誰も後を追ってこない。
まるで自分だけの世界を走っているかのように、足音しか響かない。
追手が来ないため自分が鳴らす音しか響かないのだ。

長い廊下は一体何処に繋がる道なのか、本当に何も知らない。
けれどもこの道を走らなければならない理由がある。
強く握られた拳が全てを語っている。
この拳には、想いが乗っている。

今から約10年程前に起こったあの出来事。
あの日以来、自分は自分におびえた。
心臓がない体、果たしていつまで自分は生きることができるのだろうか。
あのとき奴は言っていた。永久を生きる、と。

だから、恐怖だった。

自分の周りの人々は死んでいくのに自分だけは死なない。
胸を刺されても死なない。果たして自分はどうやって死ぬことができるのか。
脳を仕留めれば死ねるのか。心が衰えれば死ねるのか。

違う。自分はある魔術を喰らっていたのだ。
その魔術は自分を人形にする力を秘めている。
心臓が動いている限り魔術は発動しないが、自分の心臓が止まると魔術は発動する。
自分の体を人形にじめじめと追い詰める。

自分は死なないというけれど、それは人形になるから死なないという意味だったのだ。
人間としては心臓が止まることにより死ぬ。
代わりに体は人形化が進むことで暫くの間は生き続け、何れは人形となり永久に生きる。

10年程前から自分の人生は狂ってしまった。
これは全て、この笑い声を出している者の仕業。

クスクスクス…。


「…もう、どこにいるんだよ…」


この場には自分の足音しか響かないといったが、それは客観的視点から見た姿である。
誰もいない廊下を走っているクモマにはある声が聞こえていた。それは笑い声。
自分にしか聞こえないキモイ声に頭を悩ましながら、走っている。

随時、クスクスと笑う声がする。
奴は一体何処から笑っている?


「まだ奥にいるのかなぁ…結構走ってきたと思うんだけど…」


クモマの疑問は笑い声に掻き消される。
いったん立ち止まって様子を見て、また走り出して様子を窺う。


「ちゃんとこの道で合ってるのか、それもわからなくなってきたよ…」


不安に陥られる。
心配だ。自分だけ戦わずに廊下を走っている。本当にこの選択は正しかったのか?
ほかのみんなはきっと戦っているだろう。目の前に現れた敵に拳を奮っているのだろう。
対して自分はいまだに拳を奮っていない。
肝心の相手が見つからず拳は握ったままだ。
みんなは無事なのだろうか…?


「チョコ、大丈夫かな…」


真っ先に気になったのは、先ほど自分を逃がしてくれたチョコだ。
彼女は戦う術を持っていないというのに勇気を振り絞って前に立ってくれた。
今までは自分の後ろに隠れていた彼女だというのに、知らぬ間に成長していて驚いた。

チョコは無事なのか、本当に心配だ…。



+ + +


「きゃー!もう嫌ー!!」


炎が襲ってくる。必死に走って逃げ避けた。
チョコはクモマを目当ての相手と戦わせるために、目の前にさえぎってきたエキセントリック一族『A』を止めようと立っていた。
しかし『A』は合成獣を作り出した者だ。
双頭の狼を召喚してチョコを襲った。
合成獣は口から炎を吐いてくる。そのためチョコは悲鳴を上げっぱなしであった。


「私無理だってー!ホント助けてー!」

「ひゃっひゃっひゃ!弱いね!君という合成獣はもっとも弱い!だから死んでもらおうか!」


泣き喚くチョコを面白がって『A』が狂った笑い声を出した。
『A』は一度、チョコを処分しようとした奴だ。前回処分し損ねたので、今回もまた処分しようと手を伸ばしてくる。

『A』の聞こえない命令により合成獣が襲ってくる。
牙を鋭く尖らせてチョコの肩を覆う。


「ぃ…!」


二つの頭のうちの一つがチョコの肩と繋がった。
唐突に噛まれてチョコは悲鳴もあげるのを忘れていた。ただ、懸命に牙を肩から外そうとする。
しかし離れない。


「やめ…て…!」


痛い。ひどく痛かった。
チョコは今まで前に出て戦闘することが無かったために怪我の痛みをあまり味わったことが無い。
だからこの攻撃はチョコの動きを突き刺していた。
この激痛に涙があふれてくる。
だけれど流さずに目の溝に溜めた。


「ひゃっひゃっひゃ!痛いか?苦しいか?」

「…さ、最低…!」

「最低?ひゃっひゃっひゃ!最高の褒め言葉だよ!」


『A』の笑い声は、昔のことを思い出させてくれる。
それは昔々のこと。
チョコは物心つく前に村から生贄として『A』に奉げられた。
本当は黒かった髪も『A』の実験により染まった。
ペガサスと合成、それは怒りよりも悲しみのほうが深い。

ペガサスとの合成は失敗に終わりチョコの人生をひっくり返してしまった。哀れな桜色。


「…私は、こんな人生送りたくなかったのに……」


思わず漏れる本音。
しかし『A』は笑い声を上げるのみ。
厚底メガネの奥の目が三日月に歪んでいる。


「ボクのおかげで君は合成獣になれたのに、なんてこと言うんだ?」

「あなたのおかげ?ふざけないでよ…私はあなたのせいで今まで一度も友達ができなかったのよ」


合成に失敗しても、動物の力は少しだけ持っている。
それは動物と会話する力。

チョコは肩に引っ付いている獣の顔を振り落とそうと手を突き出した。
獣は、離れない。


「友達ができなくて本当につらかったの…一人だったのがつらかった、切なかった……」

「いいじゃないか!友達なんていらないだろ!」

「いるよ!」


気持ちのこもっていない『A』の言葉に苛立った。
チョコは獣の胸を押しながら叫んだ。


「友達って本当に必要なものよ!今回初めて友達ができて、本当に実感したの。ああ、友達っていいなあって」


ラフメーカーのみんな。
人々が嫌っていた自分の能力を彼らは好んでくれた。
すごいすごい、と羨ましそうに言って、笑ってくれた。
今までに味わったことの無い体験だった。

自分を一人の生き物として見てくれた始めての人間であり、友達だ。
大切な人たち。

だから彼らを失いたくないし、自分も消えたくない。


「私は非常識なあなたに勝って友達のところへ行くよ。そして礼を告げるの」


獣の胸を押していた手のひらを拳に変える。
そして


「私と友達になってくれてありがとう!って。だから絶対に生きなきゃならないの!」


ドスン、と鈍い悲鳴が上がる。
それは獣がぶっ飛ばされた音だった。

チョコは肩に噛み付いていた獣の胸にめがけて拳を放ったのだ。
突き飛ばされて獣は背中から地面にたたきつけられる。

今にも涙を流しそうだったチョコが鉄拳を下したので『A』も黙ってはいなかった。
しかしそれは暴言ではなく、悲鳴であった。


「あひゃ!獣を殴ったのか?!」

「私は、戦うよ」


肩から血が四方に飛び散るけれどチョコは痛みに耐えて、両手で武器を構えた。
棍棒を『A』に向けて告げる。


「友達とまた笑顔で会うために、あなたに必ず勝つ」


血が片腕を赤く染めた。
握っている棍棒にも少し色が移る。
ペガサスの色だった桜色にも赤が混ざった。それほどまでに肩の怪我は大きかった。
けれどもいつも"友達"はそのぐらいの怪我をしてまで自分を守ってくれた。
それの恩返しをしたい。

だからまずは自分との戦いに勝たなければならないのだ。

棍棒をゆっくり振っただけなのに血が宙を飛ぶ。
しかし、それは魔方陣の一部になって溶け込む。


「フリーズ」


空に描いた魔方陣を棍棒で斬ると、砕けた魔方陣が白色を帯びて獣に向かって飛び掛った。
魔方陣にあたって獣は動きを失う。体が真っ白になって凍りづいてしまったのだ。
『A』が驚いている姿を見てチョコは棍棒の先を地面につけた。


「私はペガサスと合成されている。だからそれなりの力は持っているはずよ」


もしかしたら奥底に眠っているかもしれない能力。
チョコはそれに向けて頼み込んだ。

どうか、無力な私に、勇気と力を…………。


チョコの祈りが胸に響く前に、『A』が新たな合成獣を繰り出した。
それはコウモリとゴリラが合成になっている獣。
ゴリラの姿で翼が生え、声は超音波。

しかしチョコは不敵に微笑むのみ。


「私は動物と会話できるのよ?超音波も一つの会話。痛くも痒くもない」


空に魔方陣を描いてチョコは次々に魔法を繰り出した。
今まで溜めていた力をここで放つ。
今まで秘めていた力をここで発揮する。


みんな待っていてね。
私、がんばるから…。



+ + +



クスクスクスクス。
笑い声は次第に大きくなっていく。

仲間の心配をしながら走っていたら、知らぬ間に笑い声に近づいていたのだ。
クモマはあたりを見渡しながら走りを緩める。


「近くなった…?」


キモイ笑い声が耳をかすった気がした。
急いでそちらのほうを振り向くがそこには透明な空気だけが漂っているだけだ。
しかしまた笑い声は耳をかするのだ。


「そこにいるの?」


自称神?
しかし笑い声しか応答が来ない。


「ねえ、どうして」


クモマはここで確実に足を止めた。
相手がどこにいるのかわからないけれど、絶対にどこかにいる相手に向けてたずねる。


「あなたは僕に向けて笑っているの?」


クスクス。


「何が楽しいの?どうしてあなただけ楽しそうなんだい?」


クスクスクス。


本当に『U』の奴、一体何が楽しいというのやら。
無駄に笑いすぎだ。しかもクモマにしか聞こえない声で。
どうしてクモマだけに笑うのか、わからない。


「僕はあなたのせいで人生を壊された。だから楽しくはないんだよ。僕から見るあなたの存在というのは、ちっとも楽しいものではない」


ここで笑い声がやや小さくなった。けれども継続している。


「僕から大切なものを奪ったことが嬉しくて笑っているの?」


暫くは小さな笑い声。終いには消えてしまう。
笑い声が、消えた。

それから耳元で何かがゆれた。
耳元にあった空気がキモイ声に震えたのだ。


「お主はやはり面白い人間だぞよ」


腕がぐいっと何かに引かれた。
体が傾いた方向には壁がある。このままでは壁にぶつかってしまう、そう思っていたけれどそれは勘違いであった。

傾いた体は、そのまま壁に吸い込まれていく。
あたかも壁が無かったように自然と倒れていく。何にもぶつかることなく自然体で地面に顔をつける。

壁にぶつかると思っていたので目をつぶっていた。
しかし目を開けてみてもそこは暗かった。

先ほどまでの風景とは違う、暗い場所。
なんとなく察した。
ああ、ここは壁の中なのだな、と。


「クスクス、待っていたぞお主よ」


暗い中で聞こえる声。それは先ほどまでクモマの耳にかすっていた笑い声と同じものだった。
それが今、完全に間近で聞こえる。

クモマは相手を断定した。


「自称、神…」

「クスクス、何を言う。我は神だぞよ。自称ではない」


クモマの言葉に訂正を述べる声が響く。しかしクモマは自称神だと呼び続ける。
あんなキモイ生き物が神のはずが無いから。

自称神こと『U』は静かに笑った。


「お主は面白い考えの持ち主だな。我が笑っている理由をずっと問い詰めてくるとは」

「だって気になるよ。どうして笑っているのか」


どこにいるのかわからない相手。場が暗すぎて見えないのだ。
しかしクモマは確実に正面に向けて言う。
そして『U』も正面に声を放って言っていた。


「我が笑っている理由を知りたいのか?」


相手に見えているか分からないけれどクモマは頷いて見せた。
すると行動が見えていたようだ。『U』は答えていた。
さぞ嬉しそうに。


「我はお主が自らの足で我の元へ来てくれていることが嬉しくて笑っていたのだぞよ」


ぞっと背中に寒気が走った。悪寒が襲ってくる。
どこに『U』がいるのか分からないぐらい暗いというのに、『U』が手を広げている感じがする。
子どもの帰りをずっと待っていた親のような仕草。


「さあ、今日こそ我の人形になるがいい」


途端、クモマの胸がずしっと重くなった。
心臓があるはずの場所が、しかし今は『U』の魔術が埋められている場所が手錠をかけられたかのように重みに下がる。
クモマは突然の重さに膝を倒した。


「……誰があなたの…人形になる…ものか…」


やはりだ。
『U』、奴は闇の中でも危険な考えを持っている闇だ。
考えが異常すぎる。

人間を人形にするなんて、悪趣味すぎるだろ…。


「クスクス。Lが落とした光で魔術がうまく発動しないかと思っていたが、さすが我の魔術だぞよ」


前に『L』が言っていた言葉を思い出した。
『U』の魔術は長い月日をかけて人形化を催すものだが、今回は1年目で人形になるかもしれない、と。
それほどまでに『U』の魔術は強さを増していた。

今ここで接触することで、『U』はクモマを人形にしようと魔術を無理にでも発動させ、クモマを苦しめる。


「ここはやっぱり、本気でいくしかないね…」


魔術が発動して急に体が重くなった。
けれどもこれに勝たなければならない。

だから、今回は腰に武器をかけてきた。
武器を手にとってクルッと回す。そして大きくなったトンカチを構えた。


「ここまで僕を怒らせたのはあなたが初めてだよ」


ずっしりと重いトンカチを振り上げて場の空気を鈍く揺らした。
『U』自身の闇も揺れて姿が現れる。
顔はやはり笑っていた。


「お主よ、我の世界にやってきておいて、我に勝てると思ってるのか?」


壁に吸い込まれたかと思っていたが実は『U』の闇の世界に引きずり込まれたようだ。
それを知ってクモマは歯を食いしばる。


「はっきり言ってキモイんだよ!」


はっきりと自分の気持ちを告げた。
しかし、『U』は笑うのみ。
クスクスクスクス、クスクスクスクスクスクス…。








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ついにクモマがトンカチを使います。

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