花畑に浮かぶ黒と白。
黒は大きなマントを膨らませて自分の存在を大きくしているのに対し、白は身を縮めている。
天使のタンポポは座って花を見て微笑み、『L』はその背後に立って彼女の後頭部をじっと見ていた。
何も考えず、じぃっと凝視して。
そんな『L』に向けて、タンポポが花を見ながら声を漏らした。


「ここは綺麗でヤンス。アタイ、この花畑が好きでヤンス」


花の頭を触って微笑みを浮かべるタンポポを見て『L』の表情が固まった。
後頭部しか見えないが『L』は魔術師だ。相手の行動ぐらい脳裏に思い浮かべることが出来る。
そのため彼女の微笑みに釘を打たれていた。
だけれど『L』にしてはあまりにも惚けた顔である。

暫くしても『L』が応答しないので不思議に思ったタンポポは振り向いて彼に顔を見せた。


「どうしたでヤンスか?」


タンポポに惚けた顔を見られることを恐れ、『L』はいつもの調子を取り戻すために顔を振って自分の空気を取り戻す。


「驚いただけさ。イエロスカイにこんな花畑があったなんて知らなかったから」


するとタンポポが、えっと目を丸めた。


「あんたはこの大陸の人じゃないでヤンスか?」

「ああ、遠い国からやってきたんだ」

「へえ、すごいでヤンスね」

「すごい?そうかな?」


目を彼女からそらして恥を隠す。いや、何でこんなことで恥らっているんだ。
無意識に自分が照れていることに気づき、そして自分の頬が赤くなっていることに気づき、『L』はこの上ない緊張感に陥られた。

今までにこんな感情を持ったことがない。
何だろうこれは。どうしてこんなに胸が苦しいんだろうか。
分からない。一体何が何だか。
初めての体験で、ひどく戸惑った。
表情を隠すためにシルクハットの広いつばを下げ、緊張から逃げようとする。

『L』が緊張しているのに対してタンポポは笑みを絶やさず保った。


「遠い国からどうやってここに来たでヤンス?」


その質問に、顔を隠しながら答えた。


「指を鳴らして、来たんだ」


タンポポは首を傾げる。
誰だってこの行動は取るだろう。指を鳴らして移動なんて普通ならば出来ないことだから。
少し間を空けて、『L』が自分の正体について告げた。


「オレは魔術師さ」

「魔術師?」


タンポポは興味があるようで、くっと顔を上げた。
突然顔を近づける彼女に驚いて『L』が一歩身を引く。
普段ならばすぐさま腰に手を回す場面なのに、初めてだ。相手から逃げようとするのは。

見上げる天使のために魔術師は更に言葉を繋げる。


「あんま人に好かれてない一族なんだけどな」

「へえ、そうでヤンスか」

「ああ、うん…」


驚いた。自分の弱さに。
何故だ。いつもはすぐに話題を見つけることが出来るはずなのに、今回は何も思い浮かばない。
頭の中が真っ白だ。全てが初期化された感触がする。
何も思い浮かばない。言葉が、行動が、全てが。
焦り、顔の色も赤に伸びる一方だ。
どうした、どうしてしまったんだ。
意味が分からなくて、どうすればいいかわからなくて、
入学したての学生のようにあたふたあたふた表情に焦りを見せた。

それに比べてタンポポは平然と『L』を見上げていた。
目には微笑みが広がっている。


「魔法が使えるってことでヤンスか?」


興味津々に見上げてくるので、『L』は急いでまた一歩後ろへ下がってから質問に答えた。


「…あー……あーうん。他の連中は"魔術"って感じだけどオレの場合は"魔法"だな」

「え?」

「オレは可愛らしい魔術しか使えないんだ。はっきり言って闇なんか扱えないし」


闇、と言った瞬間、タンポポの顔色が変わった。
その顔を見て、『L』も自分の過ちに気づく。

しまった。天使は闇が嫌いなんだ。

だけれど彼女はすぐに目を細めた。


「あんたは可愛い魔術師、ということでヤンスね」


相手が闇を使わない魔術師と知ったからであろう、タンポポは安堵した笑みを零す。
『L』はシルクハットから手を放し、親指と人差し指を重ねた。


「可愛い…かなあ…」

「あ、何でヤンス?まさかその魔法とやらを見せてくれるでヤンスか?」


タンポポが弾んだ声を漏らした。
天使も魔法は使えるけれど、エキセントリック一族のように指を鳴らしたりとパフォーマンスを見せて魔術を出さない。だから興味があるようだ。

『L』もそれに答えようということで、無意識に重ねていた指を鳴らすために腰を曲げた。
タンポポの顔の前に魔術を繰り出す手を見せて。
身をかがめた『L』は彼女を喜ばせるために緊張ながらもぐっと指を擦った。
指を擦った。
指を、擦った…?

何も響かなかった。
パチンという音が鳴らなかった。
それはそのはず、『L』は指を掠めただけだったのだ。
擦らずに掠める。それは大きな違い。
擦れば音は鳴るものだけれど、掠った場合は何も鳴らない。それは当然のことである。
だから『L』の指からは音が鳴らなかったのである。

そういうことで、その場には何も起こることはなかった。
空気も揺れることなく、冷たい風が吹くのみ。

暫く時間がたって、事の状況を把握した『L』は本当に顔を赤くした。
そしてタンポポも『L』が魔術を失敗したことに気づいて、大声上げて笑い転げた。


「はははは!失敗したでヤンスか?」

「………!!」


今まで一度も失敗したことなかったのに…!

失敗した自分を見られたくなくて、この空気から逃げたくて、
急いで顔を覆い同時に腰を落とした。
しかし座ったことによりタンポポの体により近づいてしまって、今度はそれから逃げるように後ろへ返る。
タンポポは腹を抱えて笑いっぱなしだ。


「本当にあんたは魔術師でヤンスか?」

「あぁぁああぁ……」


顔を手で覆っているため篭った声はより一層被さった。
間抜けな声を縛りだして『L』は悲鳴を上げる。こんなの恥じだ…魔術師として恥だ…!と追い詰める。
それなのに背後からはタンポポの笑い声が続いていた。


「魔術師ってこんなものでヤンスか?」

「いつもは音が鳴るのに……」

「本当でヤンス?掠った音しか鳴らなかったでヤンスよ」

「本当は鳴るんだよ…!」


顔を覆ったまま体をぐっと曲げて大胆に恥を隠そうとする『L』。
タンポポは「あんたは楽しい魔術師でヤンスねー」と笑い深けた。
本当の『L』ならばエリートということで魔術を出すのを得意としているのに、何だこの様は。
そもそも、エキセントリック一族の中で魔術を失敗する者なんているものだろうか。
もしかしたら『L』が初めてだったのかもしれない。

やがて『L』は体を沈めて動かなくなった。
タンポポも声を立てて笑うのをやめて沈んだ『L』を見やる。

一段落着いたところで、「そういえば…」と話を切り出したのはタンポポだった。


「あんたの名前を聞いていないでヤンス」


声が耳に入り、『L』の顔色も引いていった。赤かった顔が元の色に戻る。
"名前"という響きに何だか胸が締め付けられた。
しかし何とか声を絞り出した。


「…オレに名前なんてないんだ…」


そう返すと無論タンポポは唖然としていた。


「名前がないでヤンスか」

「ああ」


頷く『L』の体は沈んだままだった。もう少し自分らのことについて語る。


「世の中には名前がないものなんてないんだけどオレにはないんだ。何か名前を呼んでもらわない限りオレには名はない」

「……」

「仮名はあるけどあんなの名前じゃないし…」


『L』のことを知り、タンポポは口を噤んだ。
それから笑ったことに対して失礼なことをしてしまったと思った。
だから急いで謝る。


「ごめんでヤンス。そんなこと知らずにアタイはあんたに失礼なことしてしまったでヤンス」

「いやいいよ。名前なんか何とかすればもらえるし」

「そうでヤンスか?」

「俺に向けて名前を呼んでくれればそれが名前になるけど、そう簡単にオレのことを見て名を呼べる者なんていない」


そして『L』はもっと深く頭を沈めた。
座った体勢で体を曲げて頭を地面につけているのだから相当な体の柔らかさだ。
シルクハットのつばも地面に当たって曲がる。
緊張と恥と恥と恥と切なさが積み重なる。

そんな『L』をタンポポは心配そうに見やった。
彼女は今探しているのだ。『L』にかける言葉を。
しかし見つからなくて、噤む。
だから無音が暫くの間続いた。

花畑の中だから様々な生命に囲まれている。
二人が笑ったり恥を隠したりして暴れていたので少々花が散ってしまっているのだが。
しかし二人は気づいていなかった。楽しくこの場を過ごす。
いや、今は嫌な空気が靡いている。

タンポポも知らぬ間に目線を下げていた。
どうしようと困り果てているのだ。言葉を見つけようとしても見つからないから塞ぎこむ。
そのときに見つけた小さな生命。虫だ。
虫がピョンピョン飛び跳ねて移動している。それを暫く見ていた。

 あの虫は……

跳ねている虫はやがて自分の前までやってきて、それから大きく地面を蹴った。
宙を弾いて虫は黒い地帯に着地する。
『L』の肩に乗ったのだ。しかし『L』は気づいていなさそうだ。
虫がついているので、タンポポはそのことを教えてあげようとした。


「イナゴでヤンス」


ポンっ。
そう言いながらタンポポは『L』の肩を叩いた。
そのときに虫のイナゴは羽を伸ばして飛んでいく。

その場に残ったものは、『L』とタンポポと沈黙。
『L』は暫く何かを考えているようだった。
ずっとずっと、頭を地面につけたまま考えて、やがて結論を見つける。

結論に答えが結びついた刹那、『L』はガバっと頭を上げた。
体を捻ってタンポポと顔をあわせた。
再びタンポポと向き合った『L』は喜び色に溢れていた。

『L』が叫んだ。


「今、名前呼んだか?」


一瞬、呆気に取られた。
しかしタンポポは急いで頭を動かした。


「呼んだでヤンスよ」


虫の名前を。
そう続くはずなのに、続くことが出来なかった。
『L』が元気を取り戻したから。
ピョンっと飛び跳ねて喜びを表した。


「イナゴ!そっかイナゴか!」


タンポポには理解できなかった。どうして喜んでいるのかを。
虫の名前に喜ぶ道理があったのだろうか。
暫く首を傾げて光景を見ていると、『L』が表情を緩めた姿で、懐から受話器を取り出していた。
これはエキセントリック一族の連絡手段機で「ミソシル」と呼ばれているものだ。俗に言う電話である。
『L』はミソシルのボタンを押してすぐに耳に当てる。
そして相手が出たらすぐにこう叫んでいた。


「チャーリー!オレ、名前もらったよー!」


そのまま突っ走った。


「オレ、イナゴってんだ!もう L じゃないんだイナゴなんだ!」


えっとタンポポは目を丸めた。
何か間違えてる気がしてならなかったが『L』は突っ走り続けている。


「肩叩かれて名前を呼ばれたんだ!いいだろー?」

「あ、あの…でヤンス」

「あーよかったー名前もらえて本当によかったよ」

「あの…でヤンス」

「と、いうことで名前簿にオレの名前も追加しといてくれよな!よろしく」


連絡し終えると『L』は早々とミソシルをしまった。
満足そうに胸に手をあて、幸せを満喫している。そして興奮している。先ほどの『L』とは別人だ。

しかし『L』に失礼だけどタンポポは本当のことを教えようと手を伸ばした。
本当は虫の名前を呼んだんだよ、と。
しかし『L』の幸せそうな顔を見ていたら、言う言葉を誤ってしまった。
『L』の手を掴んでこんなことを言っていたのだ。


「よかったでヤンスね。おめでとうでヤンス」


すると『L』も先ほどとはまるで違う行動を起こす。
うん、と子どものように頷いて笑っていた。


「ありがとう。ダンちゃんのおかげでオレの名前が生まれたよ」

「そうでヤンスか」

「本当にありがとう」

「いえいえ、でヤンス」


本当はただの勘違いだけれど。


「そっか。オレはイナゴか。何だか面白い名前だけど、いい名前だ…」

「気に入ってもらえてよかったでヤンス」


それ、虫の名前なのだけれど。

しかし只今動揺している『L』はタンポポの心を悟ることが出来なった。
一人で突っ走り、それにタンポポを巻き込んで、笑みを零す。

嬉しくて嬉しくて、
今までほしかったものがやっと手に入って、
それが嬉しくて、『L』は笑い続けた。

タンポポもそんな『L』に幸せをもらって笑っていた。

花畑に浮かぶのは幸せ色。
黒も白も正反対の色だけれど、どれも同じ色を帯びている。
しかし時が経つと黒がすぐに白から離れた。色を赤に帯びて逃げる。
白は赤になる黒の存在が面白くてまた笑っていた。







「お前どうしたんだ?」


ここはいつも馴染みの帽子屋。
今回も師匠が居ないうちにやってきて3人は寛いでいる。
その中の一人がソファーに横になってニマニマと微笑みを零す。
その表情がキショイ!と『B』が叫んだ。


「あんた何してんのよぉ!席をとらないでちょうだいっ!」

「座ってプリンを食べたいんけどなあ」


『B』と『O』の話も聞かずに『L』は突っ走っていた。


「そっかぁ…ダンちゃんか…ダンちゃん……」


『L』は赤い顔色のまま足をバタバタ動かす。
今までにない行動を起こす『L』をみて、その場にいる全員が眉を寄せた。


「おいどうしたんだ!」

「何よっ!ダンちゃんって一体誰よっ!」

「ん?もしかしてこれか?」


そして『O』はすぅっと小指を立てた。
すると『L』がより顔を赤くしてソファに顔を沈めた。


「そんなんじゃない!そんなんじゃないんだ!」

「ふふふ。そしたら何だというんだ?」

「わからないよ!もー何もわからない…!」


それから何か喚いていたがソファに声が吸い取られ、『L』はごもごもとしか言わなくなった。
変な人は放っておいて、と『B』が若き帽子屋カオルに話題をふった。


「そういえば、Lが名前をもらったらしいわよぉ」


すぐに飛びついたのは『O』の方であった。


「へえ。それは初めて知った」

「あらっそうなの?」

「L に名前?一体どんなんだ?」


幼き子どもだけれど、この闇の者が相手ならば口調はキツイようだ。
『O』もプリンを食べるのをやめて聞く耳を立てているので『B』は思わずふっと口を歪めた。


「そんなに興味を示すものじゃないわよぉ。私も聞いたときはビックリしたわ」

「なになに?」

「イナゴ、だってよぉ」


「「イナゴ?」」


『L』の名前を聞いてカオルは惚けた顔をして、『O』は後ろ向いて笑いを堪えているようだった。
『B』も続いて笑いを込める。


「イナゴって虫の名前でしょぉ?一体どんな風にしたらそんな名前をもらっちゃうのかしらねぇ」

「ダンちゃんがさぁーくれたんだってー…」


笑いが含んだ『B』の質問に『L』が顔を上げて答えた。
その顔はやはり赤かった。
『O』は訊きたいことがあったので訊ねてみた。


「ダンちゃんとは?」


『L』は即答だ。


「女の子」


それからうへへと危険な笑い声を上げた。
3人は驚いた分だけ後ろへ下がる。

結構後ろへ下がった『B』が思わず叫んだ。


「一体どんな子よ!あんたをここまで追い詰めたのはっ!」

「全くだ!お前大丈夫か!その悦な表情はヤバイだろ!」


カオルは『B』よりも後ろに下がっていた。
比べて『O』は一歩しか下がっていない。
一番『L』と近い場所にいる彼が再び尋ねる。


「どんな子だったんだい?」


やはり『L』は即答だ。


「可愛い子」

「目は?」

「パッチリくりくりキョトンキョトン」

「うん。ダメだこれは。結構ここがやられている」


頭を突付きながら『O』が諦めたように後ろにいる2人に告げた。
カオルが深く息をつく。


「厄介だな。こんな惚気がこれからもうちに通うとなると…恋話を聞かなくちゃならないか」

「あの女たらしにしては珍しい結果じゃないの。本気なのねぇ」

「こんなイナゴも面白い」


それから3人が『L』の悦った表情を見やりながら息をついた。


「「恋、か」」



呆れた声で言い放つ3人であったが、実は全員が喜びを持っていた。
女の子大好きでいつも空から女を眺めていたというあの『L』が今一人の子に絞ったのだ。
本気の恋を見つけることが出来た『L』に悦びを噛み締める。


そして『L』も、タンポポと約束して毎日会えることが出来るということで、これからの人生に頬を赤めていた。


「恋、かぁ。これが恋なのか…うへへへ…」








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『L』に名前をあげたのはタンポポだったのですね。

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