柔い光が消え、まとわりの血も消えた。
癒しの力を浴びることで血まみれだった帽子屋もようやく赤から逃れ、自由を取り戻した。
完治すると同時に唸り声を上げて帽子屋が目を開く。


「あ、起きた?」


帽子屋の視界に真っ先に入ったのはクモマの笑顔であった。
まるで母親のような笑みを見せるクモマ、しかし帽子屋の目は完全に冴えていない。
そのため、ぼんやりとした視界で世界を見ていた。
それでも大声を上げるほどの驚きを見せる。


「うお!タヌキ?!」


クモマを見て真っ先に帽子屋はそう叫んでいた。
初対面の人に気にしていることを言われ、クモマは正直にしょげた。


「面と向かってタヌキって言われるなんて……」

「たぬ〜、いい仕事してるわね」


あのブチョウからナイスサインを頂いてしまった。余計元気がしょげ返る。
しかし、すぐに帽子屋が前言を取り消し言葉を張り上げた。


「悪い。さっきいろいろとショックが重なって暫くの間、気を失ってたみたいだ」


帽子屋は完治しているとも関わらず頭を抱えながら身を起こした。
永い間視界を閉ざしていたため現実に目がなれてなかった、だからクモマをタヌキと見間違えた、と彼は説明する。
しかしどれにしろクモマがタヌキに見えたことには変わりなかった。

だけれど「短足」のことを言われるよりマシだと思い、クモマは今回の件については軽く流した。
そこで帽子屋が言う。


「お前、短足だな!」

「余計なお世話だぁああ!!」


精神的ダメージ!クモマはしょげた。
そして、もげた。


「何が?!」


それは、あなたの心です。


「は、恥ずかしいなぁ!」

「おいタヌキ!妙なリアクションとるな!!こっちもコメントしにくいだろ!」


精神的ダメージを食らったクモマは精神的に駄目になってしまい精神的に厳しい台詞を吐いてしまうようになっていた。


「そんなに精神的って言わないでよ!」


クモマが一人で興奮している間、目を覚ましたばかりの帽子屋もようやく脳が冴えたようで、今自分が何故ここにいるのか理解することができていた。
大量発生した闇の魔術師から逃げるために自分らがここにいる。
そう察知し軽く目を流したが視界に入った『O』に向けて帽子屋は目を丸めていた。


「死神、お前一人でここにきたのか?」

「いや、君を連れてここに来た」

「そういう意味じゃなくて、イナゴと吸血鬼はどうしたんだと聞いてんだ」


辺りを見渡して『O』以外の黒い者を探す帽子屋を見て『O』が申し訳なく顎を引いた。


「ごめん。ぼく一人が無事だった」


耳に入ってきた言葉に帽子屋は言葉を失いかけた。
『L』と『B』が有事に遭ったとは考えられなかったから。
しかし現にここには『O』しかいない。


「そっか。俺らだけが外に逃げ出してきたってわけか」

「うん」

「…………」


小声で言葉を交わす二人であったが、近くにいたトーフには微かに聞かれていた。
会話の中に混じっていた言葉を用いてトーフが二人の間に割り込む。


「『イナゴと吸血鬼』っちゅうのは、まさかLとBのことか?」


すると真っ先に目を見開いたのは帽子屋であった。


「知ってんのか?ってか猫?!」

「ちゃう!ワイはトラやねん!」

「違う違う!トーフちゃんはLさんの力で人間になったのよー」


帽子屋の語尾に突っ込むトーフを上乗せしてチョコが言葉を補充する。
チョコの説明を聞いて帽子屋が納得した声を上げた。
トーフの姿をまじまじと見て口をゆがめた。


「なるほど、お前が噂の黒猫か」


ブルンマインの箱庭通りの一角にある帽子屋の店に『L』を含め3人のエキセンが寛ぎにやってくる。
帽子屋は昔から奴らと仲がいいので何気に奴らについては一番詳しい人間なのである。
『L』がこれまでしてきた活躍も仲間を通じて情報が行き渡っている。そのため帽子屋もトーフのことを知っていたのだ。

目の前にいる者が、『L』の魔術で生き返った黒猫だと知り、帽子屋は興味を目で示した。


「イナゴって本当にすごいな…これが黒猫だったなんて、信じられない」

「うん。イナゴは偉大だ」


『O』も混じって、ここにいない『L』のことを褒める。
それから遅けれども帽子屋はクモマに目を向けた。


「お前が俺の怪我を治してくれたんだな?」


突然振られた話題だが、現にその通りなのでクモマは頷く。
すると帽子屋も目を細めた。
口は開かなかったが、目だけでも気持ちは通じる。
帽子屋の目にはクモマに対して感謝の気持ちが篭っていた。

怪我をしていた帽子屋も無事完治したところで全員が一息つく。
そこでトーフがふと口を開いた。


「そいで、LとBはどこにおんねや?」


あの時、微かであるが『O』と帽子屋の会話が聞こえていたトーフ、イナゴと吸血鬼を『L』と『B』だと勝手に確信して話を進める。
質問には『O』が答えた。


「彼らは今、戦ってる」

「?」

「4年前の自分が何も知らなかったから」


『O』の台詞の意味が分からずメンバーは首を傾げるのみ。
しかし分かることは、今『L』と『B』は何者かと戦っていると言うこと。
だけれどその相手が分からない。だからサコツが聞き出した。


「誰と戦ってんだ?」


帽子屋が一言で答える。


「エキセンとだ」


刹那、全員が魂の抜けた惚けた顔になった。
『L』たちと言えばエキセンの文字が当てはまる人物らだ。
それなのに、エキセンの彼らが何故エキセンと戦っているのか全く理解できない。

鋭く突っ込んだのはクモマだった。


「どうしてLさんたちがエキセンと戦ってるの?」


クモマの質問に答えようと前に出た帽子屋、しかしすぐに本人の悲鳴によって掻き消された。
帽子屋は目をギョッと見開いてクモマを指差した。


「お、お前…!」

「え、な、何?」


ぷるぷると震える指先でクモマに狙いを定め、大声で叫んだ。


「お前はキモUのターゲットの奴か?!」


瞬、時が止まった。
冷風が容赦なく吹き付けてくる。この辺りに木が無いと言うのにどこからか枯葉が降ってきた。

木の葉が頬に当たったクモマが正気に戻る。
そしてすぐさま叫んだ。


「ど、どういう意味?!」

「さっきからお前の顔を見るたびなんか引っかかってたんだ!だけどこれで分かった、お前はキモUのターゲットの奴だ!」

「だからそれがどういう意味だと聞いてるんだよ!」


すると『O』が行動に出た。


「『クスクス、お主よ。もう少しで我の人形の完成だぞよ』」

「「…?!」」

「うわ馬鹿だなお前!真似すんなよキショイ!」


棒読みだけれど『U』のマネをした『O』から逃げるために両腕に湧き上がった鳥肌を摩りながら身を引く帽子屋。
それを見て『O』が笑った。


「ふふふ。怖がることは無いよ。ぼくはキモイのじゃないから」

「それは分かってっけど、マネはすんな!」

「あとは人形があれば完璧だったんだけどなあ」


『U』といえば、クモマに似た人形を腕に抱いている気色悪いエキセンのことだ。
そいつのターゲットになっているクモマを哀れな目で帽子屋が見る。そのときにクモマと目が合った。
クモマは不思議そうに帽子屋を見つめている。
瞬きを何度もするクモマがやがてその気持ちを打ち明けた。


「ねえ、こんなこと言うのも失礼だけど、あなたは一体誰なんだい?」


質問を受け、帽子屋は「紹介が遅れた」と前振りを言い、営業スマイルをここで放った。


「俺は帽子屋で働いている者だ。帽子屋と呼んでくれ」

「いや、君はハッティだ」


しかし彼が作ったスマイルも『O』により一気に崩される。
「ハッティって言うな!」と叫ぶ帽子屋だけれどメンバー全員、「ハッティ」の方を採用した。


「すんな!」

「ねえハッティ。どうして血まみれだったんだい?」

「だからハッティって言うな!」


何故ハッティと呼ばれなくちゃならないんだ!とうなだれる帽子屋であったが、質問されたためそちらに答えた。
誰だって血まみれの姿で登場した人物のことが気になるものである。
帽子屋が簡単に説明した。


「『この野郎』にぶっ飛ばされた上、『キモイの』の顔を直視した」


しかし先ほど『O』が説明したのと同じ内容であった。
そのためもう少し詳しく訊ねようとクモマが前に出る。だが前に出ることが出来なかった。

目の前に『O』が現れてクモマの動きを止めたから。
『O』はクモマの腕を掴んでいる。

突然腕を掴まれてクモマはえっと声を漏らした。
だけれど『O』は真剣な眼でクモマを見て、ここで先ほど報告した『真実への扉』の鍵を文言で渡した。


「自分は君の名前を知らないけど知る権利も持っていない。自分は君に失礼なことをしてしまったから」

「え?」

「これは本当に大きな罪だと思っている。だからどうしても見せておきたかった」

「な、何を?」


『O』が言う。


「どうしても君に会わせたい人物いるんだ」


クモマが瞬きをした瞬間、『O』の足元には大きな鎌が転がっていた。
その鎌を見て全員が何かを悟った。

エキセンの中での鎌の扱い方は他と違う。
前に『L』が言っていた。
エキセンの中では鎌が流行っていて、これで空を飛ぶのだ、と。

そして今現に空を飛んでいる。

足元に転がっていた大鎌の柄に足を乗せ、死神は空に浮いた。
手はしっかりとクモマを掴んで。


「えええええええ?!」


成り行きで鎌に足を掛けてしまったクモマ。そして浮く鎌に立っているクモマ。
つまり今飛んでいるクモマ。

『O』に「しっかり捕まって」と注意を受けるが、聞けるはずが無かった。
尤も、聞きたいことが山ほどあった。


「何で僕が鎌に乗って飛んでるの?!」

「おい黒い奴!クモマをどこに連れて行く気だよ?」


『O』とクモマが空飛ぶ鎌に乗っている。
サコツがその理由を訊ねるとブチョウがサラッと答え出た。


「ちゃっちゃかトイレを済ませなさいよ」

「え!トイレなの?!」

「今どき連れション?!」

「鎌に乗っとる間にちびりそうやで!」


変な予想を繰り出すメンバーを背景に『O』はクモマの腕を掴んでバランスを取っていた。
そしてクモマは何故自分が鎌に乗っているのかということで頭が一杯だった。
しかし次の瞬間、クモマは再び悲鳴を上げることになる。

鎌がガクンと下がったと思えばそのままスピードを上げて前進し浮上していく。
まるで細波から大波へ向かうまでのサーファーのように、上手く青に乗っかって移動していく。
大鎌に乗った二人は仲間に何も言葉を交わすことなく、空へ吸い込まれていった。


「「………」」


それを緑の地帯から眺める複数の瞳。
遠ざかっていく人物らを暫く呆然と眺めていた。


「そんなにトイレに行きたかったんか?」

「我慢が足りない奴らだぜ!」

「おつむが足りない奴らだと思ってたが、おむつも足りないんだな」

「オンプ、お前上手いこと言うな」


全員がトイレネタで盛り上がっているころ、帽子屋だけが『O』の行動の意味を知っていた。
今から奴らが向かう先を予想して、目を閉じる。
すると草草が囁く声を背景音にメンバーのトイレネタが耳に流れて込んできた。


「って、いい加減トイレから離れろよ!」



+ + +


色が無いはずの風がここでは青く見える。
それほどまでに青い空を速く駆けているのだ。
荒れ馬に乗っているかのように暴走する鎌にサーフィン乗りしている『O』の肩に必死になってしがみ付いているのはクモマだ。


「僕が何をしたっていうのー?!」


これは一体何の拷問なのだ?
どうして自分ひとりだけこんな目に遭わなきゃならない?

クモマが山になった疑問を脳内に駈け回しているうちに視界は真っ青に包まれた。
上を見ても下を見ても青。


「海だ…!」


今、海を覆っている空を飛んでいる。
そのことに気づきクモマは感嘆の声を上げていた。
すごい、知らぬ間に自分はさっきまで立っていた大陸から抜け出してしまったのだ。

大陸から、抜け出した?


「ちょっと死神さんー!!」

「ん?」

「僕らどこに行くのー?!」


すると『O』はここでようやく文語を口にした。


「イエロスカイだ」

「はああ?!」


今先ほどまでいた大陸はピンカース大陸。その隣にあるのはイエロスカイ大陸。


「って、僕ら国境越えちゃったのー?!」

「そうだ」

「何のん気なこと言ってるのー!?」

「ふふふ。自分は『のん気』だから『O』と呼ばれてるんだ」

「そんなこと言われても僕には理解できないよー!!ってかマントが邪魔だよー!」


『O』の体を纏っているマントがクモマの体を打ってくる。
クモマが悲鳴を上げるけれど『O』は聞かずに国境横断に励む。

青く広い海の先、黄色い尻尾が見える。
これは大陸の先っぽである。つまり隣の大陸イエロスカイが目の前にあるのだ。


「さて、どうするかな」


イエロスカイを目前に頼れない言葉を吐く『O』に思わずクモマは不安を吹き出した。


「ここまで連れてきて置きながら無責任なこと言わないでよー!」

「どこに彼がいるかな」

「彼って誰?!ちょっと待ってよ、急に大きく右に回らないでよー!ああぁぁぁ」


鎌が挙動不審に移動していく。しかし移動スピードはかなり速い。
クモマは悲鳴を上げることで精一杯だ。
二人を乗せた鎌はイエロスカイ大陸の上空をスパッと斬って行き、空に強い風を生んでいく。



+ + +


空を見上げれば青と白が入り混じった世界が無限大に広がっている。
雲は右から左へ流れていき雲の行方を知らせている。
右と言えば、ここからだと隣の国ピンカース大陸から雲が流れてきていると考えてもいい。
層を積み上げている重い雲が空の風に乗って力強く体を引きずっていく。


「今日は空の様子がおかしいな」


平坦な道の脇に腰をかけて空を見上げていた平凡な少年は、雲の流れを見てそう感じ取っていた。
あんなにも大きな雲が風に押されて動いているのだ。驚きの拍子で声が押し出たのである。
そんな少年を見て呆れた表情を作るのは少し離れた場所に座っている女性だ。


「空ばかり見てると思えばいきなりそれですか」

「え、何?」

「空の様子がおかしいって馬鹿げたこと言わないでください」


彼女は空を見ていないため雲の様子を知らない。だから少年を馬鹿にするのだ。
冷たく注意され少年がへの字に口を曲げる。そのとき自分の服の裾が引っ張られていることに気づく。


「ねーあたしお腹すいたー」


誰よりも白を纏っている女の子がぷくーと頬を膨らませて喚いている。
そんな彼女に気づき、隣にいた黒を纏った男が提案を出した。


「なら非常食を食えばいいじゃねーか!」

「や、やめてくれ!本気にされるだろ、ってぎゃあああ!」

「生は硬いわー」


非常食だと言われた男は背中にタルを背負っている。
タル男の腕にすぐさま歯を向けた彼女であったが、さすがに生きている者は食べれなかった。
だけれどそれでもしがみ付く。それほどまでに腹を空かせているのか。
噛まれた男は必死に抵抗しているが、獲物に食いついた野獣は誰よりも怖ろしい存在だ。彼は逃げることが出来なかった。

生と死の戦いを全員が笑いながら見ている中、少年だけは空に目を向けていた。
空の様子が気になるのだ。
辺りを見ると草木も揺れていない。それなのに空は凄い強風が吹いている。
何故空だけが強風に覆われているのだろうか。
気になって気になってずっと空を仰ぐ。

青い空、白い雲、黒い粒。

強風に乗って全てが移動していく。
その中で黒い粒だけが確実にこちらに向かっている。


いや、

落下している…?



「ちょ…」


黒い粒がこちらに向かってきていることに気づき、少年は声を上げた。


「何か降って来るー!!!」


刹那、空から吹く強風に押され5人の旅人は少しばかりこの場から押し出された。
反射的に目を瞑ったが今目をあけて見ると、5人の目の前には先ほどまで無かった影があった。
その数は二つ。
足元には大きな鎌が転がっている。









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