人形への道しかない線路を引き剥がし、人間への道へと変えよう。


65.DolL's HarT


「心臓は、体中に新しい血液を送り出す血管系統の中心となる器官だ。血液は自動的に一定のリズムで収縮拡張を繰り返し循環を行う。心臓の大きさはその人の拳サイズで、胸腔の中央…いや違う、やや左寄りに位置してある。左右の肺に挟まれ心膜に包まれている心臓は…」


ここは孤島ブルンマインの箱庭通りの一角、帽子屋。
その中にはエキセントリック一族の3人とその主がそれぞれで動き回っている。
テーブルには『L』が持ってきた分厚い本が山になっている。これは全て彼の本である。
『L』はページを捲るたび声を上げて読み上げる。速読ができるのか。

難しい言葉が流れる店の中で、帽子屋と呼ばれる男はソファに塞ぎこんでいた。
『L』に頼まれた内容にショックを隠しきれないのだ。
シルクハットの中に顔をいれるほどに追い詰められている。


「…無理だ。…さすがにそれは無理だ……」


帽子屋は呻いた。この悲痛を誰かに共感してもらいたいのか、何度も細々した声を上げる。
しかしそれは騒音に似たものであり、すぐさま『B』が沈めにいった。


「ウザイのよあんたっ!」


むき出しになっている背中に平手打ち。よって帽子屋はソファから吹っ飛びあがりテーブルの上に身を倒した。
山積みの本が雪崩を起こし床一面に本の海が広がる。
『L』が読んでいた本も雪崩にさらわれてしまい、『L』は怪訝そうに眉を寄せていた。


「何ダイビングしてんだよ?そんなに本が好きなのか?それともオレの邪魔をしたいのか?」

「違…!吸血鬼の所為で…!」

「何よぉ?あんたがウザかったから叱っただけよぉ?」

「お前の怪力は人並外れてんだよ!」


元凶の『B』に憤慨してから、帽子屋は『L』に目を向けた。
『L』は帽子屋をずっと見ていたようで振り向いた途端に目が合う。
一瞬驚いたけれど帽子屋はすぐに自分の体をもやもやさせている不安と不満やらを打ち当てた。


「おいイナゴ、お前の考えていることは無茶が多い!」

「ん?何のことだ?オレはちゃんと計算して物事を言ってるんだけど?」

「ざけんな!あれで計算してるというのか!」


帽子屋は足元に落ちているシルクハットを拾い上げ、その中から紙を出した。
四つ折の紙を高速で広げて、『L』に押し付けた。


「こんなの作れるはずねえだろ!」


『L』の目の前に広がっている紙には手書きの絵や文字が並んでいた。
文字は細々と綴られ、絵はモモの実の形に似た物があらゆる角度で示されている。
原寸大も書いてある。この大きさは、人の拳の大きさに等しい。

帽子屋は『L』の顔に、『L』が作成した「心臓の設計図」を打ち咬ました。


「帽子しか作ったことがない男が心臓に似た入物なんか作れるかー!」

「だけど裁縫はできるだろ?」

「できるけどこれとはワケが違う!」

「同じだ同じ。とにかくこの大きさの入物を作ってくれたらいいんだ」


怒る帽子屋をなだめようと『L』は常に笑って対処する。
顔に投げつけられた設計図も折り目に沿って折り返し、帽子屋に返す。
帽子屋はいつものくせで受け取り、後から「しまった!受け取ってしまった!」と深く後悔した。

設計図を渡せたところで、『L』が澄み切った指の音を鳴らす。
その音に呼び起こされて、身を倒していた本たちが再びテーブルの上に引き返す。
本が両角を地面にトントンつけて歩いていく。可愛らしい光景が広がった。
やがて、床には何も落ちておらずテーブルに本の山が出来た状態を確認してから、『L』はまた本と向き合った。


「大丈夫。お前なら出来るよ。ハッティは腕がいいからな」


本の行進を見て唖然とした帽子屋だけれど、褒められてそっぽを向いた。


「…ったく、上等だ。やってやろうじゃねえか。って、ハッティと呼ぶな!」

「ハッティ、頑張りなさいよっ」

「だから呼ぶなって!」


何故かハッティと名を呼ばれてしまい、帽子屋は深くため息をついた。
それから店のカウンターに座り、設計図を眺めるのであった。

心臓に似た入物を作ることを帽子屋が承諾してくれたので『L』は一先ず安堵した。
帽子屋の腕は彼らが最も知っている。永い付き合いで、何度もシルクハットを修理してもらっているので。
帽子屋なら上手く入物を作ってくれるだろう、そう安心してから『L』は自分の作業に取り掛かった。 

『L』の仕事は心臓の仕組みを知ることだ。これを確実に知れば、帽子屋が作る入物に心臓の材料を入れることが出来る。
心臓のことなんか学んだこともない。そのため今必死になって勉学に励む。
『B』も『L』の助手として隣りに座った。
パラパラと本を眺め、心臓作りに適した項目ページがあるかを探す。
そして『O』はというと、


「みんなふぁいと」


プリンを食べながら応援するだけだ。


「なに楽してんだよ!!」

「全くよねっ!元はと言えばあんたが全て悪いのよっ!少しは手伝いなさい!」

「いや!手伝わなくていい!お前が動くだけで全てがメチャクチャになる!」

「「あ、そっか」」

「御挨拶だなあ」


動こうとした刹那、『L』に注意を受けたので『O』は結局その場に待機した。
向居のソファに座って頑張る『L』たちを眺める。

そしてポツリと呟いた。


「昔からイナゴは本を読んでいたなあ」


昔を懐かしむ発言が流れたため、『L』は笑いを含んでしまった。


「突然何を言い出すんだよ?」

「いや、一生懸命なイナゴを見ていたら昔の事を思い出して」

「昔?」


向居に『O』がいるけれどずっと本に目を向けて『L』は訊ねる。
『O』はうんと頷いて答えた。


「遠い昔、君は然程魔力を持っていなかった」

「…」

「後ろから数えて何番目かな、結構後から生み出された闇だったから魔力が少なかった」


『L』の過去を語りだす『O』に視線を向けたのは帽子屋だった。
今では天才エリート魔術師と呼ばれる男の過去なんかそう容易に聞けるものではないから興味があるようだ。
設計図から目を離して、目で話を聞く。

『L』も自分の過去を言われる恐怖を感じ取り、すぐに顔を上げた。
目の前の『O』は「ふふふ」と笑いを込めている。


「生まれるのが最後に近い闇ほど魔力は無いらしいね。Cから聞いたよ」

「…死神、そういう話は止めてくれないか…?」

「いいじゃんか。聞かせろよ」


きっとすることがなくて暇なのだろう。『O』は楽しそうに声を出している。
しかしその話のメインになってしまっている『L』にとっては非常に迷惑なことである。
そして『B』も、次は自分の話題が振られるのではないかとヒシヒシと身の危険を感じていた。

帽子屋の熱い視線に気づき、『O』が笑った。


「ハッティも人の子なんだなあ。こういう話は好きなのかい?」

「好きって言うか興味があるだけだ。ってお前までハッティって呼ぶな!」

「ふふふ。まあいいよ。聞かせてあげる」


読書をやめて『L』はシルクハットの両つばを下げて耳を塞いだ。これはお得意の、"この空気から逃げたい"動作である。
『B』も作業を中断し、今では『O』を見ている。その目には「私のことは言うんじゃないわよっ!」と殺意が篭っていた。

『O』は目を細めて話を再開した。


「昔々のイナゴはハッキリ言って魔術がヘタな駄目駄目な奴だったんだ」

「や、やめてぇ…!」

「確かジェイと同期なんじゃないかな。ジェイの次辺りに君が生まれたのを覚えている」

「お前、どうしてそこまで知ってるんだ?」

「ぼくが始めの闇だから。全てを見ていた」


生まれた当時の闇のことなら『O』が最も知っているかもしれない。
『O』は自分から動こうとはせず、ずっと周りを見て日々を過ごしていたから。
そのため、光の存在は嫌でも目に入った。いや、嫌ではなかった。興味があった。
闇の中にどうしてオレンジ色が混じっているのか気になったのだ。


「よくイナゴはジェイと一緒にいた。性格が似ているからなのか知らないけど、しょっちゅう馬鹿騒ぎしていたね?」

「そんな同意を求めないでぇ……」

「イナゴ、黙りなさいっ」

「だって…こんなの恥だぁ……」

「イナゴって何気に弱いよな」


自分のことになると本当に弱くなる『L』、彼の姿を見て帽子屋はづくづくそう思った。
そして『O』はしみじみとこう語る。


「あのまま何もしなかったらイナゴは弱いままだったんだろうなあ」

「ん?あいつ何かしたのか?」

「何って決まってるでしょぉ?勉強してたのよこいつはっ」


同族なため『B』もそのことは知っている。
昔々の『L』は机に向かっては勉強をしていた。努力する『L』はいつしかエキセン内でも興味を惹かれていた。


「勉強するしか方法が無かったんだよぉ…本当にオレって弱かったから…」

「うん。今ではこんなに立派になって、偉い」

「あんたの勉強している背中を見て、Kもあんたのことを好きになったんでしょうねぇ」

「イナゴって物知りだよなって思ってたけど、なるほど、勉強してたからか」

「だから褒めないでぇ…」


恥ずかしくて、この空気から逃げたくて、『L』はどんどんと身を沈めた。
このままでは地面に這いつきかねないので、急いで帽子屋がキッチンへ走る。そしてヤクルト一杯持ってきた。


「落ち込むことはない!だから茶でも飲め!」

「ありがとハッティ…」

「だからハッティって呼ぶな!」


コップを渡されすぐに飲み干す。
中身がなくなっても暫くはコップをひっくり返して水分を求めた。それほどまでに緊張していたようだ。
やがてコップから口を離す。そのときに『L』は声を漏らした。


「…元から勉強することが好きだったんだ…勉強すればいろんなことを学べるからな」


勉強が好き。と言うなんて、世の中にあまりいない人材であろう。
『L』は山積みの本から一冊抜き取って、中をのぞく。パラパラ捲って昔の香りを嗅ぐ。


「これ、初級魔術の本なんだ。本当に一からのスタートだったから、初歩的なことを学ばなければならなかった」

「そこまで魔力が無かったのか?」

「ああ、ジャックと争えるレベルだったよ。だけどオレはBちゃんと違って一応完全体だからな。魔術が使えないとおかしいんだ。それなのに魔術が使えなかったから、それが嫌だった」

「……」


出来損ないの闇である『B』はここでキュッと口を紡いだ。
『B』の場合は精気を体内で作れないほどの弱体なので魔力なんか作れる有余がないのである。
『L』はそんな『B』に目を向けて、言う。


「Bちゃんを見てたから、絶対に強くなりたかった」

「えっ?」

「苦しんでいる女性をほっとけないからな」

「……」


精気が無くて苦しむ『B』を間近で見たときに彼の心に火を燈された。
苦しむ人のために何も出来ないなんて、男ではないと思ったから。
完全体で生まれてきたのならばそれを尽くさなければならない。
完全体だから完全に魔術を使いたかった。

初級魔術の本を捲る。努力していた時代を懐かしむ。


「いろいろ勉強して、一般魔術は使えるようになった。だけどどうしても使えない魔術があった」


ヤクルトを飲んで元気が出たのか、『L』は次々と話を繰り出した。
今では『O』の顔を見て、続きを言う。


「オレは、闇魔術が使えない」

「……」

「使えるかもしれないけど、使えない…。怖いから」


また本に目を戻した。


「闇魔術は、人を傷つけるしかできない魔術。怖ろしくて使えないよ…」

「…」

「…オレは光になりたかった。闇だけど光を纏いたかった」


再び沈んでいく『L』。「光」で彼女の事を思い出したのか。
必死に頭を振って今度は心臓の本を眺めだすがそれでも震えは止まらない。


「やっぱり無理だよな。一般魔術を使いこなせたって闇魔術には到底敵わないだろうし光にもなれない。オレは損しかしていない」


そう言う『L』を見て、首を振るものがいた。『O』だ。


「そうかな?君なら光になれるだろう?」

「どうしてそう言い切れるんだ?」


『O』の言葉にしがみ付いて理由を尋ねる。
そんな『L』に『O』は言い放った。


「君はすでに光をまとってるからだよ」

「…!」

「イナゴの登場で命が助かったという人は世の中にごまんといるだろう」

「…こいつはそんなにオレの恥じれた姿を見たいのか?」

「ふふふ。どうだろう」

「……ハッティ、ヤクルトちょうだい」

「自分でもってこい。ってかもうハッティで定着したのか?!」

「ハッティ、私にもイチゴミルク持ってきなさいっ」

「プリンも頼む」

「知るか!勝手にしろ!」


心臓を作るために心臓の全てを知る。そのために本に喰いつく。
しかし『L』は恥から逃げるために本に喰いついていた。シルクハットで耳を覆わず今回は本で顔を覆った。
心臓について書いてある分厚い本を顔に乗せ、『L』はソファに背もたれる。


『L』の懸命な姿をエキセンたちはずっと見ていた。
努力で作った力ほど素敵なものはないと思うから、自然と興味を惹かれたのだ。
闇の支配者の位置に立っている『R』も『L』の頑張る姿を見ていたので『L』を四天王として迎えているのである。
心ある者たちは『L』の真の力を待ち望んでいる。
『R』の場合は『L』の心に隠れている闇魔術の正体を待ち望み、この場に居る闇たちは光を放つ『L』を待ち望んだ。


やがて、成り行きでキッチンへと姿を消した帽子屋が再びこの場に戻ってきた。
今度はジョッキに入ったヤクルトとイチゴミルク、そして大皿に盛ってあるプリンを抱えて。








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