「残念だったね」




目の前で腹から血を流している彼が息を荒くして、そう呟いているのが聞こえた。
一回耳を疑ったが、それは幻聴ではなかった。
声を出すたび、口から血が飛び散るが、彼は気にせず、もう一言付け加えた。




「僕はそれだけでは死なないよ」





毛が逆立つのがわかった。
腹が貫通している人間が気を失うことなく、平気で言葉を出していることが信じられなかった。
彼の腹を負わせた魔物も、それには驚いている様子だった。


「だ、大丈夫なんか?クモマ」


死なないと言っているクモマに返り血で真っ赤になっているトーフが驚きの隠せない様子で尋ねる。
それに、苦笑してクモマが応えた。


「大丈夫だよ」

「…!?」


有り得ない話だった。
こんなに血を流しているのに、大丈夫なはずがない。
だけど、本人は確かに大丈夫そうだった。

その彼が、今
腹を貫通させている魔物の手を引っこ抜こうとしてるから。

そんな力まで残っているとは…。


ぶしゅっと腹から魔物の手が抜けた。
一緒に血も飛び散ったが、彼は気にしていない様子。

それと共に舌打ちしているのが聞こえたが、気のせいかもしれない。


そんなクモマに対し、
魔物は意外におとなしくしていた。
目の前の光景が信じられないらしい。

それはこちら側も同じ。


普通の平凡な人間が、こんなことできるはずがないと思っていたから。

その彼は、自分の血がまみれている魔物の手を放すと、
無数の血筋を流している口で荒く息をし、ギロリと睨みつけていた。


「…」


嫌な沈黙が流れる。


トーフも声を出すことができない。

こんなに恐怖を感じたのは久しぶりだった。
毛がまだ逆立っている。
体が震える。
目は大きく見開かれる。

こんなの、有り得ない。
だけど、これが現実。


クモマは、血を流して、その場に立っていた。




魔物が、言葉を発した。
キイと甲高い声を上げて、またクモマに攻撃を与えようとする。
しかし、クモマはそれを軽く避け、そのまま魔物の後ろへ回り込むと
魔物の足に思い切り蹴りを入れた。

反動で魔物が大きな音を立ててその場に倒れた。


そして
その場が、静かになった。


まさか…
魔物に勝ったのか?

本当に、信じられない。




「よく分からないけど…」


血筋だらけの口でクモマが言葉を出す。
彼の目の前には魔物が倒れていて


「人を傷つけようとする奴は、嫌いだね」


そして、血唾を吐いた。
トーフはその光景を黙ってみていた。


クモマはまるで別人だった。
顔の血管も浮き上がっていて、下がっていた眉毛も今は吊り上っていて。

先ほど上の空になっていた人物と同一とは思えなかった。




「…とどめはワイが刺すわ」


静かなその場にトーフの言葉が響く。
それに対しクモマは


「え?」


瞬に表情を強張らせた。
続けて言う。


「こ、殺しちゃうの??」


突然180度に態度の変わるクモマにトーフはまた驚いた。


「へ?」


間抜けな声を上げるトーフにクモマはまた同じことを訊いた。


「この魔物、殺しちゃうの?かわいそうだよ」

「か、かわいそう??どこらへんがや?!あんたをそんな…血まみれにした奴やで?」

「僕は大丈夫だよ」

「んなはずあるか!あんた腹貫通したんやで?!普通死ぬわ!あんなの!!」

「ごめんね」


苦笑して。


「僕、意外に頑丈なんだ」


いや、頑丈すぎやろ?!


「と、とにかく、まずはあんたの治療のほうが先やわ!」

「それなら大丈夫だよ」

「へ?」


また間抜けな声を出すトーフ。

この少年、大丈夫人間か?!


「僕、回復魔法使えるから、自分の体ぐらい、自分で管理できるよ」


でも自分の回復は結構力使うし、時間かかるんだけどね。と続けた。


「…そ、そうなんか?」

「うん。だから僕は大丈夫だから、その魔物殺さないであげて」


優しい笑顔でクモマがお願いしてきた。
それに、戸惑うトーフ。


自分を傷つけた奴なのに、それを助けようとする、その意思がわからなかった。
少年の謎だけが増えていく。


クモマの穴のあいた腹を見る。
そこからは血がまだ出ていたが、先ほどよりはマシみたいだ。
だけど、あの怪我は普通重症のはずだ。

それなのに、なぜ、そんなに元気があるのだ?




「いや、とどめを刺させてもらうわ」


思考を止めて、現実に戻る。
クモマのお願いに、トーフは冷たく反応した。

それに、クモマが眉を下げて、もう一度。


「何で?かわいそうだよ!殺すなんて!」

「殺すとこ見たくなかったらあんたは向こうに行っとくんやな」

「キミの敵はハナなんだろう!!」


怒鳴り声が響く。
トーフは反論するのを止めた。
クモマが声を押させて続きを言った。


「僕は、人を傷つける奴は嫌い。だけど、殺しはもっと嫌いだよ」

「…」


悲しい目をして、それをトーフに送る。
トーフは黙って、それを受けるが、反論はしない。
正当な言葉に何もいえなかった。


「相手は気絶してるんだから、それでいいじゃないか。これで終わりにしよう?ね?」


同意を求める。
しかしそれにトーフは反応しない。
トーフは黙って、クモマの目の前で倒れている魔物を見ていた。



着物の裾に逆側の手を入れる。


一瞬の出来事だった。


そのままトーフは裾から細い糸を取り出すと、目の前の魔物に縛った。
魔物は目を覚まし、また奇声を上げる。
対して、クモマが叫んだ。


「な、何してるの?!」

「アホか!あんた油断したらあかんで!この魔物、またあんたを狙おうとしてたんや」

「え?」


言われて魔物に目を向ける。
魔物は密かに長い爪をクモマに向けていた。
機会があればその爪をクモマに刺すつもりだったのだろう。


「…っ!」


息を呑む。
その様子を見て、トーフがまた吼えた。


「往生際の悪い奴や。こいつは処分するしかないようやな」


ギリギリと音を立てて魔物を絞めていく。
魔物も苦しそうに、緑色の舌で息をする。
喉にも糸で縛られていたため、咽喉が狭くなっているのだろう。
細い息声が聞こえる。


「や、やめなよ!」


クモマがまた魔物を声でかばう。
だけどトーフは力を緩めない。


「ワイの考えを教えたるわ」


声を抑えて、トーフは続ける。


「ワイも人を傷つける奴は嫌い。せやからそれのバツを与えるのも当然やと思う」

「キミのバツは殺すことによって解決するの?!」

「こうするのが、一番えぇ考えや。こん魔物は2度もあんたを狙った」

「違う、一度目は僕が勝手に当たっただけ。こいつは悪くないよ。だから助けてあげて」

「…」


トーフは黙り込んだ。
ずっと魔物をかばっているクモマがどんどん正しいように感じたから。
これでは自分の方が悪役のように思われてしまう。
自分も自分の考えをやり通そうとしただけなのに。

もう、反論するのに、疲れてきた。


「あんた、優しすぎやで…」


糸を引く力を緩める。
力強く引いていたため、その手は真っ赤になっていたが、これにはもう慣れている。

縛られていた魔物は、力なく、その場にへばりついた。
そして、広くなった咽喉からたくさん空気を吸っているのが見ていても分かる。


一つため息をついて、トーフがクモマを睨んだ。


「恐ろしいなー癒しの力は…。あんたの話聞いていて、ヤル気なくしたわ…」


そして、もう一度ため息。
トーフに言われ、クモマが笑顔を作った。


「よかった。このままキミが殺しちゃったらどうしようと思ったよ」


そして
もう大丈夫だから大人しく戻りな。
と、自分の目の前で苦しそうに倒れている魔物に優しく、声をかけた。
すると、魔物はムクっと立ち上り、荒く息をしながらその場から勢い良く走って逃げていった。


ところで、と接続詞を付けてクモマが疑問符で続けた。


「癒しの力って一体何のこと?」


言われてトーフが睨むのを止め、逆にニコリと微笑み、応えた。


「あんたの持っている力のことや」

「え?」

「あんたしか持っていない、"癒しの笑い"の力や」


1回間を置いて、トーフの言葉をそのまま口に出した。


「癒しの笑い?」

「そや」


頷いて、トーフ。


「ワイが言ってたやろ?変なハナを消す旅をしているってことを」


うん、と応答するクモマ。
聞いてトーフがそのまま続ける。


「そのハナはな。実は特別な力がないと消すことができへんのや。普通の人じゃ消すことができないから人はどんどんハナの所為で可笑しくなってしまうんや」

「うん」

「その特別な力を持っているのは6人おるんや」

「6人…」

「そや。6人の力があればハナを消すことができるんや」

「なるほど」


のん気に応答する。
それにクスリと笑って。


「ワイはその6人の一人なんや」


息を吸って、続きを言う。


「まだ他の5人がおらんからハナを消すことができなくてな。困っとるんや。せやから」


クモマをじっと見る。
そして、口を開いた。



「あんたも一緒に旅に行ってくれへんか?世界のためにも一緒にハナを消してくれんか」




「え?」



急な誘いにクモマは目を大きく見開いた。


この話の流れによると


そのハナを消す6人の一人が…




「僕と?」

「そや。あんたはワイと同じ力の持ち主や」

「…」


信じられない。


「あんたが一緒に居ないと、ハナを消すことができへん。世界を救うことができへんのや」

「僕が…世界を救う…」


体が震える。

これは喜びが込みあがってきているから。


ワクワクしてくる。
自然に笑顔になっていって。



「よろしく頼むわ。ワイは急ぎ旅やからせいぜい5日間しかこの村におれん。せやから5日目にこの村の出入り口のところに来てくれへんか?まだまだ時間はある。ワイと旅をするかじっくり考えて、そして5日目の夜に…」

「わかったよ。決心ついたら5日目に出入り口にいけばいいんだね」

「そういうこと。ほな、ワイはこの辺でおさらばするわ」


クルリと後ろを向いた。


「5日目に会えたらまた会おうで」

「うん」


離れていくトーフにクモマも笑顔で返す。

徐々にトーフはクモマから離れていく。
後ろ向きのままトーフが右手を上げて、振る。
それにクモマも右手を上げて振って応える。

徐々に徐々に姿は小さくなっていき
そして、トーフの姿は完全に見えなくなった。


その場には、クモマ以外誰も居なくなった。


「…いなくなっちゃったか…」


トーフがいなくなったのを確認する。
もう、ここには自分以外誰も居ない。
それが分かると
大きく、ため息をして、その場に勢い良く倒れこんだ。

草がクッションの代わりを果たしてくれる。
優しく自分を包み込み、反動を小さくしてくれた。


「………っ…」


出す息はそのまま荒息となって、
両手を怪我をしている腹に持っていき、もがき始めた。


「…もう…痛すぎる…」


痛さをずっと我慢していたらしい。

クモマは誰も居ないその場で一人で唸る。

あの場でトーフに心配をかけたくなかった。
だから嘘をついた。

こんな怪我、大丈夫なはずがない。

まさか貫通するとは思わなかった。
本当ならば自分もあの時魔物をぶっ飛ばしたかったが、腹が痛くてそんなことできる余裕もなかったし、殺したくないし。

だけど、あの時、トーフが魔物を殺さなくてよかったと、思う。



苦しいけど、微笑んでみる。



トーフの言葉が嬉しかった。


世界を救える。
こんな自分にそんな力があるなんて。

旅ができる。
自分が憧れていた、旅。



残り5日。
この間に考えをまとめないといけない。
自分は5日後に村の出入り口にいないといけない存在なのかを。

そんなの答えは決まっている。

だけど、きちんと考えておこう。
これからの人生の分かれ道だから。


ってか、その前にまずはこの腹を何とかしないといけない。
こんな大怪我5日あればなんとか治ると思うが…。


ま、5日間、有効に使って、考えておこう。
僕が今しないといけないことは何かを。

村に残ってのほほんと大工を続けるか。
村を出て世界を救う旅に出るか。







苦しい中、思考を巡らせる。
腹は相変わらず痛いが、心はワクワクしている。

暫く休んでから、回復魔法を使おう。



空を見る。

大きな白い雲が喉かに泳いでいる。



風も吹く。

また僕を靡かせる。


気持ちがいい。

どれも僕の好きなもの。




静かな草原の中


クモマはスヤスヤと眠りについた。






そことは、逆に


「あ、いたぞー!泥棒猫―!!!」

「げ、まだおったんかー?!」


村の中心は、また騒がしくなっていた。





>>


<<





inserted by FC2 system