇に変えちゃうのよ」

「…!」

「そしてこの子たちは生きているものが好きなの。だからいつまでもあなたの後を追い続けるわ」


危険を足元から感じ取れた。
ブチョウは急いで飛び跳ね、直後に湧き上がってくる闇の手から逃げ出した。
闇の手は相手を捕まえることが出来なくて残念そうに手首を垂らしている。しかしそれを乗り越えて別の闇の手がブチョウを襲い掛かった。
伸びてきた手から逃げるためにブチョウは必死に足を動かす。


「最悪ね…!」

「『最悪』、エキセンにとってみれば最高の褒め言葉になるわ」

「やっぱりあんたたちエキセンってのは変人の塊なのね」


変人の考えていることは理解できない。
ブチョウは舌打ちを鳴らしてまた飛び跳ねた。
今度はそのまま白ハトの姿になって、飛行していく。


「あら、白ハトになったのね。んふ、確かに空を跳んでいれば闇の手は襲い掛かってこないわね」


ブチョウの行動に感心する『H』であったが、すぐに批判した。


「だけど、アタシの可愛い子ちゃんたちはそこまで馬鹿じゃないのよ」


地面から湧き上がる手はグンッと背伸びをし、飛んでいるブチョウと捕まえようと手のひらを広げた。
しかしブチョウは俊敏に避けて闇の手から逃げていく。
ブチョウのほうが動きが早い。


「鳥をなめないでほしいわね。空の世界だったら鳥が一番の権力を持っているのだから」


手のひらが結んだり開いたりしてブチョウの後を追っているけれど、どれも空振りになって終わる。
膜の中で囚われているポメ王も空で繰り広げられている闇と光の戦いに口を開いて見入っている。


「すごいですよ、ブチョウさん……」


感嘆した声も膜に吸われて外には漏れないものになる。
彼女が目の前で戦っているというのに応援も何も出来ずにただ見ているだけなのか、そう思うと今ここは辛辣な情景である。
自然と頭が下がる。

そんなポメ王の姿をブチョウは空から見ていた。


「あいつ、何で上半身裸なのかしら」


上空から見たポメ王への第一印象はそれであった。
確かになぜか上半身が裸だ。その上で鎖につながれているので、異様な光景にも見えた。

しかし、憧れの彼があんな醜い姿になっている。早く助けてやらなくては。
そういうことでブチョウは高度を低くして、勢いで『H』の目の前まで迫りよった。


「私だけじゃなくてあんたも一緒にダンスしなさいよ」


分厚い唇に小指を当てて無言で眺めているだけの『H』にそう警告してから、『H』に突っ込む勢いで飛行する。
しかし『H』は動じていない。このままではブチョウにぶつかってしまうというのに。
やがて『H』を目前にしてブチョウは高度を急に上げて直角に空へ戻った。
続いてブチョウを追っていた闇はというと、急に進路を変更することが出来ず、そのまま前に突っ込んでいってしまった。
一つの手が『H』を呑み込み、後から来た闇も衝突事故のように連なって『H』に激突した。

『H』は闇に呑まれて、姿を消した。

闇を操る者が消え、全ての闇が消える。
場が鎮まったところでブチョウは着地して、人間の姿でポメ王の元までかけていった。


「ポメ!」


一秒でも早く彼を手に入れたかった。
走って彼の元へ行くけれど、膜の中の彼は首を振って何かを訴えている。
ブチョウは目の前のことで必死で後ろを振り返らない。
しかしポメ王は必死に囚われていない首だけを動かして、後ろの者のことを告げた。

膜の中でポメ王は叫んでいた。


「ブチョウさん!後ろです!」


吸収されて消えた声であったが、ブチョウは理解することが出来たようだ。
急いで後ろを振り返って、自分に襲っている危険を目にする。

そこには、巨大な竜が立っていた。
黒い竜。

ブチョウはギョッと目を見開かせて、その竜の名を呼んだ。


「白…!」


巨大な黒竜。それは先ほど闇に呑まれてしまったブチョウの召喚獣、白であった。
全身が闇色に染まっていて、それはもう「白」とは呼べなくなっているけれども。

闇色の白の頭上から何かが湧き出てくる。
すぐに『H』だと断定できた。


「あいつ、うちの白を勝手に…!」

「んふ。言い忘れてたわ。闇に呑まれたものは全てアタシのものになるの。だからこの竜ちゃんもアタシの、モ・ノ」

「勝手な…!」


苛立って強く睨んだが、逆に睨み返されてしまった。
先ほどまで自分の背後で戦ってくれていた白に。

仲間のときは心強かったけれどいざ相手にするとこの大きさと威圧に押し負けてしまいそうだ。
しかしそれ如き、負けてたまるか、と思った。

ブチョウは腰に手を回してハリセンを手に入れて何か策を練ろうとした。
ところがその行動に移すことが出来なかった。

体が思うように動かないのだ。
何故?何故動かない?

前にもこんなことがあった…!

腹が、腹が痛い。
腹痛ではなくて、これは腹にあるアレが腹をひねって苦しませているのだ。

しまった。すっかり忘れていた。

ブチョウの腹には、人には見せられないものが彫られているのだった。
それは、『H』につけられた"印"。

前に何度か、『H』の前で動けなくなったことがある。
それは全てこの"印"の仕業であった。

"印"は、声と引き換えにつけられた。
彫られたときに声が抜けていったのだけれど、逆にとれば奴ははじめからこの"印"が目的だったのかもしれない。

自分の操り人形がほしかったのかもしれない。
いや、操り人形でもなんでもない。
ただの"壊していく人形"がほしかったのかもしれない。

"印"がブチョウの動きをピタッと止めた。
動けず、唸ることしか出来ない。


「畜生…っ!!」

「んふ。悪態なんかついちゃって」


びくともしないブチョウの姿を見て、『H』はこれから先、この操り人形をどうやって壊していこうか悩みながら、小指を口先に当てた。
口先から流れる声はまるで音楽だ。


「あなたはこんなにも綺麗な声を持っていたのに、あなたという存在は実に穢れているわ。やっぱりアタシがこの声を持って正解だったわね」


小指を口先に当てたことで魔術を発動した『H』、魔術はブチョウの横腹に命中した。
その場所は、みんな忘れてしまっているかもしれないが『S』に斬られた場所である。
知らぬ間に塞がっていた傷口であったが魔術が当たったせいでまた広がってしまった。しかも倍以上の深さに。

血があふれ出て、しかし動けなくて、身を丸めて覆うことも傷口を防ぐことも出来ずに、ブチョウは表情を顰めて歯を食い縛るだけだった。


「アタシは、前々からあなたの美しい声を狙っていたのよ。今はこの声を自分のものに出来て、幸せだわ」

「…………」


血が、血が、血が血が…。
腰を伝って太ももを通り、足元を真っ赤に濡らしていく。
熱い、血が熱い。傷口が熱い。

そして、頭も熱い。


「ふざけてるわね……その声はあんたにあげるためのものじゃないのに……」


頭に血が上って熱くなったのだ。
苛立ちが積もって無意識に叫んでいた。


「その声は人々を幸せにするために声なのよ!私は平和の象徴のハト!声を聞かせて人を幸せにするのが昔からの私の宿命だったのに!」


昔、よく親友のヒヨリに言われていた。
ブチョウの声は清らかで美しい、聞いている側を幸せにさせる声だ、と。


「このオカマ!私から全てを返せ!!」


勢いよく叫んだために、先ほど出来た傷口がより広がり、口からも吐血の症状が表れる。
しかしそれでもブチョウは"印"のために動けない。
いや、"印"が無くともここは立っていた場面だ。

今では黒い竜の白、その上に乗った憎たらしい『H』に向けて、目を据えて睨む。
奴から全てを取り返すために、ブチョウは逞しく立った。








>>


<<





------------------------------------------------

inserted by FC2 system