― 悲眼花 ―



黒猫は不吉な生き物。だから嫌われました。

人間に愛されたかった黒猫は懸命に人間の元にいきましたが、
人間はそんな猫に嫌悪を抱き、挙句の果てには黒猫を無惨な形に染め上げてしまいました。

黒が赤に塗りつぶされた、その状態で放置され、
黒猫の死体は蟲に食われると共に地面の中に溶け込んでいきました。
土に還るため黒い体は徐々に世に消えつつありますが、赤だけが残されたままでした。
大量の血だけが黒猫の死体の下に残されました。




それから数年の月日が経ちました。
指で数えることが出来るほどの、本当に数年の月日です。
黒猫の死体があった場所には、違う赤が残っていました。
色は同じですが形が違います。

黒猫は彼岸花の花となり、自分の血を吸い上げて美しい赤の花になったのです。
そのことに気づいたのは、村人誰一人、いませんでした。


彼岸花は花になってから毎日毎日、背伸びして世界を見ていました。
人間を見ているのです。
大好きな人間の笑顔を見るために背伸びをしました。

ここからだと人間の笑顔を毎日見ることが出来ます。
しかし、彼岸花はそれだけでは満足しませんでした。
自分に向けて笑ってほしいのです。
どんな笑みでもいいから笑顔を浴びたかった彼岸花、
いつの日か、この背伸びは自分に気づいてほしいためにするものになっていました。

しかし人間は一方に気づく様子を見せません。


天気が良い晴天の日は雲ひとつ無い蒼い空。
その中に浮かぶ赤い花は目立つものと思いきやそうとは限りません。
心が傷つき荒んでいたのでどうやっても強い存在にはなりませんでした。
彼岸花の黒猫は恵まれない存在でした。

今日も背伸びをして、だけれど見つけてもらえなくて首を垂らし、
誰にも見えない涙を零していたときのことです。
空から同じような涙が降ってきました。

雨です。

一粒の雨から二粒三粒と数を増やし、やがて大雨へとかわりました。
ザアザアと休むことなく雨が嗚咽を吐いています。
伴って彼岸花も悲しくなりました。
無い声を出して、無い涙を流し続けました。


―― 誰か気づいてやぁ
―― ずっとずっとあんたらを見とるんやから、一人でもええ、ワイの存在に気づいてぇな
―― お願い。お願い…

―― …………お願い……だから……


そのときでした。


「お前の泣き声、うるさいぞ」


誰にも聞こえないと思っていたから嘆き叫んでいたのに、
彼岸花の耳に入ってきた言葉は、こちらに投げられた言葉のように聞こえました。
低くもなく高くもない男の声がまた聞こえてきます。


「どうしてそんなに泣いているんだ?一体何があった?」

―― …え?

「……なるほどな」


存在が消えつつあった彼岸花の目の前には、黒猫のような真っ黒な男が立っていました。
シルクハットを浅く被っているせいか、目立つ髪色が輝いて見えます。
黒いマントの下にはやはり明るい服装が見られますが、その男は敢えてそれを隠しています。

そんな若い男は、完璧に彼岸花に向けて話しかけました。
それはそれは優しい声で。


「お前、生き返りたいのか?」


無いはずの心臓音が高まりました。
男の言葉に心底から驚いたからです。

男は座り込んで彼岸花をよくよく観察し出しました。


「ただの彼岸花じゃなさそうだな」


シルクハットのつばをギュッと抓んで、視野を広くしてから男はまた言います。


「お前に何があったんだ?教えてくれよ」


普通ならば彼岸花にこんなことを言わないでしょう。
それなのにこの男はまるで彼岸花の正体を知っているように話しかけています。
いや、知っているんです。
彼岸花が黒猫だったということも。

相手は人間ではないのですから。


―― ワイは別に…

「いや、見え見えのウソはやめろって。お前の泣き顔見ていたら誰だって疑いたくなるさ」

―― 何でワイの顔、見えるん?


彼岸花は彼岸花です。花に表情なんてあるはずありません。
しかしそれを男は覆してしまいました。


「どんな生物にも必ず表情はある。お前の表情は今悲しみに帯びている。しかもずっと前からだ」

―― …!

「耳を澄ましていたらお前の声が聞こえてきたんだ。だから来てみたのさ」


無い声なんか聞こえるものじゃありません。聞こえないはずなのです。
それなのに男は聞こえると言うのです。


「せっかくの天気をダメにしてすまない。オレらの一族はどうも天気に好かれなくて」

―― ?

「でもオレらには雨なんて関係ないんだ。雨にも嫌われているほどだから」


言われてみてから気づきました。
こんなにも大雨が打ち付けてきているというのに男だけは全く濡れていないのです。
彼岸花だってびしょびしょに濡れて余計元気がしょげ返っているのに、
男だけはまるで太陽の下にいるように乾燥した姿のまま。

そんな彼岸花の姿に気づいて男は右手を差し伸べました。


「こんなに濡れてしまって可哀想に。ちょっと待ってな。今乾かしてやるから」


それから男は親指と人差し指を重ねて、華麗に音を鳴らしました。パチン。
するとどうでしょう。打ち付けていた雨がなくなったではありませんか。
雨が止んだというわけではありません。風景を見ると雨はどんどんと降っています。
だけれど彼岸花には雨が当たりません。目の前の男と同じように。


「お前の周り、半径1メートルは雨が入ってこないようにちょっと結界を張ったから」

―― え?結界?

「だから、もう雨に関しては心配しなくていいぞ」


彼岸花は言葉を失いました。
男の言った通りだったからです。
半径1メートルの半球が自分を覆っているように雨が遮られていましたから。

この男、ただものではない、すぐに察知できました。


―― あんた、すごいわぁ…

「はっはっは。お褒めいただき光栄だな」


ここで彼岸花は驚きました。
笑顔を見ることが出来たからです。

彼岸花の様子を見て男は目を細めたまま言います。


「これがほしかったのか?」


無意識に彼岸花は頷きを見せました。
カクンと頭を垂らしました。
そして、そのまま違う意味を込めて垂らします。

彼岸花は無い声で男に伝えました。


―― せやけど、ワイは笑顔を見れずに死んでしまったんや

「…」

―― 生きている間に見たかったわぁ…

「……なるほどな。それで生き返りたいと思っていたのか」


男に伝えていないはずなのに、まるで前もって話しておいたように男は「生き返る」ことについて語ります。


「確かにお前の過去を見てみると、悲惨な目にしかあっていない。笑顔を見れずに死んでしまった可哀想な黒猫か…」

―― 何でワイが黒猫って知ってるんや?


素朴な疑問に男は笑い返します。


「オレは魔術師だからな。相手の心ぐらい読み取れるさ」

―― 魔術師…!

「そうだ。魔術師の中でも"陽気"だから周りから『L』って呼ばれてるんだ」

―― L…

「お前は?お前は何て名前なんだ?」


目の前の男…『L』に訊ねられ、彼岸花は首を振りました。


―― ワイに名前なんてあらへん


すると『L』はこう返しました。


「そっか。それじゃオレと同じだな」


驚きました。一瞬、疑ってしまいました。
先ほど自分で『L』と名乗ったのに、何故名前がないと言ったのでしょうか?
首をかしげた様子の彼岸花に彼は自分のことを教えました。


「周りから『L』って呼ばれているだけでこれは本当の名前じゃない。オレにまだ名前はないんだ」

―― …そうなんか?

「ああ。だからオレとお前は同じだよ」


『L』はそう言いましたが彼岸花は納得できませんでした。
無い声で訴えました。


―― ちゃう!ワイとあんたは全くちゃうやんけ。ワイは皆に嫌われてる。せやけどあんたは…

「あれ?オレが周りから好かれてると思ってるわけ?」

―― え?


『L』は言葉を翻しました。


「オレは捻くれ者で変わり者だからな。一族内では浮いた存在で、よく罰則を受けるわ、悲惨な目にあってるよ」

―― …

「だから、お前と同じだって言ってるんだ」


それから『L』は言いました。
笑顔を込めて。


「オレは悲しんでいる人を放っておけない主義なんだ。特にお前みたいに悲惨な心を持った奴は喉から手が出るほど助けてあげたい。いや、今すぐにでも喉から手を出すさ。人肌ぬいでやろうじゃないか」


『L』が何を考えているのか理解できませんでした。
彼岸花が惚けているとき、『L』は全ての音を無音へと変え、
自分の世界を今ここに生み出しました。



「オレがお前を生き返らせてやるよ」



無茶な。彼岸花は首を振る仕草をしました。
しかし『L』は自分の意見を貫き通ります。


「大丈夫。この間まで研究して、やっとの思いで完成させた魔術があるんだ。それが『正夢甦生術』」

―― は?

「お前が願い通した『笑顔を見たい』という気持ち、それを正夢にして現実で蘇らせる。そんな魔術さ」


つまり


「簡単な話、オレがお前を生き返らせるってことだ」

―― む、無茶や!そんなことできるはずないやんけ!現実をなめとんのか?

「はっはっは。まあ見てろって」


『L』はそう言って彼岸花を宥めると、そっと彼岸花を優しく包み込みました。
身を屈めて、胸に彼岸花を仕舞いこんで。
無論、彼岸花は驚きました。


「心配するな。絶対に成功してみせるから」

―― …無理せんでもええんやで?

「オレが初めて完成させた魔法なんだ。ちょうどいい機会だ、試させてくれよ」

―― …

「あぁー……失敗したら、ごめんな」


その後のことを、彼岸花は何も覚えていません。
急に目の前が光に燈されて全てを洗い流していってしまいましたので。

彼岸花の思いは、逆夢になるか
それとも、正夢になるのか。


それは目を覚ましたときに分かります。




「…………生きてるか?」


何か音が聞こえ、それが声だということに気づくまで暫く時間がかかりました。
しかし何度も呼びかけが行われるので、嫌でも気づきました。

目を開けると、真っ先に飛び込んできたものは蒼い空。雨が上がったようです。
その青の中には黒い男の姿がありました。
明るい髪色を持った男、『L』です。

倒れていたらしく、身を起こします。
そのまま虚ろな瞳で『L』を見ます。すると大きく安堵している様子が見られました。


「よかった、生きてた」

「……んんー?」

「これ、何本か?」


そういって突然目の前に2本の指を見せてくるので、「2本や」と答えました。
すると『L』はまたまた安堵するのです。


「そっか。じゃ、もう安心だ」

「?」

「改めて、はじめまして黒猫さん。いや、今は人間か」



「…は?」



思わず拍子抜けな声が出てしまいました。
無理もありません。だって、"人間"と呼ばれてしまったのですから。
『L』は人間と呼んだ理由を、言葉ではなくて指を鳴らすことで教えてあげました。

パチンと鳴った直後、自分の手の中に鏡が出されました。
鏡を覗いてみて、一瞬誰が映っているのかわかりませんでした。
『L』が答えてくれました。


「それはお前さ。さっきまで彼岸花だったお前」

「…ほ、ホンマに…?」

「ああ、ホンマにホンマ」


そのあと『L』は微笑みましたが、すぐに眉を寄せて困ったそぶりを見せます。
シルクハットを取って頭を掻きます。明るいオレンジ色の髪がとても目立ちました。


「んー、でも理想としていたものとかけ離れてしまったなぁ…」


顔を覗きこんで、『L』は大きくため息をついてしまいました。


「オレは完璧な人間にしようと思っていたんだけど…。まさかこんな姿になってしまったとは…」

「どういう意味や?」

「オレはな、黒猫のお前がこれ以上苦しまないように、人間の姿に変えてあげようと思ってたんだ」


『L』は言いました。


「だけど見てみろよ。人間と猫がごっちゃになってしまっている。これじゃ人間ていうか何ていうか…」


言われてしまったので自分の顔を鏡に映して見ました。
確かにその通りです。
肌や髪、体の作りなどは人間なのですが、猫の部分が抜けていないところがあります。
猫耳や尻尾があります。何故かトラ模様ですが。
それから口も猫です。人々に恐れられていた金色の目も残っていました。

『L』は突然両手を合わして謝りだしました。


「ごめんな!こんな中途半端な姿にしちゃって!オレはやはり未熟だった…」

「し、心配せんで。ワイは満足やねん。生き返ることができたんやから」

「だけど、最も嫌われていた目が残ったままだ。これじゃこれから先の未来、またお前は……。結果は目に見えたも同然だ…」


シルクハットを深く被って塞ぎ込む『L』を見て、居た堪れなくなりました。
初めての二足歩行をして、今から村に行こうと決意しました。

それを悟り、『L』が「やめろ」と言います。


「お前はまた人間に虐められるぞ。この村から離れて違う場所へ移った方がいい」


『L』がそう言ったので、言い返しました。


「ワイは、今、すっごく嬉しいんや。またこうやって歩いて人間の元へ行けるんやから」

「だからって前にお前を虐めた村には帰るんじゃない」

「何言うてるん?ワイはなここの村の人の笑顔を第一に見たいんや。せやからこの目で見てくるんや。猫の目でな」

「無理するなよ」

「それはお互い様や。あんたはワイのために無理してまで魔術を使った。ワイはそれの恩返しをしたいん」

「…恩返し?」

「そや。この目で笑顔を見てくる。これがあんたへの恩返し」

「……」

「嫌われとるこの金色の目で笑顔を見ればワイはそれで満足やし、あんたにも安心させられる。せやから今すぐにでも笑顔を見てきたいんや」

「…お前…」

「生き返らせてくれて、ホンマおおきに」


『L』はまだ何か言いたそうでしたが、きっと自分の意見に反するものを言うに違いありません。
そう思ったからさっさと村の中へ入っていきました。
大好きな人間の元へ行きました。












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彼岸花になったトーフを生き返らせたのは『L』でした。
ってか、『L』って、自称神の魔術名を「物理的変換術」と言ったりと難しい言葉を並べるの大好きですよね(笑

ちなみに『L』は自分のもう一つの小説「ヤクルーター」でも正夢甦生術を披露していますよ。

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