ブルンマインの箱庭通りの一角が熱く燃え上がる。
中にいる者たちがこの上ない興奮に陥られているのである。


「出来たー!」

「わかったー!」


カウンターのイスにもたれて大きく伸びをする帽子屋と、ソファから立ち上がって本をパンっと閉じる『L』。
二人が一体何の興奮に陥られているのか、言わなくても分かることであろう。
結局何もせず応援だけをしていた『B』と『O』も喜び色を輝かせた。


「頑張ったじゃないの二人ともっ」

「よく頑張ったね」


視線を合わせるために腰を上げた二人は、笑みを零して『L』を見た。
『L』の顔も笑み満開だ。


「心臓には心房と心室ってのがあってな、左右の心房を隔てる壁には卵円孔という孔ってのがあるんだけど、血液は右心房からこれを通じて左心房に移るんだ。でも呼吸が始まると…」

「そんな興奮して言われても誰もわからないわよっ!」

「イナゴは難しい言葉をツラツラと並べるのが好きだな」


『L』は心臓の全てを理解した上で言葉を弾ませている。
勉強の成果が笑顔から拝見できるので、傍観者の『O』も微笑ましく『L』を見届けた。

床が軋む音が近づいてくる。帽子屋が駆けて来てるのだ。
手にはモモの実の形を帯びた黒い布の塊を持って。


「こっちも作業終わったぞ」


『O』がいる側のソファの前に来て、4人は向かい合う。
心臓に似た入物を作った帽子屋が目の前に来たので『B』は口を歪めた。


「あらぁ。あんたもいいもの作ったじゃないのっ」


黒い塊は心臓に似た入物。
帽子屋はそれを全員の視界の中央に置き、出来具合を確認させる。
心臓作りの最終責任者の『L』が先ほどの笑みのまま、彼を認めた。


「よし上出来だ。さすがハッティ、上手いな」


褒められて、帽子屋はそっぽを向く。


「当然だろ。俺を誰だと思ってる」

「「ハッティ」」

「違っ!帽子屋だ!まだハッティって呼ぶか?!」


ハッティこと帽子屋の叫びは、見事流された。
中央に置かれた黒い入物を手に入れて、『L』が目を細める。
黒いため少し離れた場所からでは細かな部分が見れないが、目の前に持ってきて入物を見たときにこの入物の凄さを再び実感した。


「すごいな…あんな短時間でここまで立派な入物を作るなんて」


心臓に似た入物は、本当に心臓とそっくりであった。
これが布とは思えないほどの立派な作品。さすがの『L』も感嘆した。


「帽子屋をやめて心臓屋をすればいいよハッティ」

「いいはずねえだろ!?」

「何よぉ、あんた何気に凄いじゃないの」

「ハッティは期待を裏切らないな」


残りの二人も身を乗り出すことにより入物の繊細さに目を丸めた。
全員に褒められて帽子屋は目の辺りを顰めて照れを誤魔化した。


「イナゴ、これでいいんだろ?」

「ああ、完璧だ。本当に設計図に沿って作ってくれたんだな」

「設計図を渡されたからにはこれの通りに作りたかったし、それによりも何も楕円型の入物を作るだけなんて俺のプライドを反するのと同じだ」

「お見事ハッティ」

「だからハッティとは呼ぶなって!」


帽子屋の名を掲げているだけあって彼は裁縫に関しては強い執念を持っている。
完璧に仕上げないと腑に落ちないので今回も完璧に作り上げたのだ。

黒い心臓を眺めていた『L』もここで自分の仕事を思い出す。
帽子屋がここまでしてくれたのだ。あとは自分が頑張らなくては、と使命感を燃やす。


「よし、あとはオレに任せろ」

「お、頑張れ」

「あんたに全てが係ってるんだからしっかりしなさいよっ」

「応援してるよ」


全員、ソファに座らず、今このときを真剣に見届ける。

『L』は黒い入物を優しく抱きかかえこんだ。
胸の中にいれ、首を垂らし、全身で包み込む。
するとオレンジ色の光が燈った。『L』が魔術を込めているのだ。
黒がオレンジ色に染まる。それを『B』は真横で、『O』は目の前で眺めた。

先ほど勉強で手に入れた心臓に関する知識を光に入れて、入物に吹き込む。
帽子屋が心臓に似た入物を完璧に仕上げてくれたため、作業はより早く終了する。

『L』が燈す光が消えたとき、空気状を緊張の糸が張り上げた。
今は『L』が身を屈めているため入物の様子は見えない。『L』が顔を上げたときにこの緊張の糸が切れる。

そして、今、切れた。


「…出来た…」


頭を上げた『L』はゆっくりと胸においてた手を離した。
その手の中に入っているものは入物。

いや、今ではグロテスクなものである。

こいつを久々に見た。
始めて見たときは今から4年前に『O』が持ってきた、心臓。

色は変わらず黒いままだ。しかし後にこの黒は血の色に染まる。
皮膚の間を廻っている血管が血を含んだときに赤く染まるから。


「…心臓だ…!」


『L』が持っているものは、まさに心臓の二文字が非常に合うものであった。
全員が絶句する。今ここに実現している成果にただただ正直に驚く。
そして『L』も違う意味で驚く。


「な、中身が入ってない…」


呻き声を聞いて、帽子屋がえっと声を漏らした。


「中身が入ってないってどういう意味だ?」


動揺を隠しきれない『L』は眉をぐいっと寄せて悲鳴のような説明をあげた。


「心臓の鼓動は血液が行き来して起こるものだから、動いていない理由は分かる。だけどそれだけじゃない」


『L』の手に溢れている心臓は確かに動いていない。支えている手が小刻みに震えることによって少し揺れているだけだ。心臓自体は動かない。
血液がないと動かない理由は分かるけれど『L』はそれだけでは足りないという。
どういう意味なのだろうか。


「心臓ってのは人間を動かす最も重要な器官だ。だからその分必要なのが多用なんだよ」

「た、例えばどんなんだ?」


帽子屋の疑問に首を振る。
心臓を持っている手でシルクハットのつばを下げて耳を覆う『L』はそのまま視点を下に向けた。


「それが分からないんだ…。一体何が必要なのか、全く検討が尽かない…」

「何よそれっ!あんたしっかりしなさいっ」

「形は完璧だから心臓を体内に埋め込むことは出来る。だけど心臓は動かない。血液が流れないから動かない」

「意味がわかんねえよ!ちゃんと説明しろ!」

「血液がないと心臓は動かないけど、心臓も血液が流れないと動かない。とにかくどっちも動く気力を持ってないと動くことが出来ないんだ」

「どうしてこの心臓に気力が無いとわかるんだい?」

「中身が空っぽだからに決まってるだろ…!」


一人で突っ走る『L』は自分の過ちに押しつぶされて頭を抱える。
彼が言う"中身"とは一体何なのか。
中身があれば心臓が動くとのことだが、果たしてそれは何?
『L』本人もその正体が分からない。そしたら自分らは何に頼ればいいのだ?


「心臓に気力を与えるために何が必要なのか、わからない…一体何なんだ?」

「知るか!お前が作ったんだからお前で解決しろ!」

「解決したいけど分からないんだ。糸口が見つからない限り何もすることが出来ない…」

「イナゴ、君なら出来るよ。君なら糸口を見つけられる」

「根拠も無いくせにそんな慰めするなよ…!」

「追い詰めたら駄目だろう?これは君だけの責任じゃないんだから」


ここまで作ったのはいいものの、中身の正体が分からない。
だから、心臓をここまで作った責任者は深く自分を追い込む。
それを宥めに入るのはずっと傍観していた『O』だ。


「君はよく頑張ったよ。心臓をここまで作ったんだから」

「だけど動かないなら意味が無い」

「しかし中身があれば別だろう?」

「その中身が分からないから自分を追い込んでるんだよ」

「追い込んでどうするんだい?追い込むことにより何が見つかると言う?」

「…自分の勉強不足が目に見えるだけだ…」

「それじゃ駄目だよ。君はここまで頑張って勉強して強くなった。君は前だけ見ていればいい。前向きに勉強に励む君のままでいてよ」

「…」


『O』は慰めるときだけ今まで以上に強くなる。
いつも相手を眺めている分、彼は相手のことをよく知っている。だから強く言うことが出来るのだ。
客観的に見ると善い部分は輝いて見えるから、どうしてもそこを褒めたくなる。
だから自然と笑みが零れるのだ。


「君は休んでいなよ。代わりにぼくが見つけるから」

「…」

「君が失くした糸口を」


そして『L』の手から心臓を剥ぎ取り『O』は心臓を眺め始めた。
自分の手が空になったことに気づいて『L』もようやく顔を上げる。そして耳を覆っていたシルクハットのつばも元の位置に戻した。


「死神、無理しなくていいぞ?」


脳にプリンぎっしりの男のことを心配すると、『O』が笑って返してきた。


「君こそ、もう無理はしなくていい」

「…」

「しかし、立派な心臓だなあ」

「おい?!大静脈に指を突っ込むな!」

「抜けない」

「アホだー!!」


一瞬だけ、しんみりとなったこの場も『O』のお馬鹿な行動によって崩れた。
帽子屋が必死に心臓を引っ張って『O』の人差し指を取ろうとする。
その光景を見ていて、『L』も微笑んでいた。


「分かった。あとはお前らに任せるよ」


しかし、今奴らは心臓の大静脈を引っ張っている。任せていいものなのか。
危険な行動をする二人を笑ってみている『L』の隣り、『B』はじっと心臓を見ていた。
バラ色の唇をへの字に曲げ真剣な眼差しで心臓の中身を探ろうとしているのだ。

心臓がゴムのように伸びていたが、元凶である指が抜けたことで心臓は元の姿に戻ることができた。
抜けた勢いで宙を舞った心臓は弧を描いて『B』の元にやってくる。
手のひらを置いて心臓を受け取った。


「あんたら、ちゃんとしなさいよっ」


心臓を荒々しく扱う奴らを一言で沈め、『B』は手のひらにある心臓に目を置いた。
近くで見るとこんなにもリアルなものなのか。本当に心臓であったので驚いた。
あとは動けば完璧だ。血液と心臓を動かすために中身を吹き込めばこいつは完全なる心臓。

だけれど、その中身とは、何?

そんな疑問を持った刹那、『B』の心臓が高まった。ドクンッと脈を打つ。
高まる胸の鼓動。何故鼓動が起きる?
その理由は口元が語った。
口を開くと白い牙が十文字に光る。


「この心臓…」


『B』は言った。


「精気が無いわ…」


『B』は続ける。自然と唇が震えた。


「私のように精気のない空っぽな中身をしている…」

「そっか、精気か…!」


心臓の圧迫数により語尾を震わす『B』の意見を聞き、『L』は納得の声を上げていた。
目を輝かせて心臓を見た。


「精気は生命の源泉たる元気の源だ。なるほど、これがないとすれば動かない理由も分かる」

「心臓に元気が無いなら動かないのか。なるほどな」

「ふむ。そしたらBちゃんはどうして動いているんだい?」


精気が無いから動かない心臓、対して『B』は精気が無いけど動く者。
それには『L』が答える。


「精気以外の他の成分が彼女を補ってくれているんだ。だから動ける」

「そしたらこの心臓には精気の他にも成分が必要なわけだな?」

「そうだ」


次々とひらめきを起こす『L』、結局彼は休まず頭を動かしてしまったが、それでも『B』は嬉しかった。
「精気」の一言で彼が目を輝かせて事件を解決してくれたから。ほんの一部だけだけどそれでも良い結果を生み出している。
一つ手掛かりを見つければ後は結構自然と見つかるものである。
近いうちに見つけることが出来るであろう。

今これで心臓の中身の一つが分かった。それは「精気」。
しかしどうやって吹き込めばいいのだろうか?


「私が精気を入れるわ」


盛り上がっていた空気も一気に静けさを帯びる。
『B』が無理なことを言うからだ。
ただでさえ彼女には精気が無いのに、どうしてそのような事を言うのか。
そう疑問に思っていたら、彼女自ら答えていた。


「私は精気を操ることが出来るのよぉ?他から精気を奪って、溜めた精気を一気に心臓に吹き込むわっ」

「む、無茶するなよ…!」

「無茶ぁ?このぐらい朝飯前よっ」


『B』の考えは適切なものでもあるが、危険でもあった。
体内に取り入れた精気を全て心臓に吹き込まなければならないということは彼女の体が心配である。
彼女の命を繋いでいる精気を他にやることが出来るのだろうか?

全員から視線を浴びて、『B』は不機嫌に眉を寄せる。
そしてため息を吐いた。


「あんたら、心配しすぎよっ!私だって精気のことぐらいコントロールできるんだからねっ」

「でもBちゃんの体が心配だ…」

「誰から精気を奪うんだい?」


心底心配する『L』とは裏腹に『O』はのん気にそのような事を訊ねていた。
『B』は答える。不敵に笑みを込めて、牙を見せて。


「誰から?そんなの決まってるじゃないの」


そして素早く『L』の前に来て顔を近づける。
首筋に牙を当てるとそのまま一気に、奥に入れた。
 

「あーいたたたたたた!!」


牙を刺されて『L』は悲鳴を上げた。
『B』は空いた穴から精気を吸い取る。少しだけであるが。
しかし『L』は


「でも、いいかも…」


彼女の牙は痛いけれど微かに当たる唇の存在、それに快感を感じていた。


その後、調子に乗りすぎた『L』は尻を蹴られてピクリとも動かなくなった。
 








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