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青い空。白い雲。
幾多の仲間と固まって大きくなった入道雲。そこから抜け出す雲の糸。
大きな雲から一本の線が抜けていく。飛行する乗り物が線を引っ張り上げているんだ。
それが空を模様付けるのだから美しさは倍増だ。
本当に美しい世界。
空というものは美しくて、尊い存在。


「いい天気だぁ…」


大好きな空を仰いで、小さな僕は大空を体全体で受け止めた。
なんて大きな世界なのだろう。両手いっぱい広げても抱きとめることが出来ない。
やはり空は偉大だ…!
この広さに勝てるものなんてきっといないだろうなぁ。
僕も大きな空の存在になりたい。本気でそう思う。


空を体全体で受け止めようとしていたら、自然と体が倒れた。
大空に押し倒されて原っぱに背中をつける。大地が僕を抱きとめてくれた。

目の前に広がる青。ときどき白がやってくる。
入道雲から出てきた一本の線が僕の目の前を横切る。
すごい、僕がこうしている間にも自然は動いているんだ。

全てのものが動いているというのが凄く嬉しくて、僕は原っぱの上で転がった。
反転して顎を草につける。そのときに視界は空から地上へ向けられた。
ここは草原。緑しかない場所。
だからこの場は草原の緑と空の青と雲の白しかない場所のはず。
だけれど今日は違った。
今日は違う色が混じっていた。

それは人影。

この場所は普段人が立ち入らない場所。そこにある僕以外の影。
非常に気になった。

腹がついている地面から体を起こして、僕は一目散にそこへ向かった。小さな小さな人影へ。
僕と同じくらいの歳の少年の元へ。

少年は座り込んでポケッとしていた。
無表情だからきっと何も考えていないんだろう。だけれど目線は空に吸い込まれている。
その目は虚無。光も何もない瞳。


「空が綺麗だねえ」


少年が何をしているのか知りたくて、僕は少年と目を合わせるために膝を曲げた。
すると少年はビクッと飛び跳ねてしまった。突然話しかけられたことに驚いたようだ。
それから恐る恐る僕の顔を見てきた。
何だか少年は怯えているようだったから僕は笑みを作って出迎えてあげた。


「ね?綺麗な青空だよね」


僕が笑顔で尋ねると、少年は空虚な瞳を点にして僕を凝視していた。まだ驚いているようだ。
だけれど暫くしたらまた先ほどの元気のない目になった。黒い目がこちらを見た。


「………う、うん」


少年はただそれだけ呟いた。
それからじっと僕を見ている。何かに魅入られているようだ。何にだろう?
僕の顔に何かついているのかな?
あ、さっき原っぱの上を転がったから顔に草がついてたのかもしれない。
僕は表面をぱっぱと払って顔を掃除してからまた少年に向けて笑みを飛ばした。


「ね、君もそう思うだろう?」

「う、うん」


少年は頷いてくれた。反応を見れて嬉しかったけれど少年は腰が引けているようだった。
あぁ、やっぱり急に話しかけたのは悪かったかな。まだ驚いているみたいだ。
だけれど少年は僕をずっと見ている。少年の虚無の瞳が僕を映し出している。
僕以外を映し出さない瞳。どうしてこんなに黒い瞳をしているんだろう。
気になったけれど僕は少年の視線に答えることを優先にした。
笑みを絶やさず話題をふった。


「特に今日は良く晴れてるから、すごく綺麗だよね」


すると少年はまた頷いてくれた。


「う、うん」

「あっでも」


勢いに乗って僕は立ち上がり空を仰いだ。
空に浮かんでいる雲を見る。入道雲はまだその場にあった。
だけれど一本の雲の糸は大分長い距離を引いていた。


「僕は雲のある空が好きだな。君はどうだい?」

「う、うん」

「やっぱりそうだよね、いいよねぇ。夕日もすごく綺麗だよね?」

「う、うん」

「あの赤く染まる空、うん綺麗だよね!星がいっぱい広がってる夜空もいいと思わないかい?」

「う、うん」

「ロマンチックだよねぇ。でもさ」

「う、うん?」

「やっぱり青い空が一番好きだなあ」


「……うん」


ここで気づいた。僕しか話していないじゃないか。
だけれど少年はずっと頷いてくれている。僕と同意見だから頷いているのだろう。
だからそのことが嬉しくてついつい喉から言葉を出していた。

空を仰ぎながら大好きな空についての話をする。僕にとっては幸せの空間だ。
少年も僕と同じ気持ちなのかなぁ。


「空って、ずーっと眺めておきたいよねえ」

「……うん」


空ってやっぱりすごい。
僕たち一人一人をこうやって包み込んでくれているのだから。
優しい色を幾多も彩って全世界の人間の気持ちをこんなにも和らげてくれる。
僕はそんな空の活躍ぶりが大好きだ。だから眺めておきたい、どんなときでも。

僕が空を仰いでいるとき少年はじっと僕を見ていた。
目の端に映る少年の姿は不思議そうに僕を見ている。一体何が不思議なんだろう。

何だか少年のことが気になった。質問をしてみた。


「ねえ、キミいくつ?」


突然話題が変わってしまったからなのか、少年はまた驚いていた。
戸惑いを見せてからやがて答えてくれた。


「え?……わ、分かんない」

「そうなんだ?」


意外な答えに驚いた。自分の年齢が分からないんだ…?
少し篭った声を聞いたからなのか少年は申し訳なくションボリと視線を落としていた。
元気のない目がより一層深い悲しみを帯びる。
だから急いで僕は自分の意見を言った。


「でも僕たちって、何だか似てるよね」

「……似てる?」


すると少年の目の色が変わった。
瞳が少しだけ淡く燈る。光が入った。


「うん。似てる。雰囲気が似てるよ」

「…雰囲気が?」


光が入った瞳に僕の姿が入る。
僕の瞳にも少年の姿が入る。


「何かね、僕自身と会っている気持ちになるんだ」

「…え?」

「本当に不思議な感じがするよ」


相手は空虚な少年だけれど、それは僕自身と似ている。
どうしてそんな風に感じたかは分からない。
だけれど似ている。何だか似ている。
久々に兄弟と会ったような気分になる。いや、それよりも深い気持ち……。

もしかしたら相手は僕なのかもしれない。


「あ、そうだ」


ここでふと思いついた。
僕は座り込んだままの少年の腕を引いてその場に立たせた。
無理矢理立たせてしまったから少し体が不安定にふらついている。
だから腕を取ったまま支えてあげた。


「せっかくだから遊ぼうよ」

「あ、遊ぶ?」


少年は僕の腕にしがみ付いてバランスを保ったところで目を丸めた。
僕は「うん」と頷いた。


「何したい?僕はねえ、かけっこがしたいなあ」

「か、かけっこ?」

「あっでも僕足が遅いんだ。足が短いから……」

「え、え?」


大切なことを忘れていた。
そうだよ、僕は足が遅いんだった。足が短いから…。

僕はしょげた。隣の少年の足の長さを見て自分の足の短さに悲しくなった。
だけどそんなことで元気をなくしたらダメだと気づいた。
隣りの少年がオドオドしている。
あぁいけない。こんなくだらないことで心配かけちゃいけないよね。
そう思ったから頭を振ることによって先ほどの表情を掻き消し、また笑顔を持ってきた。
そして話を繋げる。


「じゃあ公園で遊ぼう。そこまで競争しようか」

「公園まで競争?」


目を丸めたままの少年は、そのまま訊ねてきた。


「……で、でも公園って、どこにあるの?」

「あ、公園はね、こっちにあるんだよ」


この様子から少年はこの村の住民ではなさそうだ。
公園の場所を知らないなんてこの村の住民にとっては考えられないことだから。
この村には一つだけ公園がある。小さな公園。
そこまで少年を案内するために、腕を掴んだままスタスタと歩いていった。
少年は引っ張られることによってあどけない足取りだけどついてくる。


「競争はまた今度にしよう?代わりに別なことをしようか」


公園についた。
本当に小さな公園。遊具が二つ三つしかないほどの広場。
いつもならば誰かが遊んでいるんだけど、今日は運がいい、誰も使っていなかった。


「別なこと?」

「うん。…何しようかなぁ」


辺りを見渡すと、鎖につながれたイスを揺らすことで遊ぶ遊具『ブランコ』が目に入った。
だからまずはそれで遊ぼうと思って、そこまで腕を引いていった。


「ブランコしよう」

「…ブランコ?」

「これでどっちが高く上がれるか競争しようか」


そして僕は早速ブランコのイスに腰をかけた。
突っ立ったままの少年にも手招きすることで促して、ブランコに座らせる。
イスを吊らしてある鎖を掴んで、僕は軽くブランコを動かした。
キイッとさび付いた鎖が悲鳴を上げた。


「ちょっと音がうるさいかもしれないけど、大丈夫かな」


ゆっくりと動かしても鎖は悲鳴を上げ続ける。結構もろいようだ。
くいくい揺らして僕は前後に動く。
その隣りでは、少年が黙って座っていた。揺れる僕を目で追っている。
僕は少年が何を訴えたいのか何となく分かった。


「こぎ方が分からないのかい?」


訊ねると、やはり少年は頷いていた。だから教えてあげた。


「地面を蹴ればいいんだよ。こうやって…、ね」


タンッ。

体が後ろに行ったときに強く地面を蹴る。よって体が高い位置に上がり、その勢いに乗って前に押される。
体が前に行ったときは空を蹴るんだ。青い空に吸い込まれそうになるから蹴ることによって後ろに下がる。
それで後ろに下がったところで地面を蹴る。これの繰り返し。


「う、うん」


挙動な動きを見せる少年だけれど、僕が説明してからはそれに従って動くようになった。
タンッと地面を蹴って、動いていく。


「うん、その調子だよ」

「…うん」

「あ、気づけば僕を越してるよ。ちょっと待ってよ」


ブランコ初心者の少年を見ていたら、いつの間にやら自分の方が低い位置を飛んでいた。
前に押される少年の体は高い位置にある空に吸い込まれるように、本当に高く飛んでいく。
だから僕も急いで後を追った。


「すごいねキミ。このまま空を飛べそうだね」


僕は笑いながら後を追うけれど、少年は無表情のままだった。
だから気になったんだ。


「ねえ、もしかして楽しくないの?」


そう訊ねると、少年は首を振っていた。


「…楽しい」


だけれど少年の目に変化はなかった。何も考えてなさそうな目。


「そう?何だか楽しくなさそうに見えたから気になったよ」

「え?」

「楽しいなら、普通は笑うだろう?だけどキミは笑っていなかったよ」


「………」



ずっと引っかかっていたことを訊ねてみると、少年の位置は徐々に低くなっていった。
ブランコをこぐのをやめた少年の足は力なく地面に着地する。
僕も慌てて後を追った。


「どうして笑わないの?」

「……笑う?」


少年は小首を傾げた。だから驚いた。


「え?もしかして今まで笑ったことがないの?」

「…わ、分かんない」


少年は力なく首を振った。
その動きを見て驚いたけれど、これで謎が解消された。

なるほど。笑い方を知らないから無表情なんだ、目に光がないんだ。
そうなのか、それならば……。

僕の心に火がついた。
急いでブランコから飛び下りて、少年の腕を掴んで立たせる。
反動で大きくブランコが揺れた。キイキイ悲鳴が聞こえる。


「それじゃあ僕が笑い方を教えてあげるよ」

「え、ええ?」

「さあ、次は『すべりだい』で遊ぼう」


少年の腕を引いて『すべりだい』まで走って行った。
『すべりだい』はゾウさんの形をしていて鼻の部分を滑るようになっている。
尻尾の階段を駆け上って、ゾウさんの背中を通過する。


「ここを滑って遊ぶんだよ」

「す、滑るの?」

「うん。びゅーんと風を切って滑るんだよ」


やはりすべりだいも初体験だったようだ。鼻から滑るのに怯えている。
確かに初めての人には怖いものだろう。急な坂を滑るものなのだから。
だけどどうして少年に笑ってもらいたくて、僕は無理矢理少年の腕を前に引いて坂の頂上に座らせた。


「大丈夫だよ。僕も後を追って滑ってくるから」

「で、でも」

「さあ、行こう」


怯える少年の背中を押した。すぅーっと滑っていく少年。無言の悲鳴が聞こえてきた。
急いで僕も後を追った。
僕が滑り始めたときには既に少年は鼻の先端まで来ていた。傾斜を滑り終えて一安心している。
だけどそんな場合じゃないよ。と僕は叫んだ。


「ぶつかるぶつかるー!」

「…え?」


ゾウさんの鼻先が砂場で助かった。

勢いよく滑ったため、僕はあっという間に鼻の先端まで滑ってしまっていた。
そのためそこにいた少年とぶつかってしまったのだ。
小さな体2つが飛び上がり、そのまま砂場の山に落下された。


「いたた……ごめんねぇ」


僕は頭から砂に埋もれてしまったので、顔中が砂まみれになっていた。
ぺっぺと口の中の砂を吐き出して、顔も急いで振り払う。砂が四方に巻き上がった

対して少年は尻から落ちたようで然程汚れていなかった。
だけど顔に異変が見られた。


「あはははは!」


少年は僕の顔を指差しながら、笑っていたのだ。


「あははは!顔、すごいよ」

「え、ええ?」

「あははは」


先ほどまで人形のように無表情だった少年が、いま腹を抱えて笑っていた。
楽しそうに声を上げて笑っている。

笑ってくれたのだ!


「キミキミ!笑ってるよ!今、笑ってる!」

「あはは…え?」

「ほら、顔がすっごく楽しそう!」


笑うことを知らなかった少年が、笑ってくれた。
嬉しくて嬉しくて、僕も同じように笑って返した。


「あはは!笑ったよ!キミ、笑えたよ!」

「…これが"笑う"というものなんだね」

「そうだよ、これが"笑う"。人にとっては一番大切な感情だよ!」

「…そっか、"笑う"、"笑う"…これが"笑う"…!」

「うん。いいよね笑うことって」


しばらくの間、絶え間ない笑い声が公園はおろか村全体に響いていた。
少年は僕の顔を見るたび笑って、僕は少年につられて笑う。

いい、やっぱり"笑う"という感情はいい。


青い空は二つの笑い声を吸い込むことにより、赤を帯び、やがて藍になる。
周りが暗くなると、少年は村から去っていった。


相手は小さな小さな旅人だった。

笑うことを知らなかった旅人は笑うことを学んだ。
初めて笑った旅人の顔はとても優しい笑みを零していた。
旅人が笑うと僕もつられて笑った。

笑うことによって僕らの心は一つになった。


小さな小さな旅人は、笑いながら僕に手を振って、周りの闇に溶け込んでいった。
僕も笑いながらそれを見届けた。


「そういえば、名前、聞いてなかったなぁ」


あの旅人、笑うことを知らないまま旅をしていた。
一体誰だったんだろう。

もしかしたら本当に僕自身だったのかもしれない。
僕がきちんとラフメーカーの力を持っているか、その実力を試すために笑いを持っていない僕が現れたのかもしれない。





12歳の夏。
僕は僕自身と会った。






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クモマの光ある話でした。
クモマは謎の少年と合いましたが、果たして本当に自分自身だったのでしょうか?

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