食い逃げや万引きをするときのような仕草で、周りを注意深く見やりながら走る小さな影。
身を低くしながら風の抵抗を少しでも抑える。
自分にしか感じることの出来ない"ハナ"の在り処を探しながらトーフは走っていた。
「まだ遠くに感じるわぁ…」
目を細めて"笑い"を見極める。
結構な量の"笑い"を吸い取っている"ハナ"はその分だけ見つけるのが楽だ。
だから場所も分かる。"ハナ"はもう少し村の奥にある。
だけれど奇妙な点が一つあった。
それは、走っても走っても"ハナ"に近づくことが出来ない、ということだ。
その理由が何なのか、このときのトーフは知る由も無かった。
ふと、目の端に藍色の影が映る。また映る。どんどんと映ってくる。
地面に足をつける度に警官があちこちから湧き出てくるのだ。
気づけばその数は相当なものに…。
驚いた。先ほど警官数名を縛り上げたばかりなのにもうこんなにも追っ手が来ているとは。
全員がチョコのところに行ってしまったのかと思ったのに。
だから彼女を助けようとさっさと"ハナ"消しに突っ走ったのに。
それなのに、このありさまは何だ。
「…さっきまではホンマ誰もおらんかったのになぁ」
周りを見渡せば、警官が目で追えないほどの数に増殖していた。
これではまるでチョコのところにいた警官が全て自分のところへきたようではないか。
…まさか、もうすでにチョコは…?
そのとき、自分の走るレール上に立ちはだかる複数の警官の姿が現れた。
それはトーフを取り囲んでいるように見える。いや、すでに取り囲んでいるのだ。
トーフは警官の輪の中央に知らぬ間に追い詰められていた。
「何や?今度はワイを狙ってきたんか」
どこを見ても警官の姿。全員が同じ顔に見える。それほどまでに多い数。
何故こんなにも多いのだ?
まさかチョコを捕まえた警官がすべてこちらの来たのか?
チョコの無事を確認したかった。だから問うた。
「ワイの仲間の…桜色の髪で露出度高いべっぴんなお姉さんのこと知らんか?」
するといくつかの警官が口を開いた。しかしほぼ同時に発されたので、聞こえた言葉は一つのみ。
「お前を始末することを優先にした」
その言葉に猫耳をピクッと動かした。
自分を始末することを優先にした。優先……。優先と言う言葉は比較する物があるときに用いる言葉だ。
ということは、奴らはチョコを捕まえる前に自分の元へやってきたということだ。
つまり、チョコは無事なのである。
「…そか。仲間が無事ならそれでええねん」
「何言ってんだ。どのみち仲間全員が捕まるんだ」
「しかし、まずはお前からだな」
何故、自分を先に始末したいのか分からなかったトーフであったが、次の言葉で知ることが出来た。
「よくも自分らの仲間を懲らしめてくれたな」
「……」
なるほど、こいつらはその仲間の危機を知ったから自分を狙ってきたわけか。
事を理解し、トーフは目をギラッと光らせる。
警官のあの一言で奴らが何を狙っているのか分かった。
奴らは、仇討ちということで自分を本気で始末する気なのだ。
奴らの目を見ても分かるし、何より殺気を感じる。
元は普通の住民で平和を維持するために働く警官であったのに、厄介な"ハナ"のせいで人を犯す悪人になってしまったなんて、悲痛である。
一部の警官を睨んでいるとき、違う方向にいる警官が微かに動いた気を感じた。
体はそのままで目線だけを動かしてみると、その警官は警棒を構えて立っていた。
するとそれが合図となり他の警官もそれぞれの武器を構え始めた。
危険をすぐに察した。
「……やる気やな…」
多くの警官に囲まれ中央にいるトーフは、裾から糸を取り出し、戦闘態勢を整える。
警官も同じく、じりじりとトーフの近づいていく。足を上げずに地面を削って、ゆっくりと。
やがて、
「かかれー!!」
一人の警官の叫び声によって、場は戦場へと化したのであった。
「何でこうなるんやー!!」
続いてトーフの悲鳴も場を揺らした。
+ + +
「…あれ?警官が減ってる…?」
後ろを振り向いてみると自分を追っている警官が先ほどとは明らかに少なくなっていることに気づいた。
いるとしたら10人程度。しかし追われている身には変わらない。だから速さは緩めない。
チョコが走った跡を銃弾が埋め込む。
「……っ」
少しでも速さを緩めたらお終いだ…。銃弾が白い肌に紅い花を咲かすことになるだろう。
怖ろしい現実に逃げるようにチョコはとにかく走り貫いた。
「なぜ息切れしないんだこの女は!」
警官の一人が悪態ついた声が聞こえた。
何も出来なくて、力も技も何も無いチョコだけれど、他の皆より桁外れに凄い力を持っているものがある。
それは走力と持久力。だから逃げることに関しては跳びぬけて高い力を秘めているのだ。
そしてそれが今も発揮されている。そのことが嬉しかった。
こんな自分でも勝てるものがあるんだな、と思うと本当に心が弾んだ。
しかし、チョコは注意深さが無い。だからすぐに相手のペースに持っていかれがちだ。
今だってそう。相手のペースに持って行かれてしまった。
「……あ…!」
先ほどのトーフと同じ状態になってしまった。
自分が走るルート、それを邪魔する影。それは一つだけだが、勇敢に立ちはだかっている。
しまった、待ち伏せしていた警官がいたんだ。
知らぬ間に警官のレール上に自分は乗って走行していたんだ。
そのことを知って、チョコは心底後悔した。
このままだとあの警官に狙われてしまう。
どうにかしてルートを変えなくちゃ。このレールから外れなくちゃ。
しかしチョコは真っ直ぐ行くのみ。横にずれようとしたら足がもつれてしまいそうで怖かったから。
このときに、何て自分は弱いのだろう。と、いつものように自分を追い詰めた。
やがてチョコの足は緩まり、止まった。
伴って背後を追っていた警官たちも立ち止まる。
チョコはそいつらには目を向けず、自分を止まらせる原因となった警官を睨んだ。
「…私を捕まえる気なの?」
問うたが応答は返ってこない。
目の前にいる一人の警官は藍色の帽子を目深に被っているため表情はおろか顔自体が影に覆われて見れなかった。
背後にいくつもの警官の視線を浴びながら、チョコは一人の警官にだけ向けて言った。
「あなたたちは一体何が目的なの?私たちを捕まえてどうしたいの?」
答えは無い。
「ねえ、どうして?」
「喚いたって無駄だ。お前はどうせ自分らによって捕まるんだからな」
目の前の警官ではなくて背後の警官が答えた。
チョコが歯を食い縛って、「道を開けて」という。避けて通ればいいものの今のチョコは動揺しすぎて頭が回転しないようだ。
ふと、背後に何かを感じた。
これは…そうだ。チョコ以外の皆が結構感じることが出来るという、あの気。
殺気だ。
殺気が背中に突き刺さっている。
殺気が徐々にチョコとの距離を縮めて近づいてくる。警官が近づいてくる。
ダメだ。捕まる…!
「お願いだから開けて!私たちはこの村をこのように変えてしまった"ハナ"を消したいの!お願い!」
最後の頼み。
どうせ通じないものだと思った。
しかし、通じた。
目の前の警官がすぅっと前に傾いたのだ。それと同時に開く、影で見えなかった口。
その唇は薄い桃色をしている。女の口。
女の…。
「"ハナ"、やっぱりこの異常な状態は"ハナ"が原因だったのね」
ハスキーな声が唄のように綺麗に流れた。
その刹那。
パシンと軽いけれど鈍い音がすり抜けていった。
「……ぐぅ!」
真横に聞こえる呻き声。それはいつの間にここまで来ていたのだろうか、背後にいた警官であった。
何故そいつが屈んで苦しんでいるのか分からない。その警官を見てポケッとしていると、また同じ音が響いた。
「がは!」
「なぜ?!」
背後から警官の悲鳴が上がる。
チョコは急いでそちらを振り向いた。
すると驚くべきものを見たのだ。
先ほど自分に向けてハスキーな声を流した警官が、複数の警官に襲い掛かっているのだ。
巨大なハリセンを持って、パシンパシンと相手を斬っていく。
チョコは、その者の名前を呼んだ。
「姐御!!」
何とブチョウが警官に化けて警官を襲っているのだ。
チョコに名を呼ばれたブチョウは目深に被っていた帽子を飛ばし、警察服も破り捨てる。
いつもの格好に戻ったブチョウ。よかった、アフロを被っていないようだ。一瞬ヒヤヒヤしてしまった。
「姐御!どうして警官に?」
助けに来てもらえたことが嬉しかったが、まずこのことが気になった。
なぜブチョウが警官に化けていたのだろう。
襲ってきた警官をまたハリセンで仕留めて、ブチョウが答えた。
「希望に満ちた己の心が発した未知なる力のおかげよ」
やはりブチョウはブチョウであった。
「さっすが姐御!かっこいいー!!」
そしてチョコもチョコであった。
華麗なハリセン捌きをするブチョウとそれにうっとりしているチョコ。
ブチョウが声を上げた。
「あんたさっき言ってたわね。己の心ほど神秘なるものはないって」
「いや、私はそんな事言ってないよ!」
「言ってたわ。あんたの己の心が言ってたわ」
「何?姐御、最近は『己の心』にはまってるの?」
また警官を仕留め、これでこの場に居た警官全員を戦闘不能にした。
それからきちんと話を戻す。
「"ハナ"が原因って言ってたわね」
「うん。あ、で、でも私の予想よ?」
「でもその確立が一番高いわね」
「うん。警官がこんな風に暴れてるのって絶対におかしいもん!"ハナ"が狂わせたのかなって思ったのよ」
「そうね。それじゃあ警官をとっ捕まえて聞いてみようかしら」
そういってからブチョウは先ほど仕留めた警官の胸倉を掴んで脅した。
「あんたら、何か怪しいもの見かけなかった?」
"ハナ"に接触した可能性があるかもしれないということで訊ねる。
しかし普通の人間ならば"ハナ"が何なのか知らない。だから首を振る仕草が見れるだけだった。
役立たずね。と言って地面に叩きつけてから、ブチョウは戦いが終わったということでハリセンを仕舞う。
そのときを狙われた。
「武器を捨てろ」
一番初めにブチョウによって捌かれた警官が唾を吐き捨てた。
元からチョコの真横にいたその警官は、チョコの捕まえて、こめかみに銃口を向けているのである。
チョコの目もブチョウの目も見開かれた。
「…ちょっと…!」
「卑怯なマネを…!」
銃口を向けられて、完全に怯えた声を漏らすチョコ。
ブチョウはチョコが人質に取られて強く歯を鳴らす。
警官は打たれた腹の痛みを堪えて、チョコを捕らえている。
「ほら、武器を捨てろ。でないとお前の彼女の脳みそ、ぶっ飛ばしちゃうぞ」
不吉なことを言われ、チョコは涙を込み上げた。
ブチョウは、また男と間違われていると思いつつも、どうにかしてあの銃を捨てさせなければと、考えを浮かばせる。
しかし結果は導かれなかった。
自分と囚われの身のチョコとの間に結構な距離があるからだ。
近くにいれば、パシンとハリセンで銃を叩くことが出来るが、この距離からだとハリセンが届かない。
仕方なくブチョウは指示に従い、腰にかけていたハリセンをその場に落とした。
それを見て、深く笑う警官。
「さて、署まで来てもらおうか」
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